前回は身体前面・陽明部位に在る募穴について述べましたので、今回は背部兪穴について解説いたします。
先ず、兪穴の「兪」の意味を明確にしてみましょう。
兪は、舟(月)と余とを組み合わせた形。
舟は盤の形、余は把手(とって)のついた手術刀の形で、この手術刀で患部の膿血(うみしると血)を刺して盤中に移し取ることを兪といい、現代の病気や傷が「なおる、いえる」の意味となった。
『難経・六十七難』の「注ぐところを兪と爲す」という記述の意味は、また異なった観点から述べられたものですので、いずれまた稿を改めて詳しく述べたいと思います。
さて、「兪」という文字の字義から導き出されるのは、五行穴の兪穴はさておき、少なくとも背部兪穴は体内から体外へと気が出ていく場であることが理解出来ると思います。
背部兪穴が存在している足太陽膀胱経は、開・合・枢理論の「開」に相当するので理論的にも整合性がありますね。
腹部募穴は、陰濁の存在と複雑に経絡が流注しているので、臓腑の虚実の診断的意義は低いとの見解は、前稿ですでに述べたところです。
しかしこの背部兪穴は足太陽膀胱経と督脈だけが流注しています。(厳密にいえば、陽経は全て関わってきますが。)
清陽は濁陰に比べて、混じりけの無い臓腑の気を発する所であるので、背部兪穴の虚実はそのまま臓腑の虚実をかなり正確に表現していることになります。
従って、背部兪穴の状態から得られる切診情報は、診断的意義は高いと言えると思います。
また背部兪穴の字義から、どちらかと言えば陽気を瀉すのに適した部位であることも付記しておきます。
ただし、例えば腎兪穴が虚しているからと言って、直ちに腎虚などと判断するのは早計ですので、念のため。
腎兪穴の虚が、主要矛盾ではない場合、いくら腎を補っても気は動かないものです。
具体的には、腎兪が虚しているのなら、そこに比べて実しているところが無いかどうかを察知し、虚実のアンバランスを来した病理を読み取ろうとする意識が必要です。
つまり司天、在泉の概念で捉える必要があるということです。
さらに言えば、仮に腎兪穴が虚の反応を呈し、心兪が実の反応を呈していた場合、どちらが主従なのかをはっきりさせる必要があります。
このように背部全体の偏り(上下・左右)を切診し、このような偏りを来した病因病理を解明した上で、補寫の治療をする必要があるのです。
このように人体を診ると、正気の状態や七情の状態ばかりでなく、その人の気の使い方をも読み取ることができます。
そのようにできるようになると、適切な治療に加えて的を得た助言・指導をすることができます。
さらに申せば、やはり全体性・関係性を俯瞰した意識を用いると、今現在に現れている症状に囚われず、患者の過去から現在に至るまでの人生を察することも可能です。
このように背部兪穴に関わらず四診を通じて、患者の過去から現在に至る流れを掴み、病因病理を明確にした上で、輝ける未来への指針を示すことは、内経医学が志向する国士たる治療家(上工)への道です。
また治療家自身もひとりの人間として、自他を超えた人間理解に通じるので、察せざるべからずであると、大志を抱いて日々学ばれるのが良いかと思う。
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