武道の修練段階として良く言われる守・破・離についてですが、あらゆる分野にも通じる理でもあります。
守; 形を守る段階。基礎構築の時期であり、自分にないものを一心に学ぶ時。
破; 形を破る段階。基礎を使って自由に遊び、応用し、数をこなす時期であり、自分の持っている
ものを最大限に使う時。
離; 形から離れる段階。基礎を無視して完全独自な方法を取るが、実は基礎の中でも
見えない根幹部分から外れない状態。修練の最終形態であり、独自性と一つの道
(太極)の完成形。
今の自分がどのような学び、研鑽の状態にいるのか思い描いてみてください。
何も知らない人が知りたいと思って知識を真っ白な気持ちで受け入れ、自分の経験や想像と一致させて実用できるように準備する-いわゆる学ぶ時です。
この段階で熟成する必要がありますが、ここに時間がかかりすぎたりいいかげんであると破、離は遠く及ばないでしょう。
実用し始めて、守の段階と相交して思考、実行できる段階。
自分でできるマニュアルとそれを逸脱しても対応できる力を養う段階。
ここにくるとやりがいが出て来て、やっと面白くなり始めます。やりがいができれば自分なりの目標を立てやすく、責任感が生まれてきます。
目標が大きくなり、志となります。
何をしていても自分の目標と擦り合わせており、潜在意識に入り込んでいるので何を見ても目標に繋がります。
時代の趨勢は簡単、便利、早い、安いですが、その固定観念から先ずは自分の考えを切り離し、守・破を繰り返し練り上げて行かなければ、離と言う境地は一生見えてきません。
簡単に得られるものは誰でも真似ができる利点がある反面、そこに深さはありません。目の前に見えるものだけ相似しているようなものです。
便利という考え方は自分の欲の都合に合わせています。全てのものが自分の欲に適う訳ではなく、そこに合わせると矛盾に対処できなくなります。
複雑なことを同じ質で単純化し、使いやすいように改変し、速度を上げることは可能です。
しかし初めから簡単、便利、安いものは底が浅く、応用も発展性も無く、しかも自分の学びにも相手の気づきにも相感するものが無い事に、いち早く気づくのが第一歩になると思います。
簡単に得られるものは誰でも真似ができる利点がある反面、そこに深さはありません。目の前に見えるものだけ相似しているようなものです。
便利という考え方は自分の欲の都合に合わせています。全てのものが自分の欲に適う訳ではなく、そこに合わせると矛盾に対処できなくなります。
複雑なことを同じ質で単純化し、使いやすいように改変し、速度を上げることは可能です。
しかし初めから簡単、便利、安いものは底が浅く、応用も発展性も無く、しかも自分の学びにも相手の気づきにも相感するものが無い事に、いち早く気づくのが第一歩になると思います。
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