これから折に触れて、東洋医学の世界観や健康に生きていくための考え方を古典に基づいて紹介していこうと思う。
東洋の世界観・人体観を元にして現わされた中国最古の医学書に黄帝内経(こうていだいけい)という書物が伝わっているが、なんと鍼灸医学書である。
この黄帝内経、素問(そもん)と霊枢(れいすう)それぞれ9巻81篇に分かれており、鍼灸家はもちろんのこと、湯液家(とうえきか=漢方薬)の医師も必読の書である。
前漢(紀元前紀元前206年 – 8年)に著されたものであると推測されているが、一旦散逸してしまったものを、唐代(762年)に王冰(おうひょう)によってまとめられたものが、幾度の変遷を経て現代に伝わってきているのだが、原本は伝わっていないようである。
この黄帝内経(こうていだいけい)、とりわけ素問(そもん)においては、人間が健康で生きていくためには何が大切かを前半において詳しく記載されいる。
それは単なる健康法という底の浅いものではない。これから、おいおい紐解いていきますが・・・
マンガ黄帝内経も世には出ているが、当時の人間に自然がどのように映っていたのかを読み取ることこそが重要なポイントである。
古代人は人間をどのように捉えていたのか。
この問いに対しては、自然観を認識すると見えてくる。
東洋の自然観は、人間と自然との関わりを、西洋と比較して見るとわかりやすい。
北緯45度以北に位置するヨーロッパに目を止めると、目の前の自然がどのように映っていたのかは、一目瞭然だ。
約1万年前の氷河期の終わりから、地球は一貫して温暖化に向かっているが、ヨーロッパはやはり寒く、農業よりも牧畜に向いた気候は、人々にとっては厳しいものであったのだろう。
一方、アジアは氷河期も比較的温暖であったことが知られている。山野に入れば、人々が生活しているだけの実りがあったことであろう。
西洋の大航海時代は、他国の征服と収奪を世界規模で開始した時でもある。この流れは、現代も変わっていない。
近代日本は、植民地化の世界的規模の嵐の中で、この寒い地域の人々によって生み出された思想・文化を国の中心に据えてしまったのだ。
中国哲学の中心的存在である易学は、太陽と北極星を観察して自然界の気の変動を観察することから始まっているが、まず暦を作ることの必要性は、農業が主体であったことを物語っていると考えても、無理はないだろう。
西洋は、自然に働きかけ自分たちが過ごしやすい環境を作り出す必要があるために、自然とは対立的であり、一方東洋は、自然の気の変化に合わせて生活・生産活動をすれば良いので、自然とは調和的発想になるのは、当然と言えば当然である。
日本庭園と西洋の庭園を思い浮かべて見て欲しい。
日本庭園は、限られた場の中に大自然を表現しようとするのに対して、西洋庭園は幾何学的に表現しようとする。
どちらも美しいのだが、日本に慣れ親しんだ感覚ではやはり日本庭園が落ち着きと趣を感じる。
実は、東洋医学もこのような感覚で成り立っているのだ。
部分には、全体が表現されているという発想から、手相や観相などの占いも発達してきたのだが、実は鍼灸医学に源がある。
コメントを残す