ブログ「鍼道 一の会」

医の心(8) 薬斤両升合法 第七 及び 薬不入湯酒法 第八

医心方

 第七篇薬斤両升合法は、度量衡に関して記載されています。敢えて書くと、度量衡は数字であり、道具です。

 本草経、蘇敬の言葉、葛氏方、千金方、経心法、小品方等から引用されています。

煩雑な為、要点のみを述べると、現代と当時は量を測る単位が違いますが、当時既に書物によって単位が違うことをどのように統一して考えるかが書かれています。

 現代では統合医療と称して、現代医学ベースでコメディカルな話が進んでいるようですが、現代医学ベースでは測れないものも包含されてしまうと内容が根底から変わってきます。ミクロ的視野で変化、減退している過程だけをスポットに当てていると本来の見えない原因、或いは他の部分の弱さから来ているものを見落とす可能性が高くなるのです。

 例えば、肩こりや腰痛等比較的発症頻度が高い疾患に関しては、現代医学では局所の筋の緊張状態、血流、関節の可動域制限の有無など、愁訴がある部分に特化して診る傾向にあります。

 一方東洋医学では、身体全体の気血のバランス、偏在に焦点を当てます。

腹たつことがあったのか、何か我慢をしているのかなども肩で気血が止まる原因になります。  

 単純に、打撲損傷などの局所に問題があれば局所へのアプローチだけで改善しますが、改善した状態が持続せず慢性化している場合は、診る焦点が間違っているのではないでしょうか?

 愁訴が起きていない他の部分や本人の現在の心、過去の経験を身体に引きずっている場合等は、局所だけでは測れないのです。

 そういう視点から見ると、東洋医学では様々な尺度や観点があり、柔軟に対応しやすい反面、煩雑さがあり、医療者の技術力と心の持ち方、度量が問われます。

 反面現代医学では、一つの尺度・視点で検査、治療を行うため、標準化しやすい反面、人を心と体・部分と全体の関係を一つの纏まった総体として診ることが出来ないと言えるのではないでしょうか。

 技術は薬剤と同じく統一できる可能性はありますが、根底にある思想・哲学をよくよく吟味しなければ、医学の在り様が根底から変わる可能性がある為、注意が必要だと呼びかけられているように感じました。

 次の第八篇である薬不入湯酒法第八では本草経のみの引用になっています。

 薬には、丸にした方が良いものがあり、散にした方が良いものがあり、水煮にした方が良いものがあり、酒に漬した方が良いものがあり、又一つのもので兼ねて使えるものがあり、又湯酒に入れてはいけないものがある。

 同時に薬性に従って、やり方を違えたり、やり過ぎたりしてはいけない。


と書かれ、湯や酒にして服用すべきではない薬について記載されています。

 石類十七種、草木類四十七種、虫獣類二十九種です。

 現在の西洋薬とは、かけ離れている感がありますが、どちらが本当に人の身体を診ようと考えているかは一目瞭然ではないでしょうか。

 大切な人の命を扱う際に、その薬の扱いも大切にしていたことを考えると、薬の効果は化学組成の問題だけではないと感じるのは私だけでしょうか。

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