【七一条】
太陽病、發汗後、大汗出、胃中乾、煩躁不得眠、欲得飲水者、少少與飲之、令胃氣和則愈。若脉浮、小便不利、微熱、消渴者、五苓散主之。方三十四。(即猪苓散是)
太陽病、發汗後、大いに汗出で、胃中乾き、煩躁して眠ることを得ず、水を飲むを得んと欲する者は、少少與(あた)えて之を飲ましめ、胃氣をして和せしむれば則ち愈ゆ。
若し脉浮、小便不利、微熱、消渇(しょうかつ)する者は、五苓散之を主る。方三十四。(即猪苓散是)
この条文は、<太陽病、發汗後>を冒頭において、ふたつに分けて解説します。
① 太陽病、發汗後、大汗出、胃中乾、煩躁不得眠、欲得飲水者、少少與飲之、令胃氣和則愈。
② 太陽病、發汗後、若脉浮、小便不利、微熱、消渴者、五苓散主之。
①太陽病で発汗したのち、大いに発汗したので煩躁が現れて眠ることが出来ない場合は、水を飲ませてみて、胃気が和降するようであれば治癒しますとあります。
もし治らない場合は、どうなのでしょう。
服桂枝湯、大汗出後、大煩渴不解、脉洪大者、白虎加人參湯主之。
煩渇とありますので、白虎湯類の証が現れるかもしれませんね。
②は、発汗後にまだ脈が浮いているので肌表に小邪が残っています。
また、消渇と小便不利とありますので、飲んでも飲んでも口渇が治まらず、しかも小便が出ないことが分かります。
74条をみてみましょう。
【七四条】
中風、發熱六七日不解而煩、有表裏證、渴欲飲水、水入則吐者、名曰水逆、五苓散主之。
中風、發熱、六、七日解(げ)せずして煩(はん)し、表裏の證有り、渇して水飲まんと欲し、水入れば則ち吐する者は、名づけて水逆と曰う、五苓散之を主る。
「水入則吐者、名曰水逆」とありますので、飲水が中焦から心下にかけて、一杯になっていることが分かります。
そして飲んだ水が、熱源に届いて冷ますことが出来ないから口渇が治まらないのですね。
微熱とありますが、この口渇を来している熱源は一体どこなのでしょう。
小便不利なので、水が下焦に達して気化していない状態です。
そして、どこで水が堰き止められているのでしょう。
下図は、腹証奇覧から引用したものです。
心下付近は、水が溢れているので水振音が確認できると思います。
上図からは、水分穴から下脘穴付近で、水と気が結んでいることが分かると思います。
この部で水が堰き止められ、下焦に通じないので小便不利となっていると考えられます。
またP316<金匱要略・痰飲咳嗽病>
31条「假令痩人、臍下有悸、吐涎沫而癲眩、此水也」とありますので、臍下で水と結びの悸がある場合があることが分かります。
奔豚気の茯苓桂枝甘草大棗湯にも臍下の悸がありましたね。
五苓散証の癲眩は、水邪が勢いよく上衝するので奔豚よりも症状は重いですね。
ちょっと、繋がってきますでしょうか。
この水と気の結びが解けると、熱源に水が通じて口渇が治まり、小便も通利するようになることが分かります。
この結びを解くために、甘淡平の茯苓と猪苓、甘淡寒の沢瀉が用いられているのだと考えられます。
そして苦温の白朮で水を動かし、桂枝で表陽を行らすという方意になります。
服用後の反応は、P182 <弁発汗病>79条「脈浮、小便不利、微熱、消渇者、與五苓散、利小便発汗」
とありますので、小便利と発汗が得られて後、この病態が解けると知れます。
鍼でしたら、結びを解くためにどこに着眼して取穴しますでしょうか。
水は陰邪ですので、基本は下に引いて瀉すという手が思い浮かびますね。
〔五苓散方〕
猪苓(十八銖去皮) 澤瀉(一兩六銖) 白朮(十八銖) 茯苓(十八銖) 桂枝(半兩去皮)
右五味、擣為散、以白飲和服方寸匕、日三服。多飲煖水、汗出愈、如法將息。
猪苓(ちょれい)(十八銖、皮を去る) 澤瀉(たくしゃ)(一兩六銖) 白朮(びゃくじゅつ)(十八銖) 茯苓(十八銖) 桂枝(半兩皮を去る)
右五味、擣(つ)きて散と為し、白飲を以って和し方寸匕(ほうすんひ)を服し、日に三服す。多く煖水(だんすい)を飲み、汗出でて愈ゆ、法の如く將息す。
次に73条の茯苓甘草湯を見てみます。
【七三条】
傷寒、汗出而渇者、五苓散主之。不渇者、茯苓甘草湯主之。
傷寒、汗出でて渇する者は、五苓散之を主る。渇かざる者は、茯苓甘草湯之を主る。
〔茯苓甘草湯方〕
茯苓(二兩) 桂枝(二兩去皮) 甘草(一兩炙) 生薑(三兩切)
右四味、以水四升、煮取二升、去滓、分温三服。
茯苓(二兩) 桂枝(二兩去皮) 甘草(一兩炙) 生薑(三兩切)
右四味、水四升を以って、煮て二升を取り、滓を去り、分かち温め三服す。
五苓散と茯苓甘草湯の鑑別は、口渇の有無であることが記されています。
しかしどちらの証にも、腹部のどこかに「悸」があることが分かります。
発汗後のバリエーション、多いですね。
そして最後の、75条は後人の注釈だと思いますので、意訳だけに止めておきます。
【七五】
未持脉、病人手叉自冒心。師因教試令欬、而不欬者、此必兩耳聾無聞也。所以然者、以重發汗、虚故如此。發汗後、飲水多必喘、以水灌之亦喘。
未(いま)だ脉を持(じ)せざる時、病人手叉(しゅさ)して自ら心を冒(おお)う。師因(よ)りて教え試みるに欬(がい)せしむ。而(しか)るに欬(がい)せざる者は、此れ必ず兩耳(りょうじ)聾(し)いて聞ゆること無きなり。然(しか)る所以(ゆえん)の者は、重ねて發汗することを以て、虚する故に此(か)くの如し。發汗後、飲水多ければ必ず喘(ぜん)す、水を以って之に灌(そそ)ぐも亦(ま)た喘す。
脈診をする前に、病人は手を交叉して心胸部を覆っている。そこで医師が試しに咳をするように病人に指示しても、咳をしない場合は両耳が聞こえていたいからである。
このようになったのは、何度も発汗を重ねたために、正気が虚してしまったためである。発汗後に、飲水が多すぎると必ず喘が現れる。水を身体に灌ぎかけても、また喘ぎが現れる。
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