鍼灸医学の懐

脉解篇第四十九.

本篇の表題は「脉解」であるので、経脉の変動、つまり偏盛・偏衰した場合の病症について解説したものと理解される。

 ところが、経脉の変動が主たる原因ではなく、あくまで臓腑そのものが原因で、臓腑の状態が経脉に現れた状態を解説したものと捉えるのが正確だと考える。
 逆に、経絡だけが単体で変動するかのように捉えるのは、この医学が全体性を重視している視点からは、外れることになる。
 また六経の月の配当が他の諸篇とことなっているが、筆者の力量では、残念ながら正誤を判断するには至らない。
 ただ、天人合一思想を踏まえ、この篇に記載された自然界の気の盛衰と人体とを相関させ、想像力をたくましくして、具体的に人体の気の偏在をイメージできるように意訳を試みた。
 諸氏のご意見を、期待しております。

原 文 意 訳

足太陽には腰が腫れて痛む病証がある。

正月は太陽寅(いん)の月で、正月は陽気が上に生じ始める時期である。しかし、陰気はまだ盛んであるために、陽気は自ずと伸びやかになれないものである。

 このように、太陽の陽気が伸びやかになれず、内に鬱するので腰が腫れしかも痛むのである。

 身体の左右が偏って虚となり、びっことなる病証がある。

正月は天の陽気が生じ始め、地気の凍りついているところを日の当たる西から融かし、西から地気の陽気が昇る。
 びっことなるのは、冬が寒く、正気がすこぶる不足し、偏った天の気に対応することが出来ないので偏枯してびっことなるのである。
 いわゆる上半身が強ばり背が引きつるのは、陽気が大いに昇り抜けて行かず鬱滞して争うために強ばり引きつるのである。
 いわゆる耳鳴りは、自然界の陽気が高まると気が昇って躍るかのように、人体の陽気も上部に昇り聚るために耳鳴りがするのである。
 いわゆる陽気が盛んに過ぎて狂躁や癲癇の疾を起こす者は、陽気がことごとく上部に集中し、陰気は下に集中して陰陽・上下が交流せず、上実下虚となっているからである。
 
 いわゆる気が上に浮けば聾となる者も、すべては陰陽の気の失調である。
 いわゆる陽気が中に入り言葉がスラスラでない瘖(いん)となるのは、盛んであった陽気が中に籠って張り出すことが出来ず、あたかもすでに正気が衰えたかのようになるためである。 何らかの原因で、内の精気が奪すれば手足が冷えあがる厥となり、瘖となり手足の自由も利かなくなる。これは、腎虚のためであり、少陰の陽気が四肢に達しないので厥するのである。

 少陽のいわゆる心脇が痛むのは、少陽が盛んに過ぎたものが、心に表れたからである。

  九月は、天の陽気が尽きて陰気が盛んなので、少陽の気が鬱しやすく脇から腋下にその累が及ぶため心脇が痛むのである。

 いわゆる寝返りが出来ないのは、陰気が万物に収蔵して動かなくなるように、少陽の気が内に鬱するためである。

いわゆる少陽の気が盛んに過ぎて躍るかのようになるのは、九月は万物がことごとく衰え、草木もまた枯れ落ちて、高いところから低いところに落ちて舞うかのごときに相関する。

少陽の気が盛んであり、しかも万物が収斂して下に降りれば、人体の陽気もまた下って長じるので、まるで躍っているかのようになるのである。 陽明のいわゆる水を浴びたかのように振寒する病証がある。

 陽明は正午であり一年では五月である。五月は陽気が盛んであると当時に陰気が生じてこれに加わるので、急に水を浴びたかのように振寒するのである。

 いわゆる脛が腫れ股を閉じることができないのも、五月になると盛んであった陽気が次第に衰え、一陰の気が昇って上部で陽気と争い始め、下に陽気が降りなくなるので脛が腫れて股を閉じることができなくなったからである。

いわゆる上部では喘ぎと水飲の邪を生じることがある。

陰気は本来下に降るのである。ところが昇りっぱなしとなると陰気は臓腑の間に停滞して水飲の邪となり、肺気に迫るので喘ぐのである。 いわゆる胸痛して呼吸が浅く息切れするのは、水飲の邪が臓腑に在り、肺気に迫るためである。

いわゆる甚だしいと手足が冷えあがる厥となり、人と火を嫌い、木を打つかん高い音を聞くと驚いて動揺するのは、陰陽・上下・水火の気が互いに迫って緊張して交わらないためである。

いわゆる部屋の戸や窓を閉め切ってひとりで居たがるのは、陰陽の気が迫り緊張していたのが、陽気が尽きてしまい、陰気が盛んとなり、陰陽が消長しないためである。

いわゆる発作的に高いところに登って歌ったり衣服を脱ぎ捨てて走り出すのは、陰陽・内外の気が交流せず、大きく外に偏って熱を生じたためである。

いわゆる邪が孫絡に侵入すると、頭痛・鼻詰まりを起こし、お腹まで腫れることがある。

 陽明の気は、顔面に結集しているので頭痛・鼻詰まりを起こすのであるが、孫絡で太陰と繋がっているので腹まで腫れるのである。 太陰の諸症で、いわゆる脹を病むのは、太陰は子(ね)の月である十一月に相当し、万物は全て内部に蔵される時期であるためである。

いわゆる心に上走して噫(い=おくび)となるのは、陰が盛んであるため胃の気が下ることが出来ず、心に属している陽明の絡脉を逆走するからである。

いわゆる物を食して吐き気がするのは、すでに脾胃に物がいっぱいである所にさらに食したため、胃気が下ることが出来ず、上に溢れるようになったからである。

いわゆる快便と放屁があると、すっきりとして心地よくなるのは、十二月ともなると陰気が衰え陽気が生じ始める時に相当するので、濁氣を排泄すると陽気が通じて軽快になるからである。

いわゆる少陰が腰痛の原因となるのは、十一月は万物の陽気が全て敗れてしまうからである。ちなみに、少陰とは腎のことである。

いわゆる吐き気がして咳をし、上気して喘ぐのは、陰気は下に在り、陽気は上に在るために、諸陽の気もまた浮いてしまい、依り従う根となるところを失ってしまったからである。

いわゆる、居ても立ってもいられないような精神不安の状態で、長く立ったり坐ったり出来ず、起き上がると目の前がぼんやりとして物がはっきりと見えないという症状がある。

それはあたかも秋気が至り始め、微かに霜が下り始めると、まさに万物はこの粛殺の気を受けて枯れ始めることに相関する。つまり陰陽の気が内から奪し、陰陽の気が定まらなくなるので上記の症状が現れるのである。

 いわゆる呼吸が微弱で息切れしやすい少気であるにもかかわらずよく怒るのは、秋気の収斂の気により、陽気が伸びやかに外に張り出すことが出来ないためである。

陽気、とりわけ肝気が内に鬱して治まらないために、少気が現れるがこれは実であり、しかも怒気によって上から陽気を発しようとするのでよく怒るのである。これを煎厥というのである。 いわゆる今にも人に捕えられるかのように恐れるのは、秋の粛殺の気が完全に万物の陽気を奪い去り切れていあにからである。

 陰気はまだ少なくてもこれから次第に盛んになり、、段々と滅ぼされる陽気は追われて内に入ろうとし、陰気が陽気を段々と追い込んでいくので、恐れるようになるのである。 いわゆる食臭を嗅ぐのを嫌がるのは、胃の気が無くなり、鬱して熱を生じているために、陽の気である臭気を嫌がるのである。

いわゆる顔色が大地のように黒くなるのは、秋の粛殺の気が陽気を奪い大地に返そうとするので、陰気である大地の色と変化するのである。

いわゆる咳をして出血するのは、陽脉が傷れたためである。

 陽気が上部に盛んでないのに脉だけが満ちているのは、陰裏に陽気が鬱しており、その鬱した陽気の勢いが強ければ上に衝き上げて咳となり、脉を破って鼻から出血するからである。 いわゆる厥陰による㿗疝=陰嚢腫大と婦人の少腹が腫れる病がある。

 厥陰は辰(しん)で三月に当る。この三月は少陽の気が発し始める陽中の陰の時期であり、冬の閉蔵によって既に生じている邪はまだ内部に潜んでいる。
 それが少陽の気の動きと同時に動き出すので、このような病を生じるのである。 いわゆる腰脊が痛んでうつ伏せになったり仰向けになることも出来なくなる病証がある。

これは三月発陳の気が盛んとなると万物は次第に花咲き栄えるが、何らかのことで一度枯れ萎(しお)れると再び伸びることが出来ないことに相関する。 いわゆる㿗・癃・疝(陰嚢腫大や尿閉)、皮膚が脹れるのは、陰邪が盛んに過ぎて脈道を塞ぎ、鬱滞して通じなくなるためである。

いわゆる甚だしいと喉が渇き、熱が体内に留まる熱中となることがあるが、これは少陽の気が伸びやかになれないために、陰陽の気もまた内に鬱して熱化するからである。

原文と読み下し

太陽所謂腫腰月隹者.正月太陽寅.寅太陽也.正月陽氣出在上.而陰氣盛.陽未得自次也.故腫腰

月隹痛也.

病偏虚爲跛者.正月陽氣凍解地氣而出也.所謂偏虚者.冬寒頗有不足者.故偏虚爲跛也.

所謂強上引背者.陽氣大上而爭.故強上也.

所謂耳鳴者.陽氣萬物盛上而躍.故耳鳴也.

所謂甚則狂巓疾者.陽盡在上.而陰氣從下.下虚上實.故狂巓疾也.所謂浮爲聾者.皆在氣也.

所謂入中爲瘖者.陽盛已衰.故爲瘖也.

内奪而厥.則爲瘖俳.此腎虚也.

少陰不至者.厥也.

太陽に所謂る腰腫れ月隹(すい)痛むとは、正月は太陽寅、寅は太陽なり。正月は陽氣出で上に在りて陰氣盛ん。陽は未だ自ずと次いでするを得ざるなり。故に腰腫れ月隹痛むなり。

病偏虚して跛を爲す者は、正月に陽氣、地氣を凍解して出づるなり。所謂る偏虚なる者は、冬の寒に頗る不足有る者なり。故に偏虚して跛を爲すなり。
所謂上に強りて背に引く者は、陽氣大いに上りて爭す。故に上に強ばるなり。
所謂る耳鳴る者は、陽氣萬物上に盛んにして躍(おど)る。故に耳鳴るなり。
所謂る甚だしければ則ち狂巓疾する者は、陽盡(ことごと)く上に在りて、陰氣は下に從う。下虚して上實す。故に狂巓疾なり。所謂る浮(うか)みて聾を爲す者は、皆氣に在るなり。
所謂る中に入り瘖を爲す者は、陽盛んにして已に衰う。故に瘖を爲すなり。
内奪して厥すれば、則ち瘖俳を爲す。此れ腎虚するなり。
少陰至らざる者は、厥するなり。

少陽所謂心脇痛者.言少陽盛也.盛者心之所表也.九月陽氣盡.而陰氣盛.故心脇痛也.

所謂不可反側者.陰氣藏物也.物藏則不動.故不可反側也.

所謂甚則躍者.九月萬物盡衰.草木畢落而墮.則氣去陽而之陰.氣盛而陽之下長.故謂躍.

少陽に所謂る心脇痛むとは、少陽盛んと言うなり。盛んなる者は心の表する所なり。九月陽氣盡(つ)きて、陰氣盛ん。故に心脇痛むなり。

所謂る反側すべからざる者は、陰氣物に藏す。物に藏さば則ち動せず。故に反側すべからざるなり。
所謂る甚だしければ則ち躍る者は、九月萬物盡く衰え、草木畢(ことごと)く落ちて墮(おつ)れば則ち氣陽を去りて陰に之(ゆ)く。氣盛んにして陽下に之きて長ず。故に躍ると謂う。

陽明所謂洒洒振寒者.陽明者午也.五月盛陽之陰也.陽盛而陰氣加之.故洒洒振寒也.

所謂脛腫而股不收者.是五月盛陽之陰也.陽者衰於五月.而一陰氣上.與陽始爭.

故脛腫而股不收也.

所謂上喘而爲水者.陰氣下而復上.上則邪客於藏府間.故爲水也.

所謂胸痛少氣者.水氣在藏府也.水者陰氣也.陰氣在中.故胸痛少氣也.

所謂甚則厥.惡人與火.聞木音則愓然而驚者.陽氣與陰氣相薄.水火相惡.故愓然而驚也.

所謂欲獨閉戸牖而處者.陰陽相薄也.陽盡而陰盛.故欲獨閉戸牖而居.

所謂病至則欲乘高而歌.棄衣而走者.陰陽復爭.而外并於陽.故使之棄衣而走也.

所謂客孫脉.則頭痛鼻鼽腹腫者.陽明并於上.上者則其孫絡太陰也.故頭痛鼻鼽腹腫也.

陽明の所謂る洒洒(さいさい)として振寒するとは、陽明は午なり。五月は盛陽の陰に之くなり。陽盛んにして陰氣これに加う。故に洒洒として振寒するなり。

所謂る脛腫れて股收(おさ)めずとは、是れ五月盛陽の陰に之なり。陽は五月に衰え、しかして一陰の氣上り、陽と始めて爭う。故に脛腫れて股收まらざるなり。
所謂る上に喘して水を爲すとは、陰氣下りて復(ま)た上る。上れば則ち邪は藏府間に客す。故に水を爲すなり。
所謂る胸痛み少氣するは、水氣は藏府に在るなり。水は陰氣なり。陰氣中に在り。故に胸痛みて少氣するなり。
所謂る甚だしければ則ち厥し、人と脾を惡む。木音を聞けば則ち惕然として驚するは、陽氣と陰氣相い薄(せま)り、水火相い惡む。故に惕然として驚するなり。
所謂る獨り戸牖(ゆう)を閉じて處せんと欲するは、陰陽相い薄るなり。陽盡きて陰盛ん。故に獨り戸牖を閉じて居さんと欲す。
所謂る病至れば則ち高きに乘りて歌い、衣を棄てて走らんと欲する者は、陰陽復た爭いて、外は陽に并す。故にこれをして衣を棄てて走らんと欲するなり。
所謂る孫脉に客すれば則ち頭痛し鼻鼽し腹腫れるは、陽明上に并す。上は則ち其の孫絡は太陰なり。故に頭痛し鼻鼽し、腹腫れるなり。

太陰所謂病脹者.太陰子也.十一月萬物氣皆藏於中.故曰病脹.

所謂上走心爲噫者.陰盛而上走於陽明.陽明絡屬心.故曰上走心爲噫也.

所謂食則嘔者.物盛滿而上溢.故嘔也.

所謂得後與氣.則快然如衰者.十二月陰氣下衰.而陽氣且出.故曰得後與氣.則快然如衰也.

太陰の所謂る脹を病むとは、太陰は子なり。十一月は萬物の氣皆中に藏す。故に脹を病むと曰く。

所謂る上りて心に走りて噫を爲すとは、陰盛んにして上りて陽明に走る。陽明の絡は心に屬す。故に上に走りて噫を爲すと曰く。

所謂る食すれば則ち嘔するとは、物盛滿して上に溢る。故に嘔するなり。

所謂る後と氣を得れば則ち快然として衰うが如きは、十二月は陰氣下に衰え、陽氣且(まさ)に出ず。故に後と氣を得れば則ち快然として衰うが如しと曰く。

少陰所謂腰痛者.少陰者腎也.十月萬物陽氣皆傷.故腰痛也.

所謂嘔欬上氣喘者.陰氣在下.陽氣在上.諸陽氣浮.無所依從.故嘔上氣喘也.

所謂色色不能久立久坐.起則目 無所見者.萬物陰陽不定.未有主也.秋氣始至.微霜始下.而方殺萬物.陰陽内奪.故目 無所見也.

所謂少氣善怒者.陽氣不治.陽氣不治.則陽氣不得出.肝氣當治而未得.故善怒.善怒者.名曰煎厥.

所謂恐如人將捕之者.秋氣萬物未有畢去.陰氣少.陽氣入.陰陽相薄.故恐也.

所謂惡聞食臭者.胃無氣.故惡聞食臭也.

所謂面黒如地色者.秋氣内奪.故變於色也.

所謂欬則有血者.陽脉傷也.陽氣未盛於上.而脉滿.滿則欬.故血見於鼻也.

※色色 甲乙経 類経 に従い邑邑として意訳する

少陰の所謂る腰痛するは、少陰は腎なり。十月は萬物の陽氣は皆傷る。故に腰痛するなり。

所謂る嘔欬し上氣して喘ぐは、陰氣下に在り、陽氣上に在り、諸陽の氣は浮いて、依り從う所無し。故に嘔欬し上氣して喘ぐなり。

所謂る色色として、久しく立ち久しく坐ずること能わず。起きれば則ち目 として見るところ無きは、萬物の陰陽定まらずして、未だ主有らざるなり。秋氣始ねて至り、微しく霜始めて下る。しかして方に萬物を殺し、陰陽内に奪す。故に目 として見る所無きなり。

所謂る少氣し善く怒るは、陽氣治まらず。陽氣治まらざれば、則ち陽氣出るを得ず。肝氣當に治まるべくして未だ得ず。故に善く怒る。善く怒る者は、名づけて煎厥と曰く。

所謂る恐れること人の將にこれを捕えんとするが如き者は、秋氣は萬物未だ畢(ことごと)く去ること有らず。陰氣少なく、陽氣入り、陰陽相薄る。故に恐するなり。

所謂る食臭を聞きて惡む者は、胃に氣無し。故に食臭を聞きて惡むなり。

所謂る面の黒きこと地の色の如き者は、秋氣内に奪す。故に色變ずるなり。

所謂る欬すれば則ち血有る者は、陽脉傷れるなり。陽氣未だ上に盛んならずして脉滿つ。滿つれば則ち欬す。故に血鼻に見るなり。

厥陰所謂㿗疝.婦人少腹腫者.厥陰者辰也.三月陽中之陰.邪在中.故曰疝少腹腫也.

所謂腰脊痛不可以俛仰者.三月一振榮華.萬物一俛而不仰也.

所謂㿗癃疝膚脹者.曰陰亦盛.而脉脹不通.故曰㿗癃疝也.

所謂甚則嗌乾熱中者.陰陽相薄而熱.故嗌乾也.
厥陰の所謂る㿗疝(たいせん)し、婦人少腹腫れるは、厥陰は辰なり。三月は陽中の陰、邪は中に在り。故に㿗疝少腹腫れると曰くなり。

所謂る腰脊痛みて以て俛仰(ふぎょう)すべからずとは、三月一たび振いて萬物を榮華するも、一たび俛して仰せざるなり。

所謂る㿗癃(たいりゅう)疝して膚脹れるとは、陰も亦た盛んにして、脉脹りて通ぜざるを曰うなり。故に㿗癃疝と曰うなり。

所謂る甚だしければ則ち嗌乾きて熱中するとは、陰陽相薄りて熱す。故に嗌乾くなり。

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