沈丁花 於:近隣の花壇より
本篇は表題の通り、脾の蔵と胃の腑との関係を中心に述べられたものであるが、脾胃は五行的にも三焦的にも上・中・下の中央に位置し、脾気の昇・胃気の降で上下の気の流れの『枢』の機能を有している。
また、脾胃について一篇を設けて著していることから、とりわけ『胃の気』が内経医学で重要であることを改めて示しているように思う。
本文中の
≪陽なる者は天氣なり。外を主る。陰なる者は地氣なり。内を主る。故に陽道實し、陰道虚す。≫
のくだりは、歴代の医家がそれぞれ説くところがあったが、どれもしっくりとするイメージが湧かなかった。
そこで陰陽応象大論の≪地氣は上りて雲と爲し、天氣は下りて雨と爲す。雨は地氣より出で、雲は天氣より出ず。≫のくだりを念頭にして、思うままに意訳を試みた。
四肢の麻痺やパーキンソン病などは、西洋医学的には脳血管障害後遺症・機能障害などとして認識されるが、我々は「脳疾患」という狭い概念にとらわれて病態を診るべきではないことを、この篇の内容が指示している。
原 文 意 訳
黄帝が問うて申された。
太陰と陽明は、互いに表裏の関係である脾胃の脉である。して、病を生ずればそれぞれ事情が異なるのは、どのような訳であるか。
岐伯がこれに対して申された。
陰陽の高低・深さ・内外が異なりますので、それぞれ互いに虚となったり実となり、また四時の変化によって逆となったり従となったりいたします。あるいは内が主導したり外が主導したりと、その時々の状況によって異なるからであります。
黄帝が申された。
その異なるありさまを聞かせてもらえないだろうか。
岐伯が申された。
陽と申しますは、天気のことでございまして、外を主ります。
陰と申しますは、地気のことでございまして、内を主ります。
従いまして、外の衛りである陽道は実していなければなりません。それに対して、内の営気は常に外の衛りのために営気を消耗いたしますので、陰道は虚しやすいのであります。
賊風や虚邪が人体を犯す場合は、まず外の衛りであります陽がこれらを受けます。
また飲食の不摂生や惰眠による陰気有余、睡眠不足による陰気不足など、起居の不摂生によるものは、陰がこれらの害を受けるのであります。
外の衛りであります陽が外邪を受けますと、まずは六腑に入ります。陰が外邪を受けますと、直接五臓に入ってしまいます。
陽である六腑に入りますと、発熱して寝ても起きてもおられず、気が上逆して喘ぎながらゼーゼーと声を出すようになります。
陰である五臓に入りますと、胸腹部が脹満となり閉塞いたしますので息苦しく、身体下部では未消化下痢を起こし、慢性化いたしますと常に粘性の下痢となります。
また喉は天気を主りますので、陽気として上り、外の衛を主ります。
咽は地気を主り、陰気として下り、内の営気を主ります。
従いまして、自然界の陽邪である風気は、人体の陽である外衛を傷りやすく、陰邪である湿気は、人体の陰である営気を傷りやすいのであります。
咽から入りました地気=陰気は、身体下部に下った後、足から上行いたしまして頭に至り、そこで極まり、上腕部を下行して指先に至ります。
喉から入りました天気=陽気は、手より上行いたしまして頭に至り、下行して足に至って極まるのであります。
従いまして、陽病は上行して一旦極まり、やがて下行して下に症状が移行し、陰病は下行して極まると上行して上に症状が移行するのでございます。
ですので、陽邪であります風邪に傷られますと、当初は先ず陽であります上に症状が現れ、陰邪であります湿邪に傷られますと、同じく陰であります下に先ず症状が現れるのでございます。
さらに陰陽それぞれが極まりますと、風邪の症状は次第に下行し、湿邪の症状は上行するのであります。
帝が申された。
脾を病むと、四肢が思うように動かすことができなくなるのは、どのようなわけであるのか。
岐伯が申された。
四肢と申しますのは、その気を胃から受けていますが、直接受け取ることが出来ないのであります。必ず脾気によって胃気を四肢に達することが可能となるのであります。
今脾を病みますと、脾は胃のために津液を行らせることができなくなります。
従いまして四肢は水穀の気を受けることができませんので、四肢だけでなく全身の気は日に日に衰えてまいりまして、脉道も機能しなくなり、筋骨や肌肉などの全てが、気によって生じ養うことができなくなってまいります。
このような理由で、四肢を思うように動かせなくなるのであります。
帝が申された。
脾は、四時に対応していないのは、どういうことか。
岐伯が申された。
脾は五行では土性でありまして、その位は中央であります。常に四時において他の四臓を養っております。
従いまして脾は、四時の変わり目、土用の各一八日間に寄せて旺じますので、この脾単独で四時に対応していないのであります。
脾の臓と申しますは、土の精の働きを、常に胃に顕著に示します。
土は万物を生じる資でありまして、また天地陰陽の気の変化に法っております。
人体におきましても同様に、天地に法り上下して頭足に至りますので、特定の四時に対応していないのであります。
帝が申された。
脾と胃は、膜を以て互いに連なっているだけであるのに、よく胃のために津液を行るとは、どのようであるからか。
岐伯が申された。
足の太陰は、三陰中最も奥深い至陰でございます。その脉は、胃を貫き脾に属し嗌を絡います。従いまして、太陰はこれがためにその津液を三陰に行ることができるのであります。
それに対しまして陽明と申すものは、陰・裏の脾に対して陽・表であります。
脾から行られた土の精が顕著でありまして、この胃から五臓六腑に土の精を行りますので、五臓六腑の海とたとえることができます。ですからまた、これがために気を三陽に行ることができるのであります。
従いまして、臓腑は各々その経脉によって気を陽明に受けることができるのであります。そして脾は胃のためにその津液を行るのであります。
さて先に述べましたことを繰り返すようでありますが、四肢が水穀の気を受けることができなくなりますと、四肢だけでなく全身の気は日に日に衰えてまいります。
そして脉道も機能しなくなり、筋骨や肌肉などの全てが、気によって生じ養うことができなくなり、終には四肢を思うように動かせなくなるのであります。
原文と読み下し
黄帝問曰.太陰陽明爲表裏.脾胃脉也.生病而異者.何也.
岐伯對曰.陰陽異位.更虚更實.更逆更從.或從内.或從外.所從不同.故病異名也.
黄帝問うて曰く。太陰陽明表裏を爲す。脾胃の脉なるや、病を生じて異なる者は、何ぞや。
岐伯對して曰く。陰陽位を異にす。更々虚し更々實し、更々逆し更々從う。或いは内に從い、或いは外に從い、從う所同じからず。故に病、名を異にするなり。
帝曰.願聞其異状也.
岐伯曰.
陽者天氣也.主外.
陰者地氣也.主内.
故陽道實.陰道虚.
故犯賊風虚邪者.陽受之.
食飮不節.起居不時者.陰受之.
陽受之.則入六府.陰受之.則入五藏.
入六府.則身熱不時臥.上爲喘呼.
入五藏.則䐜滿閉塞.下爲飧泄.久爲腸澼.
故喉主天氣.咽主地氣.
故陽受風氣.陰受濕氣.
故陰氣從足上行至頭.而下行循臂至指端.
陽氣從手上行至頭.而下行至足.
故曰.陽病者.上行極而下.陰病者.下行極而上.
故傷於風者.上先受之.傷於濕者.下先受之.
帝曰く。願わくば其の異なる状を聞かん。
岐伯曰く。
陽なる者は天氣なり。外を主る。
陰なる者は地氣なり。内を主る。
故に陽道實し、陰道虚す。
故に賊風虚邪を犯す者は、陽これを受く。
食飮節ならず、起居に時ならざる者は、陰これを受く。
陽これを受ければ則ち六府に入る。陰これを受ければ則ち五藏に入る。
六府にはいれば則ち身熱し、時ならずして臥し、上は喘呼を爲す。
五藏にはいれば則ち䐜滿閉塞し、下は飧泄を爲し、久しければ腸澼を爲す。
故に喉は天氣を主り、咽は地氣を主る。
故に陽は風氣を受け、陰は濕氣を受く。
故に陰氣は足從り上行し頭に至りて下行し、臂を循りて指の端に至る。
陽氣は手從り上行し頭に至りて下行し足に至る。
故に曰く。陽病なる者は、上行し、極まりて下る。陰病なる者は、下行し、極まりて上る。
故に風に傷られる者は、上先ずこれを受く。濕に傷られる者は、下先ずこれを受く。
帝曰.脾病而四支不用.何也.
岐伯曰.
四支皆稟氣於胃.而不得※徑至.必因於脾.乃得稟也.
今脾病不能爲胃行其津液.四支不得稟水穀氣.氣日以衰.脉道不利.筋骨肌肉.皆無氣以生.故不用焉.
※太素にならい、至經を徑至に作る
帝曰く。脾を病みて四支用いざるは、何ぞや。
岐伯曰く。
四支は皆氣を胃に稟くれども、經に至るを得ず。必ず脾に因りて、乃ち稟くるを得るなり。
今脾病みて胃の爲に其の津液を行(や)ること能(あた)わず。四支水穀の氣を稟くるを得ず。氣日を以て衰え、脉道利せず、筋骨肌肉、皆氣の以て生ずる無し。故に用いざるなり。
帝曰.脾不主時.何也.
岐伯曰.
脾者土也.治中央.常以四時長四藏.各十八日寄治.不得獨主於時也.
脾藏者.常著胃.土之精也.土者生萬物而法天地.故上下至頭足.不得主時也.
帝曰く。脾時を主どらざるは、何ぞや。
岐伯曰く。
脾なる者は土なり。中央を治む。常に四時を以て四藏を長ず。各々十八日に寄治す。獨り時を主るを得ざるなり。
脾藏なる者は、常に胃に著(いちじるし)く、土の精なり。土なる者は萬物を生じて天地に法る。故に上下して頭足に至り、時を主るを得ざるなり。
帝曰.脾與胃.以膜相連耳.而能爲之行其津液.何也.
岐伯曰.
足太陰者三陰也.其脉貫胃屬脾絡嗌.故太陰爲之行氣於三陰.
陽明者表也.五藏六府之海也.亦爲之行氣於三陽.
藏府各因其經.而受氣於陽明.故爲胃行其津液.四支不得稟水穀氣.日以益衰.陰道不利.筋骨肌肉.無氣以生.故不用焉.
帝曰く。脾と胃、膜を以て相い連なるのみ。しかして能くこれが爲に其の津液を行るとは、何ぞや。
岐伯曰く。
足の太陰なる者は三陰なり。其の脉は胃を貫き脾に屬し嗌を絡う。故に太陰はこれが爲に氣を三陰に行る。
陽明なる者は表なり。五藏六府の海なり。亦たこれが爲に氣を三陽に行る。
藏府は各々其の經に因りて氣を陽明に受く。故に胃の爲に其の津液を行る。四支水穀の氣を稟けるを得ざれば、日を以て益々衰え、陰道は利せず、筋骨肌肉、氣の以て生ずること無し。故に用いざるなり。
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