養形は細かな養生法がたくさんある為に、項目別に記してくれています。今回は目と髪について。
眼は昔は命門と呼ばれていましたが、東洋医学では現在、腰を命門と呼んでいます。
下半身で火を炊き、お腹に溜めた栄養を沸かして蒸気にし、その中で極めて精錬された気が眼に宿って様々なものを見ることができる。
このように考えられていたと考えると、命の源と出口としてどちらも命門という言葉がしっくりきます。
下半身で火を炊き、お腹に溜めた栄養を沸かして蒸気にし、その中で極めて精錬された気が眼に宿って様々なものを見ることができる。
このように考えられていたと考えると、命の源と出口としてどちらも命門という言葉がしっくりきます。
従って眼論では、
「眼を治療しようと思うなら、病の軽重を問わず、風や寒さ、雨、寒暑に晒すことや過度の仕事をしてはいけない。同時に房事や飲食の禁忌に及ぶまで全て犯してはならない」と、言っています。
千金方では、眼だけでなく人生全般から見て語っています。
「若い頃、自分で養生し、行いを慎んでいなければ、四十歳にもなれば次第に視力が衰えてくる。もし養生を行い、慎んでいれば白髪になるまで異常なく過ごすことができる。だから、四十を越したら事ある毎に極力眼を使わないようにするのが死ぬまで保たせる為の極意である。」と、書かれています。
当然ながら、現代社会ではそこまでの事は不可能ですが、少しでも眼を休めたり、眼の養生を行う事が四十歳過ぎてからとても大切な事が分かります。
又、「五辛を生で食べること、熱い飲食物を取ること、頭を刺してたくさん出血すること、眼を使いすぎたり、夜細かな字の本を読むこと。長い時間火煙の前にいること。本の書写を長年やること。博奕をやりすぎること。日没後に本を読むこと。飲酒を止めないこと。麺類を熱くして食べること。細かな細工物をすること。涙を流してしょっちゅう泣くこと。房事過多、夜遠い星や火を見ること。太陽や月を度々見ること。月のあかりで本を読むこと。眼を見張って山川草木を見渡すこと」この十七項目は全て視力を失う元になる為、慎むべきである。
眼の使い過ぎやあらゆる面での刺激のし過ぎは全て眼に影響があることは、精力の使いすぎと繋がっています。
眼の項目で特出すべきは、王弼の縁者で列子注を著した張湛の六つの眼の養生です。
「読書の量を減らすこと。思索を減らすこと。内省を専一にすること。外界を見ることを出来るだけ簡単にする事。朝は遅く起きること。夜は早く寝ること。」
東洋医学を勉強していると一々うなずける六項目ではありますが、人によって行動の偏りがありますので、その人を観て、その人にあった養生にカスタマイズしてあげる方が良さそうですね。
そして、眼の養生が終わると、髪の養生に入ります。
養生要集の中で引用されている中経には、
「髪は血の窮みであり、千回以上髪を梳くと髪は白くならない」と書かれ、
千金方には、
「朝は食後に髪を洗い、梳かすようにすべきである」と書かれています。
延壽赤書や真[言告]には、「梳く時にはまんべんなく何度も梳くように」と、
髪の毛を育てる地肌の血流を大事にしているようです。私には関係ありませんが…
原文と書き下し文
眼論云、夫欲治眼、不問軽重、悉不得渉風霜、雨水、寒熱、虚損、大労、并及房室、飲食禁忌、悉不得犯。
眼輪に云う、それ目を治さんと欲すれば、軽重問わず、悉く風霜、雨水、寒熱、虚損、大労を得ず。併せて房室、飲食の禁忌に及びて、悉く犯すを得ずと。
千金方云、凡少時、不自将慎、年至四十即漸漸眼闇。若能依此将慎、可得白首無他。所以人年四十以去恒須冥目、非有要事不肯輙開。此之一術護慎之極也。
千金方に云う、凡そ少なき時、自ら将い慎まざれば、年四十にして漸々として眼闇む。もし欲これによりて将い慎めば、白首までも他なきを得るべし。所以に人年四十にして以去は、恒に須く目を冥ぎて、要事あるにあらざれば肯て輙開せざれ。此の一術は慎を護るの極みなり。
又云、生食五辛、接熱食飲、刺頭出血過多、極目視、夜讀細書、久処煙火、抄寫多年、博奕不休、日没後讀書、飲酒不已、熱食麺食、彫鏤細作、泣涙過度、房室無節、夜遠視星火、數向日月輪看、月中讀書、極目贍視山川草木。右一十七件並是喪明之由養生之士宜熟慎焉。
又云う、五辛を生食すること、熱き食飲に接すること、頭を刺して出血過多なること、目を極めて視、夜細書を読む事、久しく煙火に処ること、抄写多年なること、博奕休まざる事、日没の後に書を読むこと、飲酒已まざること、麺食を熱食すること、彫細作すること、泣涙過度なること、房事節なきこと、夜星火を遠視すること、数々日月の輪に向かいて看ること、月中に書を読むこと、目を極めて山川草木を眈視するすること、右の十七の件は、並これ明を喪うの由なり、養生の士は宜しく熱く慎むべし。
又云、有馳騁田猟冒渉霜雪、追風追獣日夜不息者亦是傷目之媒也。
又云う、馳騁田猟して霜雪を冒し渉り、風を迎えて獣を追い、日夜息まざるものは、亦これ目を傷るの媒なり。
又云、凡旦起勿開目洗令目渋失明饒涙。
又云う、凡そ旦起きて目を開き、洗うこと勿かれ。目をして渋く、明を失い、涙を饒からしむ。
又云、凡熊猪二脂不作燈火煙氣入目光不能遠視。
又云う、凡そ熊猪の2つの脂もて燈火を作らざれ。煙気、目光に入りて遠視すること能わず。
養生要集云、中経云、以冷水洗目引熱氣令人目早瞑。
養生要集に云う、中経に云うに、冷水を以て目を洗い、熱気を引かば、人の目をして速く瞑からしむ。
養性志云、日月勿正怒目久視之令人早失其明。
養性志に云う、日月を正しく目を怒らせて久視すること勿かれ。これ人をして早くその明を失わしむ。
靳卲服石論云、凡洗頭、勿使頭垢汁入目中。令人目早瞑。
靳卲の服石論に云う、凡そ頭を洗うに、頭垢の汁をして目中に入らしむる勿かれ。人の目をして早く瞑からしむ。
晋書[宇治本无、在医本]云、范寧、字武子。目痛就張湛求方、答云、治以六物損讀書一。減思慮二。専内視三。簡外観四。且晩起五。夜早眠六。凡六物熬以神火下以氣節、蘊於胸中七日。然後納諸方寸。循之非但明目乃亦延年。
「以下、宇治本になく医本にあり」
晋書に云う、范寧、字は武子、目痛を患いて張湛に就きて方を求む。答えて云わく、治するに六物を以てせんと。
読書を損すこと、一。思慮を減ずること、二。内視を専らにすること、三。外観を簡にすること、四。旦晩く起くること、五。夜早く眠ること、六。凡そ六物を煞るに、神の火を以てし、下すに気の篩を以てし、胸中に蘊むること七日。然る後、諸を方寸に納む。これに循えば、但だに目を明めるのみに非らず。乃ち亦、年を延ぶ。
養生要集云、中経曰、髪血之窮也。千過梳髪、髪不白。
養生要集に云う、中経に云うに、髪は血の窮なり。千過髪を梳けば。髪は白くならず。
千金方云、凡旦欲得食訖然後洗梳也。
千金方に云う、凡そ旦には食訖りて然る後洗梳を得んとせよ。
唐臨脚気論云、數須用梳櫳頭。毎梳髪欲得一百餘梳立大去氣。
唐臨の脚気論に云う、数々梳を用いて櫳頭すべし。髪を梳く毎に、一百余梳を得んと欲すれば、亦大いに気を去る。
延壽赤書云、大極経曰、理髪宜向壬地、當數易櫛。櫛処多而不使痛。亦可令侍者櫛之取多佳也。於是血流不滞、髪根當堅。[令侍者濯手、然令櫛不然汚天宮也。]
延壽赤書に云う、大極経に云うに、髪を理うには宜しく壬地に向かい、数々櫛を勿うべし。櫛する処多く、而も痛ましめざれ。亦、侍者をしてこれを櫛らしむべし。取る事多きが佳しなり。是に於いて血流滞らず、髪根当に堅なるべし。[侍者をして手を濯がしめ、然して櫛けずらしめよ。然らざれば天宮を汚す。]
又云、真詰曰、櫛髪欲得弘多通血氣散風湿也。數易櫛逾良。
又云う、真詰に云うに、櫛髪弘多を得んとせよ。血気を痛時、風湿を散ず。数々櫛を易うれば逾々良し・
又云、丹景曰、以手更摩髪反理櫛旦熱令髪不白也。
又云う、丹景経に云うに、手を以て更髪を摩で、反えして理えて櫛れ。但だ熱くすれば髪をして白くせず。
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