鍼灸医学の懐

奇病論篇第四十七.

やさしい色
 
 奇病とは、四季に関連なく生じる病のことである。
 
 本文中の胞とは、本来袋の意味で用いられており、内経では時に膀胱腑であったり子宮胞を指している。
 
 さらに本文中の「胞脈」が何を指しているのかは、長年の疑問であった。心の絡脉であると理解してなんら差支え無いと考える。
 
 さらに別段それに触れているところがないのを斟酌すれば、「胞脈」とは任脈であると考えればすっきりとする。
 
 長年外に疑問を持ち続けていても、案外足もとで答えの落ちが着くこともあるのだと、少し苦笑している。
 
 本文の意訳に際しては、例によって歴代の医家の注釈は、あまり取らなかった。  その代わり、内経以後培われてきた疾病の病理を意識し、筆者なりの臨床経験からイメージされることを交えた。
 
 先天性の癲癎の病理を改めて読むと、先天的なものは、母体の腎精を乱さないことこそが最も重要である。  そのためには、妊婦は心神が穏やかである環境こそが、最大の「医者いらず」であることを再確認することとなった。
 
 また、口の中が甘く感じたり、時に苦く感じる経験をお持ちの方も多いだろうと、ひとり思っている。
 
 ちなみに口中の甘味は飲食に、苦味は精神的なものが原因となる点を観察した個人の観察眼には、やはり深い敬意を感じる。  読者諸氏は、いかん。
 
 
 
原 文 意 訳
 黄帝が問うて申された。
 妊娠九か月で、突然声が出なくなり、話すことができなくなるのは、何のためであるのか。
 
 岐伯が申された。
 胞の絡脉が絶するからであります。
 
 帝が申された。
 何を根拠にそのように申すのか。
 
 岐伯が申された。
 胞絡と申しますは、腎につながっておりまして、少陰の脉は腎を貫いて舌本に繋がっております。ですので、話すことができなくなるのであります。
 
 帝が申された。
 これを治するには、どのようにすればよいのか。
 
 岐伯が申された。
 治す必要はありません。十月になれば、自然に回復いたします。
 
 刺法に、不足をさらに損ない、有余をさらに益し、全身的な病にしてしまい、その後にそれを調えるようであってはならないと述べられております。
 
 いわゆる不足を損ねてはならないというのは、身体がひどくやつれているものに、を用いて治療してはならないという意味であります。
 
 また有余を益してはならないというのは、腹中に有形の胎児を流産させることになります。
 
 流産いたしますと、精気は出てしまい、病となって腹中に、ひとり邪気がほしいままにはびこるようになります。このようにして全身的な病となってしまうからであります。
 
 
 
 帝が申された。
 脇の下がいっぱいになり、気逆して二、三年も治らない病があるが、これは何病であるのか。
 
 岐伯が申された。
 その病の名は、息積と申します。
 
 この病は、何を食べても差支えありませんが、鍼灸はよろしくありません。導引、服薬を何度も積み重ねます。薬だけでは、治すことが出来ません。
 
 
 
 帝が申された。
 身体の大腿部、股関節、下腿部の全てが腫れ、臍の周囲が痛むのは、これは何病であるのか。
 
 岐伯が申された。
 その病の名は、伏梁と申します。これは、風根でありまして、風邪が肺の腑であります大腸に溢れ、身体の胸元の深部に着いてしまいます。
 
 肺の源は、臍下の腎に在り、大腸の募穴である天枢穴は臍周に在ります。
 
 従いまして、天蓋であります肺の気と地気であります腎の気は、臍周で引き合い、気滞を起こしますので臍の周囲が痛むのであります。
 
 ですから痛んでいる臍周をみだりに動じさせてはなりません。これを動じさせますと、天地・上下が不通になり、水気病となって腫れを生じたり、小便の出が渋る病となってしまうからであります。
 
 
 
 帝が申された。
 人の尺中の脉が数で甚だしく、しかも筋が引きつれを現すのは、これは何病であるのか。
 
 岐伯が申された。
 これはいわゆる疹筋と申しまして、全身の筋が病んでいるのであります。
 
 このような人の腹もまた、必ず引きつっているものであります。顔の気色に、白と黒の色がはっきりと現れていりますと、病は重篤であります。
 
 
 
 帝が申された。
 頭痛を病んで数年も経つというのに、一向に治らないのは、どうしてこのようにしてなったからであろう。また、これは何病であるのか。
 
 岐伯が申された。
 これは厳しい寒気に犯された為でありまして、その寒気が深く骨髄にまで侵入したからであります。
 
 髄と申しますは、脳がその主でありますので、髄から脳に寒邪が上逆いたしますと、頭痛となり、歯もまた痛むのであります。このような病を、厥逆と申します。
 帝が申された。
 なるほど、よく分かった。
 
 
 
 帝が申された。
 ところで、口の中が甘く感じる病があるが、病名は何であるのか。さらにどのしてこのような病になるのであろうか。
 
 岐伯が申された。
 これは五味の気が盛んになりすぎ、溢れたためであります。これを脾(ひたん)と申します。
 
 五味が口に入り胃に納まりますと、脾の精気は盛んとなりまして精気を全身に行らすことがことができます。
 
 胃の津液は、元々脾にありますので、脾気の状態が口内の味覚に現れ、脾に熱がありますと甘く感じさせるのであります。
 
 このように口内が甘く感じますのは、濃厚な美食が過ぎたことによるものであります。
 
 このような人は、度々甘美な食事を摂っていますので、肥え太った者が多いのであります。
 
 肥え太る者は、身体内部に熱を生じさせます。
 
 しかも甘い物は、腹中の気を停滞させますので、太鼓腹のように満ちております。
 
 このようにして、中気であります熱をもった脾気が上部に昇って参りますので、口内が甘く感じるだけでなく、やがて内熱のために激しく口が渇き、水を飲めばそのまま小便に出てしまう消渇となるのであります。
 
 これを治しますには、蘭草を用いまして、腹中に溜まって古くなった気を取り除くのであります。
 
 
 帝が申された。
 では、口の中が苦く感じる病があり、陽陵泉穴を取っても治らないのは、何という病名で、どのようにしてなったのであるか。
 
 岐伯が申された。
 病名は、と申します。
 
 肝と申しますは、将軍の官でありまして、左右・上下を決する働きは、胆が執り行います。ゴクリとものを飲み込む食道は、その胆の使いであります。
 
 今、口が苦いと感じる人は、度々謀慮しながら、しかも中々決断することが出来ずに悩んでおるものであります。
 
 そうしますと次第に胆汁が上に溢れてまいりまして、胆は虚し、しかも口内に苦味を感じるようになって来るのであります。
 
 これを治するには、胆の募穴もしくは兪穴を取って治すのでありますが、詳細は「陰陽十二官相使(亡失)」の中にございます。
 
 
 
 帝が申された。
 尿が全く出なくなる「閉」という病で、一日に数十回も尿意を感じながら尿が全く出ないのは、単に不足の現象である。
 
 また身体が炭のように熱し、首と胸が隔てられたかのように閉塞し、人迎の脉は盛んでバタバタと騒がしい感じがし、息はあえぐばかりでなく、気逆して降りないのは、有余の現象である。
 
 手太陰の脉である寸口の脉が、髪の毛のように微細であるのは、これは不足の現象である。
 
 この病の目付どころはいったいどこにあるのか。また病名は何であるのか。
 
 岐伯が申された。
 病は、太陰の肺に在ります。その熱が盛んである所は胃で、その偏在は肺にあります。
 
 病名は、厥と申します。これは胃の気が絶えておりますので、死病でございます。
 
 これがいわゆる五の有余と二の不足であります。
 帝が申された。
 五の有余と二の不足について、もう少し詳しく話してみよ。
 
 岐伯が申された。
 五の有余と申しますは、一に身体が炭のように熱し、二に首と胸が隔てられたかのように閉塞し、三に人迎の脉は盛んでバタバタと騒がしい感じがし、四に息はあえぐようであり、五に気逆している、この五つのことであります。
 
 二の不足と申しますは、一つには尿意を感じながらも尿が出ない、二つには手太陰の脉である寸口の脉が、髪の毛のように微細である、この二つのことであります。
 
 この五つの有余は、外に現れた現象でありまして、二つの不足は、内の精気の不足を示しています。
 
 これら身体に現れた内外の現象は、陰陽が互いに交流せず、離決しておりますので、まさに死病なのでございます。
 
 
 
 帝が申された。
 生まれながらにして巓疾を病んでいる者がいるが、病名は何であり、どうしてこの病を得ることになったのであろうか。
 
 岐伯が申された。
 病名は、胎病であります。
 
 これは胎児が母親の腹中に宿っている時、その母親が何かのことで大いに驚くことがあり、母親の気と共に、胎児の気もまた昇ってしまい、降りることができなくなったためであります。
 
 さらに母体の気は、胎児を養う腎の精気が昇ってしまい、下焦の胎児を養うことが出来ません。
 
 従いまして、生まれてきた子もまた、腎の精気が不足し、気が逆しますので巓疾となるのであります。
 
 
 
 帝が申された。
 
 水気をたっぷりと含んだような浮腫を病んでおり、脉を切して大いに緊であり、しかも身体に痛みが無く、そうかといって痩せるでもないが食べることもできず、食べても少量程度である。これは一体何の病であるのか。
 
 岐伯が申された。
 病は腎に生じておりますので、腎風と名付けます。
 
 腎風で食べることができず、しかもちょっとしたことでよく驚き、驚いた後で気が降りずにぐったりとして疲労し、さらに心気が衰え、脉もまた遅く萎えてくるような者は、死亡いたします。
 
 帝が申された。
 そうであったか、よく理解した。
 原文と読み下し
 
 
黄帝問曰.人有重身九月而瘖.此爲何也. 岐伯對曰.胞之絡脉絶也. 黄帝問うて曰く。人に重身なる有りて九月にして瘖(いん)するは、此れ何の爲なるや。 岐伯對して曰く。胞の絡脉絶するなり。 帝曰.何以言之. 岐伯曰.胞絡者.繋於腎.少陰之脉.貫腎繋舌本.故不能言. 帝曰く。何を以てこれを言うや。 岐伯曰く。胞絡なる者は、腎に繋る。少陰の脉、腎を貫き舌本に繋る。故に言うこと能わざるなり。 帝曰.治之奈何. 岐伯曰. 無治也.當十月復.刺法曰.無損不足.益有餘.以成其疹.然後調之. 所謂無損不足者.身羸痩.無用石也. 無益其有餘者.腹中有形而泄之.泄之則精出.而病獨擅中.故曰疹成也. 帝曰く。これを治すこと奈何にせん。 岐伯曰く。 治すこと無きなり。十月に當りて復すべし。刺法に曰く。不足を損い、有餘を益し、以て其の疹を成すことなかれ、然る後これを調うと。 所謂不足を損うこと無かれとは、身羸痩するは、鑱石を用いること無きなり。 其の有餘を益す事無かれとは、腹中に形有りてこれを泄す。これを泄せば則ち精出でて病獨り中に擅(ほしいまま)なり。故に疹成ると曰く。 ※疹・・・全身的な病 に意訳 帝曰.病脇下滿氣逆.二三歳不已.是爲何病. 岐伯曰. 病名曰息積. 此不妨於食.不可灸刺.積爲導引.服藥.藥不能獨治也. 帝曰く。病脇下滿ちて氣逆し、二三歳にして已まず。是れ何の病と爲すや。 岐伯曰く。 病名づけて息積と曰く。 此れ食を妨げず。灸刺すべからず。積は導引、服藥を爲す。藥獨り治すこと能わざるなり。 帝曰.人有身體髀股〔月行〕皆腫環齊而痛.是爲何病. 岐伯曰. 病名曰伏梁. 此風根也.其氣溢於大腸.而著於肓.肓之原在齊下.故環齊而痛也. 不可動之.動之爲水溺之病也. 帝曰く。人身體髀股〔月行〕皆腫れ、齊を環りて痛むは、是れ何の病を爲すや。 岐伯曰く。 病名づけて伏梁と曰く。 此れ風根なり。其の氣大腸に溢れ、肓に著く。肓の原は齊下に在り。故に齊をりて痛むなり。 これを動ずべからざるなり。これを動ずれば水溺濇の病と爲すなり。 ・・・むなもと、からだの内部の、よく見えない場所 帝曰.人有尺脉數甚.筋急而見.此爲何病. 岐伯曰.此所謂疹筋.是人腹必急.白色黒色見.則病甚. 帝曰く。人の尺脉數なること甚だしく、筋急して見われること有るは、此れ何の病を爲すや。 岐伯曰く.此れ所謂る疹筋なり。是の人の腹は必ず急す。白色黒色見われば、則ち病甚だし。 帝曰.人有病頭痛.以數歳不已.此安得之.名爲何病. 岐伯曰.當有所犯大寒.内至骨髓.髓者以腦爲主.腦逆.故令頭痛.齒亦痛.病名曰厥逆. 帝曰善. 帝曰く。人頭痛を病て、以て數歳にして已まざるもの有り。此れ安んぞにかこれを得ん。名づけて何病と爲すや。 岐伯曰く。當に大寒に犯される所有りて、内は骨髓に至る。髓なる者は腦を以て主と爲す。腦逆す。故に頭痛せしめ、齒もまた痛む。病名づけて厥逆と曰く。 帝曰く。善し。 帝曰.有病口甘者.病名爲何.何以得之. 岐伯曰. 此五氣之溢也.名曰脾 夫五味入口.藏於胃.脾爲之行其精氣.津液在脾.故令人口甘也. 此肥美之所發也.此人必數食甘美而多肥也.肥者令人内熱.甘者令人中滿.故其氣上溢.轉爲消渇. 治之以蘭.除陳氣也. 帝曰く。口甘を病むもの有り。病名づけて何と爲し、何を以てこれを得るや。 岐伯曰く。 此れ五氣の溢れるなり。名づけて脾癉と曰く。 夫れ五味口に入り、胃に藏す。脾これが爲に其の精氣を行る。津液は脾に在り。故に人をして口甘せしめるなり。 此れ肥美の發する所なり。此れ人必ず數しば甘美を食して肥多きなり。肥えたる者は人をして内熱せしむ。甘なる者は人をして中滿せしむ。故に其の氣は上溢し、轉じて消渇を爲す。 これを治するは蘭を以て、その陳氣を除くなり。 帝曰.有病口苦.取陽陵泉.口苦者.病名爲何.何以得之. 岐伯曰. 病名曰膽 夫肝者中之將也.取決於膽.咽爲之使. 此人者.數謀慮不決.故膽虚.氣上溢.而口爲之苦. 治之以膽募兪.治在陰陽十二官相使中. 帝曰く。口苦を病むもの有り。陽陵泉を取る。口苦なる者は、病名は何と爲し、何を以てこれを得るや。 岐伯曰く。 病名づけて膽癉と曰く。 夫れ肝なる者は中の將なり。膽に決を取る。咽これが使と爲る。 此の人なる者は、數しば謀慮して決せず。故に膽虚し、氣上に溢れ、しかして口これが爲に苦し。 これを治するに膽の募兪を以てす。治は陰陽十二官相使の中に在り。 帝曰. 者.一日數十溲.此不足也. 身熱如炭.頸膺如格.人迎躁盛.喘息氣逆.此有餘也. 太陰脉微細如髮者.此不足也.其病安在.名爲何病. 岐伯曰.病在太陰.其盛在胃.頗在肺.病名曰厥.死不治.此所謂得五有餘.二不足也. 帝曰く。。 癃なる者有り。一日數十溲するは、此れ不足なり。 身熱すること炭の如し。頸膺格するが如し。人迎躁盛して、喘息氣逆するは、此れ有餘なり。 太陰の脉微細にして髮の如き者は、此れ不足なり。其の病安んぞに在りて、名づけて何病と爲すや。 岐伯曰く。病は太陰にあり。其の盛んなるは胃に在り。頗(かたよ)りは肺に在り。病名づけて厥と曰く。死して治せず。此れ所謂る五の有餘.二の不足を得るなり。 帝曰.何謂五有餘二不足. 岐伯曰. 所謂五有餘者.五病之氣有餘也.二不足者.亦病氣之不足也. 今外得五有餘.内得二不足.此其身不表不裏.亦正死明矣. 帝曰く。何を五の有餘二の不足と謂うや。 岐伯曰く。 所謂る五の有餘なる者は、五病の氣有餘なり。二の不足なる者は、亦た病氣の不足なり。 今外は五の有餘を得、内は二の不足を得る。此れ其の身表ならず裏ならず、亦た正に死すること明らかなり。 帝曰.人生而有病巓疾者.病名曰何.安所得之. 岐伯曰. 病名爲胎病. 此得之在母腹中時.其毋有所大驚.氣上而不下.精氣并居.故令子發爲巓疾也. 帝曰く。人生れて巓疾を病む者有り。病名づけて何と曰く。安んぞの所にこれを得るや。 岐伯曰く。 病名づけて胎病と爲す。 此れ母の腹中に在る時、其の毋大いに驚ろく所有りて、氣上りて下らず、精氣并居するにこれを得る。故に子をして發し、巓疾を爲しむるなり。 帝曰.有病然如有水状.切其脉大緊.身無痛者.形不痩.不能食.食少.名爲何病. 岐伯曰.病生在腎.名爲腎風.腎風而不能食.善驚.驚已心氣痿者死. 帝曰く。善. 帝曰く。病痝然(ぼうぜん)として水の状有るの如く、其の脉を切して大いに緊。身痛になき者は、形痩せず、食すること能わず、食少きは、名づけて何病と爲すや。 岐伯曰く。病生ずること腎に在り。名づけて腎風と爲す。腎風にして食すること能わず。善く驚し、驚已みて心氣痿する者は死す。 帝曰く。善し。

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