5月14日、「一の会」基礎講座でお話しした内容の一部です。
あちこちでセミナーをやっていて、いつも気になることがあります。
いくつかあるうちのひとつに、漢文どころか漢字そのものが苦手という人が以外と多いことです。
そこで「一の会」でちょっと実験を行いました。
参加者の中から1名を募り、ホワイトボードの前の椅子に座ってもらいました。
そしてホワイトボードに大きく⇑と書いた矢印を見ながら立って頂きました。
次に今度は⇓と矢印を書いて立って頂きました。
さて、どちらが立ちやすく感じたでしょう。
被験者の方は、顕著に⇑印が立ちやすく⇓印が立ちにくいと感じたとのことでした。
ここで申し上げたいことは、目に触れた対象からは無意識ではあっても、感覚的に影響を受けるということです。
そして漢字です。
漢字は、みなさまご存知のように象形文字です。
象形というのは、古代人の文化的感性を基にして絵画的・イメージ的に作られたということを意味します。
ですから漢字は、ぱっと見ただけで人の感性に訴える味わいがあるのですよね。
その漢字は、おおよそ3300年前に成立したとされています。
漢字は、私たちが共有している文化的感覚と密接に関わっており、民族性そのものということもできます。
『常用字解 平凡社』の中で、著者の白川静は、
「漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものである。」
「文字を通じて、その生活史や精神史的な理解にまで及ぶことができる。」と述べられています。
漢字を専門的に掘り下げる必要までは無いにしても、漢字に慣れ親しむことは潜在的に文字を通じて古代人の息遣いが伝わってくるということです。
我々は『気』を読み取り、本来あるべき姿に『気』を導くのが治療なのですから、このような感性を養うことがとても重要です。
これは漢字の意味を理解する事も大事ですが、それ以上に大切なことであると考えています。
たとえば『雨上がり』という言葉からなにか連想されるものがありませんでしょうか。
雨が降った後のさわやかな空、まだ水滴を宿した木々の葉、やれやれ何となくうれしい・・・などなど。
ところが同じ意味でも『after the rain』と書くとどうでしょう。
欧米人が『after the rain』という言葉に触れた感覚は、僕には理解できません。
しかし東洋人である筆者の感覚では、雨が降った後、それから?と続きを聞きたくなります。
このように東洋医学を学ぶ上では、この漢字文化に内包されている古代人の「気」に触れることがとても大事なことになります。
筆者も、漢文をスラスラ読んで意味がすぐに分かるレベルではありません。
しかし、東洋医学は特に『温故知新』ということが重要です。
ちなみに、『温故知新』とは、<故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る>と読みまして、意味はお分かりと思います。
『温故知新』、東洋医学には、最も大切な精神です。
漢字を覚えるというよりも、漢字は「むつかしい」という思い込みを外して頂いて、たくさん接するうちに、なんとなく分かるようになってきた・・・という入り方でいいと思います。
「一の会」の参加者の皆様、会では漢文を多用していますが、ぜひとも馴染んでください!
そして、
古代人の心には、大自然がどのように映っていたんだろう。
そして、人間もまたどのように見えていたんだろうって、心を馳せて楽しんでください。
写真は、新進気鋭の川越凌太先生。
経絡学を漢文を用いて解説して頂きました。
ハキハキとした語り口調で講義をされ、先生の気がとても小切れよく伝わって分かりやすいと定評です。
川越先生、慣れない漢文に対してものおじせず、果敢にチャレンジしておられます。
すばらしい!!
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