前回までのお話し↑
さて、この天人地=上中下の三才ですが、これに東西南北中央を当てはめると、空間の出来上がりです。
さらに春夏秋冬の四季を加えますと、時系列で空間の変化を観察することが出来ます。
これを人体と相関させると下図になります。
自然界の天の部は、横隔膜の上で胸郭部から頭部に相当します。
人の部は、横隔膜からおへそにかけてのお腹。
地の部は、おへそから下半身に相当します。
自然界の天の気は、人間のこころと同じように様々に変化して世界に影響を与えます。
古代中国では、この宇宙の霊妙不可思議な作用を『神』と呼ぶのですが、人間にもこの『神』が備わっていると考えます。
さてさて、この『神』、易経という大変古い書物には、
「陰陽で測ることのできないもの、これを神という」
のだと記されています。
<易経 繋辞上伝 陰陽不測之謂神>
これ、何度読み返しても卓見だと思います。
陰陽というのは理ですから、『神』とは人智を超えたものなのだと当時の人々は達観していたのですね。
逆に観れば、『神』とは、直観的に感じ取るものであるということです。
なぜなら、自らがすなわち『神』であるからです。
このように思うと、我利我利の自我も、それを超える『神』を自覚するためにあるのかもしれませんね。
そのように思うと、筆者は随分と心が楽になります。
我々全員、いや草木も動物も、ありとあらゆるものに『神』は内在し、生命の表現するあらゆる現象は、『神』の顕れといえます。
日本神道では、八百万の神と言いますよね。
まさにこのことですね。
東洋医学では、この『神』を候う事から始まります。
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