冬 至りて至らざるを不及と謂う 於:新檜尾台公園 |
陰陽論は、主に古代中国大陸で起こった哲学を構成する中心的認識論で、起源はよくわかっていないようである。
しかしこの陰陽論は、道家や易学に取り入れられ、様々に変化する自然界の神羅万象の中から一定の法則性を見出すことに成功したことは確かである。
そもそも「陰」の文字は、形声文字で侌は云(うん)で雲を表し、今(蓋)を加えて光をおおい、閉じ込める意味を表す。
「陽」もまた同じく形声文字で、昜は台の上の玉光が放射する形であり、阝は神が上り下りする梯子の意味である。
このように解釈すると、陰と陽は単に日向と日陰ではなく、光とそれをさえぎるものであり、陽は遠心性を、陰は求心性を示していることが分かる。
このように陰陽論は、すべての事象を相反する二元的陰陽を用いて認識を深め、その用い方も次第に高度に発展してきた。
ところが道家は一元論であるに対して陰陽論は二元論である。この陰陽論が卜占に起源をもつ易学に取り入れられ、さらに老荘思想や道家と一体となり、事象に対する認識は高度に発達して現代に至ったようである。
鍼灸医学の原典である「黄帝内経 素問・霊枢」では、陰陽論を中心とした春秋戦国時代の哲学の集大成ともいえる内容が色濃く反映されている。
(内経医学=道家一元思想+陰陽二元論+五行論+易学)
これらは、次のような一文に垣間見ることができる。
<素問・上古天真論>「昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.」
昔、黄帝在り。生じて神靈、弱にして能く言い、幼にして徇齊、長じて敦敏 成りて登天す。
<素問・陰陽離合論>「陰陽者.數之可十.推之可百.數之可千.推之可萬.萬之大.不可勝數.然其要一也.」
陰陽なるものは、これを数えて十たる可し。これを推して百たる可し。これを数えて千たる可し。これを推して萬たる可し。萬の大、勝げて数うべからず。然るに、その要は一なり。
<易経・繋辞伝上>「一陰一陽謂之道」
一陰一陽、これを道と謂う。
<老子・道徳経>「道可道、非常道」
道の道とすべきは、常の道に非ず。
まず、混沌とした全一である事象(無極)を、陰陽の両義に分けることで太極が生じる。
その後、陽中の陰陽、陰中の陰陽と細分化して認識したものを、鍼灸家はさらにまた証概念でひとつに還元して治療を行う。禅的表現を用いれば、「一則多 多則一」である。
陰陽を用いて細分化する過程においても、意識の中では混沌を離れることは無い。
事象は「分けて分けられないもの」であるからである。
ここでは基礎的な陰陽論の認識方法にできるだけ的を絞って解説することにする。
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