本日は全国的に休日ですね。
今日、天気は良いのですが、あまりの寒さにひるんで書斎にこもってます。
暖かい部屋、しあわせですねぇ~。
で、来年度「一の会」臓腑経絡学の教科書を執筆中であります。
ちょっと休憩、閑話。
ところで、針灸家の常識であります『経絡』というもの。
これって、ほんまに経絡流注に沿って気血が秩序立って流れているんだろうか。
下図は、足少陽胆経の顔面部流注です。
素直に見て、図のように気血が流れてるって、自分自身の体感的に実感できるでしょうか?
実はね、これってずーっと自分の中でくすぶっていた疑問なんですが、やっぱり違うと思うんですよね。
かといって、現代医学的な血管や神経の走行とも違いますしね。
こんなこと、どうでもいいと言われれば、確かにそうなんですけれど・・・
それにこんなこと書くと、初学者は勉強の意欲を無くすかもしれませんが・・・
でもまれに、経絡現象を感じる方もいらっしゃいます。
筆者も、足三里からお湯のような熱いものが胃経に沿って下に流れていく感覚がする時が、たまにあります。
大体、このような現象の後は体調が良いです♪
が、経絡現象を単に経絡に気血が流れているからと理由付けするのも、やはりなんとなく安易な感じがするんですよね。
他にも常識とされてる理論に、疑問はいっぱいあります。
例えば衛気と栄気は調和して、常に内外同時に流れているというのも、ほんとかな?って思うのですよね。
衛気は日中は体表を循り、夜は体内に入るというのも同じです。
単に気の流れが切り替わるだけだと思うのですが・・・
恐れ多くも、黄帝内経に反した考えではありますが・・・
インド医学にチャクラがあって、経絡がないのはどうしてなのだろうとかもね。
それに湯液家は、経絡概念がなくても治療できますしね。
おそらく、人間を認識する視点が異なるからなのでしょうけど、ある視点では存在しているのに、違う視点からは存在していない。
それでも共通認識は、頭はひとつで手足はよっつ。
やはり、人間って面白いですね。
で、ここに来て鍼灸家にとって、経絡概念はやはり必須ですね。
ただ、概念を再度はっきりさせる必要があると。
筆者は、肉体に重なっているもう一つの身体が存在すると想定すると、なんとなくすっきりしそうなのですが・・・
読者諸氏は、どのようにお考えでしょうか。
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