前回補瀉論(1)(2)のブログで一貫していることは、補瀉の目的です。
補瀉論(1)補瀉の字義
補瀉論(2)虚実の字義
それは『正気の回復』を図ること。
虚実は、正気と邪気の状態を表す概念ということは、ご理解いただけたのではないでしょうか。
そして中医学的な虚実の定義です。
虚とは、正気が不足した状態。
実とは、邪気が有余した状態。
そして虚に対しては補法を用い、実に対しては瀉法を用いるのが原則です。
この点に関しては、初学の方も良くご存じのことだと思います。
くどいようですが、この二つの方法を駆使して『正気の回復』を図るのが東洋医学の基礎的な考えの出発点です。
では治療を行う上で、虚であるから単純に正気を補えばよいのでしょうか。
もしそうであるなら、事は簡単ですね。
ところがやはり、そうはいきません。
なぜなら、自力で正気が回復出来ないのは、回復を妨げている何らかの要因があるからでです。
例えば激しいスポーツをして、疲労困憊してしまった場合を想定します。
食事を摂って(陰気を取り入れ)、夜ぐっすりと眠る(陰気を養う)ことが出来れば、自ずと陰陽が整って正気は回復します。
これが自然治癒力ですね。
問題となるのは、食事を摂って夜も眠っているにもかかわらず、正気が回復しない場合です。
陰陽が和して正気が回復することを妨げている、何らかの要因があるはずです。
この回復を妨げている邪気が、正気の虚に隠れて必ず存在しているからこそ病となっている訳です。
実の場合は、邪気と正気共に充実しているのですから、あたかも満ちた川の堰を切るかのように瀉法を用いれば、後は正気が邪気を勝手に排出してくれる訳です。
ある意味、虚証よりも実証の方が事は簡単です。
瀉法は、正気が不足していれば邪気が存在していても押し出す力が無いので、効果的でないばかりか、正気だけが漏れてしまうことになります。
このように考えると、虚を補うためには、ひと工夫もふた工夫も必要になります。
邪を追い出すのは、どこまで行っても正気の力です。
ちなみに元来、鍼や漢方には、外から正気を補い足す力などはありません。
ここは、本当によく勘違いされるところです。
もしそのようなことが出来るのでしたら、人間はいつまでも永遠に生きていくことが出来るようになります。
有り得ないことですよね。
気功など、あたかも外から気を照射してパワーを注入して元気を取り入れるなどのイメージがありますが、これはおそらく、マスコミなどの影響が大きいのかもしれません。
パワースポットなども同じです。
生きているのですから、気を出したり入れたりしているのは事実です。
ですが正気を取り入れるという考え方は、正確には誤りだと思います。
共感・共鳴などにより、元々存在していたその人自身の正気が感応して伸びやかに張り出し、元気になるに過ぎないと考えます。
これとて、大事なことだと思いますが。
恋愛すると、明るく元気になるのと同じことです。
パワースポットなどは、自然の場だけでなく、人間関係のあらゆるところにも存在しています。
では、正気の源はどこにあるのか。
正気の源は、どこまで行っても人間自ら取り入れる「天の気=空気」と「地の気=飲食物」だけと考えています。
そうであるなら、鍼や漢方で行う「補瀉」は、どのように考えるのでしょうか。
その答えの一端は、鍼や漢方は、元々その人に備わっている正気を動かす道具に過ぎないということです。
がしかし、その道具の使い方次第で、人の不幸を助けることが出来るのですねぇ。
つづく・・・
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