新学期も始まり、真新しいランドセルを背負った子供たちを多く見かける季節になりました。
「一の会」もまた、新しい面々が加わり第三期がスタートしました。
不幸なことに九州の地震が続く中での講義。具体的な援助ができる方は、ぜひそのようになさってください。
何もできないと感じておられる方は、「いま」自分の目の前の務めをやりきって下さいと。
すべては関係性で繋がっているのですから、自分自身と、そしてその周囲が明るく躍動感にあふれるように過ごすことが、ひいては被災された九州の方々を応援することになるのです。
易学 永松先生 |
三期目となると、講師の先生方の講義がこなれてきたのか、はたまた自分自身が成長したのか?昨年難解であったことが実に分かりやすく耳に届いてくる感じがしました。
冒頭のスタートを切った、永松先生による 「易学基礎 総論と無極~太極」 は、実に分かりやすく導入して頂けました。
まだなんとなくしか分かっていなかった「終始」の解説を、易の循環性を説きながらやさしく講義して下さったので、やっとしっくり頭になじんだ感じがしました。
やはり、何度も何度も繰り返し聞くことの大切さを痛感した次第です。
中医学・傷寒論 稲垣先生 |
稲垣先生による「中医学―気・血・津液」は、陰陽論が参加者の意識になじむように、あらゆるところに陰陽の転化・消長・互根、属性と定位が示されており、東洋医学の根幹である認識論が身につくように配慮されたものでした。
また中医学を批判的に解説することで、内経医学本来の「気の医学」の意味を、捉えられたのではないかと感じました。
午後からさらに傷寒論を講義して頂いた稲垣先生は、傷寒論序文の解説を通じ、傷寒論がどのような政治的・時代的背景のもとで著わされたのかを、独自の歴史観を元にお話しくださいました。
難解である本文の解説に先立ち、本文がどのように展開されているのかといった内容に興味をそそられるようでした。
臓象学・経絡学 金澤先生 |
そして金澤先生による「臓象学・経絡学」の講義では、業界で信じられている標準的・教科書的なことは、忘れるべきであると。
アジアの民族医学(世界観を元にして形作られた医学)の中で、なぜ中国大陸の医学だけが複雑な十二経絡で人体を認識したのかといったことを<素問・移精変気論>を引用して話されました。
奇経八脉の位置づけも同様で、歴代の医家の説が尤もであっても、人体の認識手段として使えないものは、これを排する態度が大切であると。
意図が明確でありさえすれば、後に自分の過ちにも気づくことができる。過ちに気づいたら改める謙虚さを持ち合わせてさえいれば、あえて間違いを犯す勇気を持ちなさいとのことでした。
十二経絡の太極は、衝脉であり、任脈・督脈であると易学的観点から説いておられ、まず太極を捉えた後、八卦・六十四卦へと分け入るように十二経絡を学べば、迷うことなくさらに経絡が生きてくると話されました。
一之道術 永松先生 |
そして締めは、「終始」を説かれた永松先生による「一の道術」 身体学講義。
長時間椅子に座りっ放しの参加者の、気血の流れがよみがえることを配慮して、今回は吐故納新法、いわゆる呼吸法でした。
参加者の一人一人に直接手ほどきする念の入れようで、解散時には皆さんの顔がほころんでいました。
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