鍼灸医学の懐

経脈別論篇第二十一.

 本篇の題名に「別論」とあるが、通常の経脉については、『霊枢・経脉、経別、経水、経筋』の各篇にまとまって記載されているが、『素問』の中にまとまった説明はされていない。

 この篇から察するに、経脉と臓象との関係を中心に述べているように思われる。

 内経医学においては、「胃の気」を重視しているが、本編の内容からすると胃で受けた精気は、脾気の働きによって肺に受け渡すと記述されている。

 ところが、明の張介賓(1563-1640)はその著書「類経」の中で、肺は胃の気によって経気をめぐらせることが出来るのであって、肺自ずからめぐらすことができないと記述している。

 脾胃は、元来一体のものであるので、脾は胃であり、胃は脾である。

 あえて分けると最初に穀気を受けるところが胃であり、胃は脾気によって正常に機能する。

 このあたりの事は、混乱するところであるが、言わんとする所が汲み取れれば良いのではないかと考える。


 汗に関する事は、とても興味深い。

 汗は、津液と陽気が合体したものである。

 これを過度に体外に発散することによって起きる病証は、五臓の気血のバランスが、それぞれ異なるので、それぞれの臓腑に特徴的な病証が現れるはずである。

 イメージトレーニングするには、好都合だと思う。

 また高所から恐怖を伴って堕ちることによって、脾気が障害されるとの記述は、現代においては交通事故等がこれに相当する。

 打撲による瘀血の存在、被害者になったために生じる恚心(けいしん)が、後遺症の予後に深く関係する。

 この時代において心と身体の関係が、すでにこのように具体的に認識がされていたとは、改めて驚く次第です。


 さらには、脈気が偏って盛んな場合の病証も記載されているが、五臓それぞれの生理的特徴によって来たす病証を通じて、全身の気血の動きや偏在をイメージすると、すぐにでも臨床に応用できると思われる。

 諸氏、想像をたくましく育てましょう。

原 文 意 訳
 黄帝が問うて申された。
 
 人の住む環境や身体の活動状態、その人の性格が勇ましいか憶病であるかによって、臓腑・経絡・気血の状態なども変化するのであろうか。
 
 岐伯がそれに対して申された。
 
 おおよそ人が驚いたり恐れたり、恚(けい)、つまり心を角出して恨んだり、勞、つまり頭に血が上るまで労働をしたり、忙しく動き過ぎたり、靜にして安逸に過ごすことにって、臓腑・経絡・気血の状態は、すべて変化いたします。



 ですので、夜に走るようなことがありますと、喘ぎは腎から出まして、ジワリと邪気が肺を犯して病むことになります。
 
 夜間の閉蔵の時期に、陽気を散じてしまうからであります。
 
 高所から恐怖と共に堕ちますと、喘ぎは肝より出まして、ジワリと邪気が脾を犯して病むことになります。
 
 恐怖によって気が縮まって伸びなくなり、脾気が失調して精気を全身に輸布できなくなってしまうからであります。
 
 恐れているところにびっくりするようなことがありますと、喘ぎは肺より出まして、ジワリと邪気が心を傷り、心のよりどころを失ってしまって、ちょっとしたことで不安感や動悸が起こるようになります。
 
 河川を渡っている時に、滑って転倒いたしました時には、喘ぎは腎と骨から出て参ります。
 
 このような場合、気血が盛んで精神もしっかりとして勇ましい状態でありましたらすぐに正常に戻り、平然とすることができるものです。
 
 しかしながら気血も弱く精神もどことなくビクビクしているものでありましたら、これを切っ掛けとして身体が回復しないばかりか、心的にも外傷を受けたかのようになりまして、病的な状態となってしまいます。
 
 従いまして、病を診る大法則は、その人の性格や精神状態、骨格や筋肉の状態、皮膚の肌理の状態などを直観で捉え、十分にそれらの情況を知ることこそが、診法というものであります。

 
 
 さて、飲食を摂り過ぎますと、汗は胃より出ます。
 
 びっくりして驚くようなことがありますと、汗は心より出ます。
 
 重いものを以て遠くに移動すると、汗は腎より出ます。
 
 疾走しながらオロオロと恐れていると、汗は肝より出ます。
 
 体を揺らして過度な労働をしますと、汗は脾より出ます。
 
 春夏秋冬の四時、陰陽の気の変化の環境下において人々に病が生じますのは、何事も過ぎることに起因するのが一般的であります。
 
 
 
 食気が胃に入りますと、精を肝に散じ、その気は筋に沁みわたるのであります。
 
 食気が胃に入りますと、濁気は心に流れ注ぎ、物質的な精気は脉に沁みわたるのであります。
 
 脉気は経絡を流れ、経絡を通じて肺に戻って参ります。
 
 肺は百脉が朝するところ。つまりすべての脉気が肺に結集してくるところでございます。
 
 そして脉気を通じて肺に集まった精気は、全身の皮毛に送られるのであります。
 
 肺気である毛脉は、天地の精と気を合わせ、血府である脉を行(めぐら)せます。
 
 このようにして、血脉に神気・精気が充実して四臓に流れ注いで蔵され、充実いたしますと人体の気は、自然の気に相応じて陰陽の調和を保ち、消長するのであります。
 
 このように気口の寸位には、全身の精・神の気が現れて参りますので、死生を判断することができるのであります。
 水分が胃に入りますと、流れ溢れた精気は上って脾に輸送されます。
 
 脾気は精を全身に散じると共に、これを上らせて肺に送ります。

 肺は呼吸によって水液の通路に滞りなく行きわたらせ、下部の膀胱にまで輸送するのであります。
 
 このような働きにより、水の精気は全身にくまなく行きわたり、五臓の経絡も正常に機能し、さらに四時陰陽の気の変化に適うようでありますれば、五臓の陰陽の気もまた正常であると推し量れるのであります。
※揆度 推し量る
 
 太陽の臓気が単独で目立って至りますと、厥、喘、虚、氣逆などの証が現れますが、これは陰気不足、陽気有余のためであります。
 
 表裏関係の太陽もしくは少陰の足の下兪穴を取り、瀉法を加えるべきであります。

 
 陽明の臓気が単独で目立って至るのは、他の二陽の気、つまり太陽と少陽の気が並び合わさったからであります。
 
 このような場合は、足の下兪穴を取り、陽気を瀉し、陰気を補うべきであります。

 
 少陽の臓気が単独で目立って至りますのは、これは厥気であります。主冶穴であります申脈穴の前付近が、にわかに大きくなります。
 
 この場合においても、足の下兪穴を取って補瀉を行うのであります。

 
 ちなみに申し上げますと、少陽が単独で至ります場合は、ものが生じ始める一陽の気の太過によるものでございます。
 
 
 
 太陰の脉に伏鼓が搏つ場合、心を十分に用いてその脉を細かく見分け、究明しなくてはなりません。
 
 五脉の気が少なく、胃気が正常でないようであれば、三陰であります脾に問題があります。
 
 このことを踏まえた上で、下兪穴を選んで陽を補い、陰を寫すのがよろしいのであります。

 
 二陰であります足の少陰腎の脉の至りようが、まるで口笛を吹くように細く力強いようでありますと、これは少陰の厥であります。

 つまり陽気が上に集まってしまい、他の四脉が動きが取れず、相争って緊張しているので、上に集まっている気を、腎に帰すように治療するのであります。
 
 このことを踏まえた上で、下兪穴を選んで陽を寫し、陰を補うのがよろしいのであります。

 
 一陰の脉が単独で目立って至るときは、これは厥陰の肝を治します。
 
 このような場合、真気(精気)が虚し、心が引きつれるように痛みます。

 上逆した厥気が停滞し、内邪と共に出口に迫りますと、白く濁ったようなベトベトした汗を発するようになります。
 
 これは内に湿濁の邪が盛んでありますので、先ずは食を調え、湯液で気血を和します。鍼治は、下兪にございます。
 
 
 帝が申された。
 太陽の臓気は、何に象(かた)どるのであろうか。
 
 岐伯が申された。
 三陽に象どりまして、浮脉であります。
 
 帝が申された。
 少陽の臓気は、何に象どるのであろうか。
 
 岐伯が申された。
 一陽に象どります。一陽の臓気は、滑でありますが実してはおりません。
 
 帝が申された。
 陽明の臓気は、何に象どるのであろうか。
 
 岐伯が申された。
 大にして浮に象どります。
 
 ちなみに太陰の臓気が搏つと申しますのは、脉が深く沈んでおります伏でありますが、力強く手指に当る鼓であるということであります。
 
 二陰は腎でありまして、その脉の搏ち至りようは、沈んでおりまして、浮いてこないものであります。
 
 
 
 
原文と読み下し
 
 
黄帝問曰.人之居處動靜勇怯.脉亦爲之變乎.
岐伯對曰.
凡人之驚恐恚勞動靜.皆爲變也.
是以夜行.則喘出於腎.淫氣病肺.
有所墮恐.喘出於肝.淫氣害脾.
有所驚恐.喘出於肺.淫氣傷心.
度水跌仆.喘出於腎與骨.當是之時.勇者氣行則已.怯者則著而爲病也.
故曰.診病之道.觀人勇怯.骨肉皮膚.能知其情.以爲診法也.
黄帝問うて曰く。人の居處、動靜、勇怯、脉も亦た之れが爲に變ずるや。
岐伯對して曰く。
凡そ人の驚、恐、恚、勞、動、靜、皆變を為すなり。
是れを以て夜行けば則ち喘は腎に出ず。淫氣、肺を病む。
墮恐する所有れば、喘は肝に出ず。淫氣、脾を害す。
驚恐する所有れば、喘は肺に出ず。淫氣、心を傷る。
水を度(わた)りて跌仆(てつぼく)すれば、喘は腎と骨に出ず。是の時に當りて、勇者は氣行(めぐ)りて則ち已(や)む。怯者は則ち著して病を為すなり。
故に曰く。病を診するの道、人の勇怯、骨肉皮膚を觀て、能く其の情を知りて以て診法と為すなり。
飮食飽甚.汗出於胃.
驚而奪精.汗出於心.
持重遠行.汗出於腎.
疾走恐懼.汗出於肝.
搖體勞苦.汗出於脾.
故春秋冬夏四時陰陽.生病起於過用.此爲常也.
故に、
飮食飽くこと甚しければ、汗は胃より出ず。
驚して精を奪すれば、汗は心より出ず。
重きを持ちて遠く行けば、汗は腎より出ず。
疾(と)く走りて恐懼すれば、汗は肝より出ず。
體を搖がし勞苦すれば、汗は脾より出ず。
故に春秋冬夏、四時陰陽、病を生ずるは過用より起こる。此れ常と為すなり。
食氣入胃.散精於肝.淫氣於筋.
食氣入胃.濁氣歸心.淫精於脉.
脉氣流經.經氣歸於肺.肺朝百脉.輸精於皮毛.
毛脉合精.行氣於府.
府精神明.留於四臟.氣歸於權衡.權衡以平.氣口成寸.以決死生.
食氣胃に入れば、精を肝に散じ、氣を筋に淫す。
食氣胃に入れば、濁氣は心に歸し、精を脉に淫す。
脉氣經に流れ、經氣は肺に歸す。肺は百脉を朝し、精を皮毛に輸す。
毛脉は精を合して、氣を府に行る。
府の精神明らかにして、四臟に留まり、氣は權衡に歸す。權衡以て平らなれば、氣口は寸を成し、以て死生を決す。
飮入於胃.遊溢精氣.上輸於脾.
脾氣散精.上歸於肺.通調水道.下輸膀胱.
水精四布.五經並行.合於四時五臟陰陽.揆度以爲常也.
飮胃に入れば、精氣は遊溢し、上りて脾に輸す。
脾氣精を散じ、上りて肺に歸し、水道を通調し、下りて膀胱に輸す。
水の精は四布し、五經並び行き、四時に合すれば、五臟の陰陽、揆度(きたく)し以て常と為すなり。
 
太陽藏獨至.厥喘虚氣逆.是陰不足.陽有餘也.表裏當倶寫.取之下兪.
陽明藏獨至.是陽氣重并也.當寫陽補陰.取之下兪.
少陽藏獨至.是厥氣也.前卒大.取之下兪.
少陽獨至者.一陽之過也.
太陰藏搏者.用心省眞.五脉氣少.胃氣不平.三陰也.宜治其下兪.補陽寫陰.
二陰※1(一陽)獨嘯.少陰※2(少陽)厥也.陽并於上.四脉爭張.氣歸於腎.宜治其經絡.寫陽補陰.
一陰至.厥陰之治也.眞虚〔疒肙〕心.厥氣留薄.發爲白汗.調食和藥.治在下兪.
※1、2 新校正に従い 二陰 少陰に改める
太陽の藏獨(ひと)り至るは、厥し、喘し、虚し、氣逆す。是れ陰不足、陽有餘なり。表裏當に倶に寫すべし。これを下兪に取る。
陽明の藏獨り至るは、是れ陽氣重并するなり。當に陽を寫し陰を補うべし。これを下兪に取る。
少陽の藏獨り至るは、是れ厥氣なり。(きょう)前卒(にわ)かに大となるは、これを下兪に取る。
少陽の獨り至る者は、一陽の過なり。
太陰の藏搏つ者は、心を用いて眞を省すべし。五脉の氣少く、胃氣平らならざるは、三陰なり。宜しく其の下兪を治し陽を補い陰を寫すべし。
二陰獨り嘯(しょう)するは少陰の厥なり。陽上に并(あわ)し、四脉爭い張るは、氣腎に歸す。宜しく其の經絡を治す。陽を寫し、陰を補う。
一陰の至るは、厥陰の治なり。眞虚し、心〔疒肙〕(えん)す。厥氣留まり薄(せま)れば、發して白汗を為す。食を調え藥を和す。治は下兪に在り。
帝曰.太陽藏何象.
岐伯曰.象三陽而浮也.
帝曰.少陽藏何象.
岐伯曰.象一陽也.一陽藏者.滑而不實也.
帝曰.陽明藏何象.
岐伯曰.
象大浮也.
太陰藏搏言伏鼓也.
二陰搏至.腎沈不浮也.
帝曰く。
太陽の藏、何に象(かた)どるや。
岐伯曰く。
象は三陽にして浮なり。
帝曰く。
少陽の藏、何に象どるや。
岐伯曰く。
象は一陽なり。一陽の藏なる者は、滑にして實せざるなり。
帝曰く。
陽明の藏、何に象どるや。
岐伯曰く。
象は大浮なり。
太陰の藏の搏つとは、伏鼓を言うなり。
二陰の搏ちて至るとは、腎は沈して浮かざるなり。
 
 
 

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