前回ブログでは、関係性に光を当て、時には原点に立ち帰って見つめることの大切さを説きました。
原点に立ち帰るとは、旅の途上で我に帰り、現在地を確認することです。
時代を経るに従って、人間を取り巻く関係性は、非常に複雑で広範囲となっています。
2008年9月15日、はるか海の向こうのアメリカで起きたリーマンショックは、直接私たちの生活との繋がりを実感出来ないにも関わらず、大きな影響を与えました。
私たちとは、縁もゆかりも感じない中東で、石油の価格が決められると、私たちの生活に大きな影響をダイレクトに与えます。
このように、私たちは世界との関係性が深まった半面、避けがたい自分以外の影響を受けるようになっているのです。
このように私たちを取り巻く関係性が、複雑に広範囲となって行く半面、失ったものも大きいのです。
それは、地縁、人縁。
永く農耕を主として形成された農村は、土地との繋がりはそのまま生命線でした。
環境を保全することは、何よりも優先されていました。
村々に存在している、鎮守の森、氏神・産土神社がその象徴です。
人間は、土地を基盤として密接に繋がっていました。
また、機械化される以前の農村では、村人が個人の枠を超えて協力し合わなければ、農業そのものが成り立ちませんでした。
他人事であっても、よそ事で済まない社会だったのです。
子育てを例にとると、夫婦の間に生まれた子供であっても、地域の人が一緒になって育てるという関係が、自然と成り立っていました。
一方、地縁、人縁から切り離された都市部のマンションでは、子育てに煮詰まってしまい、子供を虐待にまで追い詰めてしまったと、子供が成人した後々まで自責の念に苦悩している母親を何人か臨床で目にしました。
都市部では、人との関係が希薄です。
さびしい、孤独・・・不安を訴える方もおられます。
歩道で道を譲られても、地下鉄で肩がぶつかっても、振り返ることすらしない人がほとんどです。
人と人が本来、求めあっているものは、いったい何だったのでしょうか。
このようなことにまで、意識を向けながら養生することが、現代では必要になってきています。
( 筆者 : 金澤秀光 )
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