冬空に燃えている木の葉 |
1.無極と太極
無極とは、一元論であり、上下も、中心も軸も無い宇宙そのもの。
認識される以前を「混沌」=無極であるとし、一円で表現される。 図1
一切の観念を用いず、あるがまま宇宙と一体=未分化の状態である。
そして混沌なる無極に意識を生じると、自然に軸(点・中心)が定まり太極もまた同時に生じると、瞬時に対象を表裏、上下、内外、左右等、二元的に分割することが可能となる。
軸(点・中心)の定位は、必要に応じていくつも定めることが出来、さらにその数は無限である。
この極めて単純なモデルを用いて、あらゆる事象を認識しようと試みて作られたものが陰陽論であり、「自然界の法則」=「道」の認識論である。
我々東洋医学の鍼灸家にとって病とは、畢竟、陰陽の失調であり、治病は陰陽、正邪、気血の平衡である。
陰陽を知らずして、治病はあり得ない。
従って陰陽論の展開は、自由闊達でなければならない。
これをいくつかの例を用いて考察してみる。
人間は、肺が主る皮毛によって外界と隔てられ、一個の独立した存在のように見える。
しかし、自然界の空気を共有して絶えず呼吸をしており、口から肛門までの消化器は外界に開いており、五感を通じて心も身体も一瞬たりとも留まることの無い存在である。
このように捉えると本来、個と個を取り巻く宇宙・自然との境界は明確でなく、個は宇宙と混然一体である。(無極)
これを意識を用い、一旦切り離して一個の人間として捉え(点一 太極)、さらに男女に分ける(陰陽両義)。
一般的に、男性は陽で女性は陰と認識されているが、何を軸として陰陽と認識しているのか重要である。
陰陽を固定的に捉えると、陰陽は死んでしまう。
陰陽を論じる場合、その軸の定位をしっかりと理解する必要がある。
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