督脈については、以下の3文献の中で<素問・骨空論>の記載は複雑ではあるが、臨床的には非常に示唆的である。
ここで注目していただきたいのは、督脈が目の内眥から起こって走行している部位が、まさに足太陽そのものであるという点である。
さらに少腹から臍中央を貫いて顔面部に至る経路は、任脈と同じである。
<霊枢・経脈>を見ると、やはり足太陽との関係の深さが理解される。
また<難経 二十八難>にある背裏の流注は衝脉と重なる上に、足太陽の流注と同様に脳との関係を説いている。
おそらく王叔和は、これらの記載から一源三岐説を導き出したのではないかと想像しているのですが、どうなのでしょう。
以下、3文献、少し長くて複雑ですが、大まかに掴んでいただけたらと思います。
1.素問 骨空論
督脉者.起於少腹.以下骨中央.
女子入繋廷孔.其孔.溺孔之端也.
其絡循陰器.合簒間.繞簒後.別繞臀.至少陰.
與巨陽中絡者合少陰.上股内後廉.貫脊屬腎.
與太陽起於目内眥.上額交巓上.入絡腦還出別下項.循肩膊内.侠脊抵腰中.入循膂絡腎.
其男子循莖.下至簒.與女子等.其少腹直上者.貫齊中央.上貫心入喉.上頤環脣.上繋兩目之下中央.
督脉なる者は、少腹に起り、以って骨の中央を下る。
女子入りて廷孔に繋り、其の孔、溺孔の端なり。
其の絡は陰器を循り、簒間に合し、簒後を繞り、別れて臀を繞り、少陰に至る。
巨陽の中絡なる者と少陰に合す。(足少陰は)股内の後廉を上り、脊を貫き腎に屬す。
(督脈は)太陽と目の内眥に起り、額を上り、巓上に交わり、入りて腦を絡い還り出て別れ項を下り、肩膊の内を循り、脊を侠み腰中に抵り、入りて膂を循り腎を絡う。
其れ男子は莖を循り、下りて簒に至り、女子と等し。其の少腹より直ちに上る者は、齊の中央を貫き、上りて心を貫き喉に入り、頤を上り脣を環り、上りて兩目の下の中央に繋る。
2.霊枢 経脉
督脉之別.名曰長強.挾膂上項.散頭上.下當肩胛左右.別走太陽.入貫膂.
督脉の別、名づけて長強と曰く。膂を挾み項を上り、頭上に散ず、下りて肩胛の左右に當り、別れて太陽に走り、入りて膂を貫ぬく。
3.難経 二十八難
督脉者.起於下極之兪.並於脊裏.上至風府.入屬於腦.
督脉なる者は、下極の兪に起り、脊裏に並び、上りて風府に至り、入りて腦に屬す。
ここまでの記載で浮かび上がってくるのは、両腎の間から体内の中心部=背骨に沿って腎気の大きな流れがあり、腹部前面に浮かび上がったものが任脈であり、背部後面に浮かび上がっているのが督脈であることが理解される。
その背骨に沿って体内の中心部を流れているのが衝脉であり、衝脉こそが任脈・督脈の根源ということになる。
本来、ひとつのものを三つに分けて名称を与え、認識していることになります。
さらに衝脉を源とする任脈は、体表前面に浮いて顔面部に至るため、陽明との関係がとりわけ深いことが理解される。
このことは<素問・上古天真論>に記載されている腎気の盛衰と陽明との関係を見るとさらに明確になる。
女子 「四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.五七陽明脉衰.面始焦.」
男子 「四八筋骨隆盛.肌肉滿壯.五八腎氣衰.髮墮齒槁.六八陽氣衰竭於上.面焦.」
つまり女子は四七・28歳で腎気の最盛期を迎えその後次第に衰え始め、五七・35歳で陽明脉が衰える。
男子は、四八・32歳で最盛期を迎えたのち、五八・40歳ではっきりと腎気の衰えが目立つようになり、六八・48歳で顔面部の陽気が衰え、男女ともに陽明部位である顔面部にその特徴が現れると記されている。
のちに触れることになるが、衝脉と足陽明との関係の深さを、ここでも知ることができる。
また同じく衝脉を源とする督脈は、体表・後面に浮いて頭部に至り、陽経に沿って下っていく。
その中でもとりわけ足太陽との関係が深いことは、前述の通りである。
任脈・督脈が勢いよく吹き上げ、頂点に達して下っていくイメージは、あたかも噴水のようである。
では腹部・任脈と、背面・督脈の特徴的な違いは何か。
これは腹部・募穴と背部・兪穴を使い分ける上で、非常に重要になってくる。
その前に、衝脉についてしっかりと認識するのが先ですね。
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