中風の名は素問に無き所にて仲景の謂う所の中風とは異なること、既に論ずる所の如し。又「偶記」(叢桂亭偶記)に詳(つまびらか)にす。
古は単に風とばかり言たるや、素問に「風論」あり。又儒書にも風疾とばかり云いたること多し。
「後漢書・表忠傳」に「風疾、瘖(いん)して言うこと能わざる」の類なり。風論は今の中風に符号せざる所多し。
中風の名は「金匱要畧(略)」に出たれども、「金匱要畧(略)」は宋の時、蠹簡(とかん、浸みの意)中より出る所にて、「千金」「外臺(外台秘要)」に「金匱要畧(略)」を引くものなし。即ち宋以前は無き書なり。然(しか)れども、處々に古説あれば捨てることもならぬ書なり。
「傷寒論」の中風とは異なれば、後人の加えたるものなること知るべし。「孟子」に「寒疾あり、風とすべからず」と云うは、即ち仲景の謂所(いわゆる)中風にて風をひきたるなるべし。
さて後世、諸病に風の字を以て名くるもの多し。外来の病に用ゆるは然るべきなれども、内発の病に用ゆるは、なんの譯(わけ)なることを知らざるなり。
卒中風の名は「千金方」に出たるを始めとす。是も「素問」に「消癉(しょうたん)・撃仆(げきぼく)・偏枯(へんこ)・委厥・氣満・発逆は肥貴の人、則ち高梁之疾なり」とありて、うちたおさるる如くに病みつくを撃仆(げきぼく)と云い、即ち卒倒の事なり。
卒倒するや即死するあり。又睡中に死して居るもあり。醫書に※魘死(えんし)と云うものなり。
※魘死(えんし)・・・おびえ、うなされ死ぬこと。
是れは壮人に多し。別に看法も無き故に、何に病を以て死することを知らず、古人も困りて魘死(えんし)とは名付けたるや。
又、魘死(えんし)する者は急に明かりを点ぜず、足の大拇指の甲後を噛みて血を出す救法有り。実に魘(えん- うなされる)たるは甦(よみがえ)る可し。魘死(えんし)したるは治すべからず。睡臥中に死する故に魘死(えんし)の字を以て名とするならん。
卒死するの病は看法無き故に、是も鬼撃或いは中悪飛尸(ひし)などを以て名づく。撃仆と云うも、其の意と同じと見ゆ。
撃仆・偏枯と云うにて見れば卒中風の事なり。何故に後人、此の名を唱えざるや。又尸厥(しけつ)・卒厥など云うも卒中風を云うならん。
厥の字も諸字を冠して諸病に用ゆること、風の字の如し。
酒厥・痰厥・食厥の類、其の病因の字を冠(かむ)らしむ。深みあるに非ず。又厥を脚気にしたる説もあり。
素問の「厥論」に出たる事の取りさわぎ長ければ、爰(ここ)に語らず。厥字の事は是れも「偶記」に詳らかにす。
又、三国の頃は悪風と云いたるや、魏武の傳(伝)に悪風と記し、呉志に「賀邵(かしょう)、悪風に中り、口言うこと能わず」と見ゆ。外の醫書にて悪風と言うは癩病の事なり。また大風と云うこと金匱に出づ。又厲風と云うも中風のことなれども外の書にては癩病に用ゆることも有り。
彼も此も打捨て考えるに、「荀子」に曰う、「禹跳、湯偏」、又「湯偏體枯」とあり、是は湯王の偏枯の病たるなり。禹王も中風にて歩行悪しき故に跳と云えり。
「尹子」に曰く「禹がこれを労すること十年、其の家を窺わず。手に爪を生ぜず。脛に毛を生ぜず。偏枯の病、歩くに相過ぎず。人、禹歩と曰う」。
又、鄭註尚書大傳に曰く「禹半身偏枯す」、淮南子に曰く「偏枯の薬」、とあるにて見れば、偏枯と云うもの古名にて、偏枯は病状を以て名としたるなり。荘子に「民、涇(けい)に寝するときは則ち腰疾偏死す」、是も中風を云うならん。
前漢の賈誼傳(かぎでん)に痱(ひ)の字を出す。註に風病とあり、後に語るべし。
「蔵志」に熱芋癇(ねつうかん)と云う三字、風引湯の証に出たるを取りて、熊参湯(ゆうさんとう)、参連湯、三黄湯、人参白虎湯を用ゆることを論ぜり。
何かさま「素問」にも熱中などと有る故に、熱の甚だしきに、白虎湯を用ゆることも一策なり。総て其の証候にて承気も、大小柴胡も運用にあり。
さて其病に緩急軽重有りて急なるは何事も無き人、 卒(にわか)に倒れて人事を省(かえりみ)せず、撃仆と云うもの、此事を云う。
大声にて其の名を呼ぶとも答えず即死す、急症なり。又鼻息鼾して快寝したる如く頻(しき)りに欠(アクビ)し、大汗流れるが如くするあり。痰沫を吐する有り。穢物粘黒にて煤にも非ず、こし粉のあん(餡)の如きを吐する有り。是は猶更必死なり。
又、喘する有り。脉洪大弦牢にて指を皷(こ)するが如く、薬水を口へ入るるに、之を飲む気なく自然と咽へ流れて通ぜんとする時、とつくりと音を高くして腹内へおさまるは少し飲む気のあるなり。いっこうにむせんて(むせて)通ぜざるも有り。
初めは何病とも知れず困る時もあるものなり。正面に見ると口眼歪斜し、人中の溝(ミゾ)もゆがみなどして有り。
又手足を動かすを気を付けて見れば、半身は伸も屈もせずに有り。是を卒中風と云う、急症の中の緩症なり。
二三日して本気のつかぬは夢中に漸々顏色痩せて、諸侯衰え遂に死す。遺尿するは其の発したる時に自利するものなり。
少し正気に近き病者は、何のわけも無く煩悶し躁ぐ有り。能く心をつくべし。
小便せんと欲して口言うことならず、仕形をする精神もなく徒に身を悶するもの有り。病苦と混じやすし。是は夢中になりたるは、何病にも此の状を為すことあり。
さて件(くだん)の如く卒倒して額(ヒタイ)の辺を自身撫で、痒を掻(カク)が如き形をなすこと有り。是を醒るの候と医書に有れども必ず左に非ず。
少し軽きは呼べば眼にて人を逆(ムカ)へ視て、言語もしたく見ゆるもあれども、少しも答ることのならぬは、一二日を経て彌々(いよいよ)病勢つのり大切になるもの多し。始より少しづつは応答のなるは二三日の内に少々食気など出て醒ること有り。是は急症中の緩症の又緩症なり。
又、軽きは急に半身不遂して言語出で難く涎を流し、或は手ばかり不仁するも有り、足ばかり不仁するもあり、言語に滞なきも有り、手足は何の事もなく口ばかり言はれぬも有り。兼てより手足痺れ、或は面も半分痺れ虫のはうが如く覚ゆることあり。
大酔の後には極て麻木するの類、兼てより催の有るは卒中風になるも有れども、廃人にて年月を経るように病むもの多し。一旦此病を患ひては、快復を得るとも又発す。終には死す。俗に是れを響の入りたると云う。ついには欠けると云う意なり。
「外臺(外台秘要)」に「古今録験」を引きて「三十年の風澼偏枯」とあれども、終に此の如き年数の病人は見たること無し。二三年、四五年或いは十二三年に再発して死すもの多し。
此れ病人を見るに一體壮實にて元気壮盛肉体ありて、淫酒ともに常人に過ぎたる人なり。其の壮健を頼りて不保養して中年に発するもの一通り治するも有り、廃人にて病と共に老いるもあり。是は血気衰て老来にて発す可きもの、淫酒の為に中年に引き出す故に、卒死せずに生ながらへて居ると見ゆ。
一体此の病は死すべきが本症なり。生るは軽と緩とによる。酒客肥人に多く痩人下戸に少き病なり。至って軽きを類中風と云う。
其の名、「千金方」に出るを始めとす。類疫・類瘧・類癰などの類と同じ。其の類中風と云うは軽中風の事なり。
是れを患て精神脱して物忘するもあり。言語しぶりて出ぬばかりになく、心には有れども口に言うことを忘れたる如くになるもあり。少しのことにも感ずれば泣くも有り。笑うもあり。笑えば跡が直に泣顔になりて涙を流す。喜ぶべきことを喜ばず、患うべきことをも患わず、偶然となるもあり。
怒りを常にするもあり。皆精神脱したるにて一たび快復しても精神は病前ほどにならぬ者なり。
又、俄然として眩暈し倒る。脉浮弦にて面色赤く手足に麻痹を帯び、言舌も少し渋る。全く中風なれども眩暈より発する有り。白虎加人参或いは参連白虎にてよし。総て眩暈は白虎にて功を得ること有り。
さて三黄湯、苓桂朮甘湯はもとより用ゆる適方なれども、白虎は意外の験あり。
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