中医学にない、太極定位という言葉。
難しく感じますよねぇ。
易学では、このような言葉を使うのです。
筆者も、永松先生の易学講義で知ったのですがね。
太極の前には、混沌があるのですが、これはいわば人の影のような感じです。
得体が知れない・・・といった認識以前の状態です。
光が当たりますと、何やら見えてきます。
で、人間かな、それとも動物かな?
男かな、いや女かな?と陰陽定位を立てますよね。
つまり、認識の視点を立てることを太極定位というのです。
実は、認識の視点を定位というだけのことなんです。
ほとんど、無意識にやってると思います。
男の人だと定位を立てれば(認識の視点を立てれば)、次にまた定位を立てます。
男子としてどうなんだろうという定位。
社会人としてどうなんだろうという定位。
恋人として、夫として、家庭人として・・・
定位の下にいくらでも定位を立てることが出来ますよね。
普段、誰でもが無意識にやってることを、あえて学問的・易学的に表現するとこうなってしますのです。
でないと、そもそもいい人、そうでない人の論点がかみ合いませんよね。
人と人が会話するとき、最初は定位があっていても、途中から定位がずれてくるとかみ合わなくなってきちゃいますよね。
ただでさえ、人それぞれに感じ方、受け取り方が違うのですから。
だから、論を立てる時には、この太極定位をその都度明確にする必要があるから、あえて難しい言葉で太極定位として視点をはっきりさせるのです。
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