開・合・枢理論について ・・・ 広明と太衝の指し示すもの
人体を空間的に認識する方法として、三部九候論とはまた異なった視点を提供しているのが、<素問・陰陽離合論>に記されている「開・合・枢」理論である。
それに先立ちて、<素問・陰陽離合論>の文中の「広明」と「太衝」が、何を意味しているのかを明らかにすることを試みたい。
筆者ブログ『鍼灸医学の懐』で意訳する際、前後と上下の記載に何を指しているのか随分と混乱した。
前・上は、表。後・下を裏と理解すると、すっきりするのだが読者諸氏はいかがでしょうか。
最後に原文を抜き出して記載しているので、ご意見下されば幸いです。
さて、<聖人南面而立.前曰廣明.後曰太衝.太衝之地.名曰少陰.>
「聖人南面して立つ。前を広明と曰く。後を太衝と曰く。太衝の地、名づけて少陰と曰く。」
聖人南面して立つのだから、身体前面は日が当たって明るいのであるから「広明」であり、身体後面は、太衝脈が起きる部位であるとの解説がほとんどである。
確かに、身体後面の足太陽の正経は、腎兪付近で腎・膀胱を属絡するが、それを以て衝脉と関連付けるのは合点できない。
そこで空間的解釈の立場から解釈して、身体表面を広明、身体内部を太衝として理解し、それぞれの字義から一源三岐論と関連付けてみたい。
ちなみにこの場合の聖人とは、南を向いて天体観測をし、易学を積み重ね発展させてきた人々を指しているのだろうと考えている。
多くの解説書では、太衝を奇經八脉中の太衝脈と解説しているが、そもそも太衝とは、何を表現しているのか。
「太」という文字は、「大」と区別しないで用いられることが多く、太極、太古、太陽などの用い方を考えると、「大」の「ゆたか、おおきい、はななだ」という語意に加えて、「太」には、「根源的」という意味が加わったと考えるのが妥当である。
また衝は、十字路において突き打つことを意味し、強い力で激しく突き当たって打つことの字義がある。
<常用字解 白川静>
併せて考えるに、太衝とは強く動かす力の根源と理解される。三陰の太極がすなわち太衝であり、すでに一源三岐論で述べた、すなわち腎の陰陽である。
一方、広明の広には、範囲が大きく、しかも覆うという字義も含んでいる。そして広明の明とは、日と月の会意文字で「あかるい、あきらか、あかす」など、はっきりしている様を表す。
<漢辞海 三省堂>
しかして広明とは、広い範囲にわたって、陽気の存在がはっきりとしている部位と理解され、表で裏を包む陽気豊かな広明と、裏で陰気溢れる太衝とで太極と成る。
非常に立体的でダイナミックな捉え方だと感じます。
そして任脈を、三陰(太衝)に分け、督脈は、三陽(広明)に分け、それぞれ特徴的な機能を立体的・空間的に表現したものが、開・合・枢理論であると理解できる。
どうでしょう、見事に一源三岐論とつながってこないでしょうか。
非常に煩雑であるが、対象を認識する場合の、着眼点・尺度を変えている点に気づいて頂けたらと思う。
<素問・陰陽離合論> 原文と読み下し 抜粋
聖人南面而立.前曰廣明.後曰太衝.太衝之地.名曰少陰.
少陰之上.名曰太陽.
太陽根起於至陰.結於命門.名曰陰中之陽.
中身而上.名曰廣明.
廣明之下.名曰太陰.
太陰之前.名曰陽明.
聖人南面して立つ。前を広明と曰く。後を太衝と曰く。太衝の地、名づけて少陰と曰く。
少陰の上、名づけて太陽と曰く。
太陽の根、至陰に起こり、命門に結ぶ。名づけて陰中の陽と曰く。
身の中の上、名づけて広明と曰く。
広明の下、名づけて太陰と曰く。
太陰の前、名づけて陽明と曰く。
― 中略 ―
外者爲陽.内者爲陰.然則中爲陰.
其衝在下.名曰太陰.太陰根起於隱白.名曰陰中之陰.
太陰之後.名曰少陰.少陰根起於涌泉.名曰陰中之少陰.
少陰之前.名曰厥陰.厥陰根起於大敦.陰之絶陽.名曰陰之絶陰.
是故三陰之離合也.太陰爲開.厥陰爲闔.少陰爲樞.三經者不得相失也.
外なるものを陽と為し、内なるものを陰と為す。
しからざればすなわち、中は陰と為す。
その衝は下に在り。名づけて太陰と曰く。太陰の根、隠白に起こる。名づけて陰中の陰と曰く。
太陰の後、名づけて少陰と曰く。少陰の根、湧泉に起こる。名づけて陰中の少陰と曰く。
少陰の前、名づけて厥陰と曰く。厥陰の根、太敦に起こる。陰の絶陽、名づけて陰の絶陰と曰く。
これ故に三陰の離合たるや、太陰を開と為し、厥陰を闔と為し、少陰を枢と為す。三経なるものは、相失するを得ざるなり。
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