医心方養生篇四番目は氣を用いるという節です。
槇佐知子氏は「きをおさむ」と訳しておられます。氣という概念を具体的に示し、どうやって考え感じ実践していくべきかを綴っている部分で、筆者も同意見です。
用氣第四の始めは、抱朴子、養生要集、彭祖を引用して氣と言うものの考え方、これをしっかりと養生することで得られる壽、防病について記されています。
槇佐知子氏は「きをおさむ」と訳しておられます。氣という概念を具体的に示し、どうやって考え感じ実践していくべきかを綴っている部分で、筆者も同意見です。
用氣第四の始めは、抱朴子、養生要集、彭祖を引用して氣と言うものの考え方、これをしっかりと養生することで得られる壽、防病について記されています。
抱朴子は
「人間の身体は一国と同じように考えると良い。
胸腹は宮廷の部屋、四肢は国の国境、骨節は官吏であり、心に宿る神が君、血は臣である」
「人間の身体は一国と同じように考えると良い。
胸腹は宮廷の部屋、四肢は国の国境、骨節は官吏であり、心に宿る神が君、血は臣である」
この考え方を更に進めたのが、東洋医学となります。
「従って身を治める方法を知れば、国も良く治まるはずである。
その国の民を愛すからこそ、その国を安定させようとし、その氣を愛おしく思うのであれば身体から妄りに出さないようにするのである。
その国の民を愛すからこそ、その国を安定させようとし、その氣を愛おしく思うのであれば身体から妄りに出さないようにするのである。
国民がバラバラになれば国が滅ぶように、氣が尽きれば人間は死ぬのである。
この考え方を知っているからこそ、至人は未だ起こっていないが心の患いを修め、症状として微かに出ている疾を治め、何か起こる前に癒すのである。
もし既に起こってしまったことであればいつまでも心に留めないようにしているのである。
この考え方を知っているからこそ、至人は未だ起こっていないが心の患いを修め、症状として微かに出ている疾を治め、何か起こる前に癒すのである。
もし既に起こってしまったことであればいつまでも心に留めないようにしているのである。
民は養う事は難しく、危ういことは簡単にやってしまう。
氣も清い状態で維持する事は難しく、すぐに濁ってしまう。だからこそ威厳を以て国を治めるように、節度を以て身体を修養することが必要なのである。」
氣も清い状態で維持する事は難しく、すぐに濁ってしまう。だからこそ威厳を以て国を治めるように、節度を以て身体を修養することが必要なのである。」
この事は、筆者がいつも心に留めている考え方です。
できるできないではなく、心に留めておく事。
起こってしまったことは現在、未来で対処するしかないし、あらゆる事象は自分が関連して起きていることが分かるからです。
事故であっても、病であっても小さな兆しを疎かにして、なってしまった後に、ただ嘆いていて人に頼るだけでは根本は何も解決しませんから。
できるできないではなく、心に留めておく事。
起こってしまったことは現在、未来で対処するしかないし、あらゆる事象は自分が関連して起きていることが分かるからです。
事故であっても、病であっても小さな兆しを疎かにして、なってしまった後に、ただ嘆いていて人に頼るだけでは根本は何も解決しませんから。
抱朴子云、一人之身、一國之象也。胸腹之位、猶宮室也。四支之列、猶郊境也。骨節之分、猶百官也。神猶君也。血猶臣也。氣猶民也。故知治身則能治國也。夫愛其民、所以安其國恡[忄なし]其氣所以然其身民散則國亡、氣竭則身死也。是以至人修未起之患、疾医之於無事之前不追之於既逝之後民難養而易危也。氣難清而易濁也。故審威徳所以保社禝、割嗜欲所以固血氣然後真一存焉、三七守焉、百害却焉、年壽延焉。
抱朴子に云う、一人の身は一国の象なり。胸腹の位は猶宮室の如くなり。四支の列は猶郊境なり。骨節の分は、猶百官なり。神猶君なりて、血猶臣なり。故に身を治むることを知れば則ち能く國を治む。それ其の民を愛しむるが所以に其の國を安んじ、其の気を吝むが所以にして其の身を全うす。民散じて則ち國亡び、氣竭きて則ち身死するなり。是れを以て至人は未だ起こらざるの患いを修め、未だ病まざるの疾を治め、これを無事の前に医し、これを既逝の後に追わず。民は養うに難く、危うきに易し。氣は清らかなるに難く、濁なるに易し。故に威徳を審さにして社禝を保つ所以は、嗜欲を割きて血気を固むる所以なり。然る後に真一を存ち、三一を守り、百害を却け、年壽を延ぶべし。
養生要集云、鹵公云、人在氣中如魚在水、水濁則魚痩、氣昏則人疾濁者非獨天氣昏濁但思慮縈心、得失交喪、引麁蹇亦名為濁也。
養生要集に云う、鹵公云わく、人の氣中に在るは魚の水に在るが如し。水濁らば則ち魚痩せ、氣昏るれば則ち人疾む。濁るとは独り天の氣の混濁なるのみにあらず。但だ思慮の心を榮りて、得失交喪い、麁蹇を引くも亦、名づけて濁となすなり。
又云、彭祖云、人之愛氣雖不知方術但養之得宜常壽百二十歳不得此者皆傷之也。小復暁道可得二百四十歳復能加之可至四百八十歳。
又云う、彭祖が云わく、人の氣を愛しむものは方術を知らずと雖も、但だこれを養うこと宜しきを得れば壽百二十歳を常とす。これを得ざるものは皆これを傷へばなり。小に復た道に暁ければ二百四十歳を得べく、復た能くこれに加うれば四百八十歳に至るも可なり。
又云、服氣経云、道者氣也。寶氣則得、得道則長存。神者精也、寶精則神明、神明則長生。精者血脉之川流、守骨霊神也。精去則骨枯、骨枯則死矣。是以為道者務寶其精従夜半至日中為生氣從日中至夜半為死、氣常以生氣時、正偃臥瞑目握固[握固者如嬰児之捲手]閉氣不息於心數至二百乃口吐氣出之日増息如此身神具五藏安能閉氣數至二百五十華蓋美[蓋美者眉也]耳目聡明挙身無病耶不于人也。
又云う、服氣經に云わく、道は氣なり。氣を寶べば則ち道を得る事を得、道は則ち長く存す。神は精なり、精を寶ずれば則ち神、明を明らめ、明なれば則ち長生す。精は血脉の川流にして骨の霊神を守る。精去れば則ち骨枯れ、骨枯れれば則ち死す。これを以て身治をおさむる者は務めてその精を寶ぶ。夜半より日中に至るを生氣と為し、日中より夜半に至るを死氣と為す。常に生氣の時を以て、正しく臥瞑目し、握固し「握固とは嬰児の手を捲くが如くす」氣を閉じて息せず、心中に数うること二百に至りて、乃ち口より氣を吐きてこれを出だす。日ごとに息を増すことこの如くすれば、身神具りて五藏安らかなり。能く氣を閉ざして数うること二百五十二至れば、蓋美「蓋美とは眉なり」を華しうして耳目聡明、挙身病なく、邪人を干かさざるなり。
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