まず、五行論の源を訪ねてみます。
五行は、四書五経の内の書経(しょきょう)、またの名を尚書(しょうしょ)の中の洪範に初めて見ることができる。
そこに記されているのは、水→火→木→金→土という順序で一般的に知られている木→火→土→金→水とは異なる。
当初は、何のことか分かりませんでした。この辺りから、五行論に対してな~んとなく不信感を感じるようになっていたんです。
僕は考証学者ではないので、以後の展開の正確さと根拠の裏付けは曖昧ですが、いずれどなたかがされると思います。(もうすでにされてるかも知れませんが・・・)
書経に記されている、水→火→木→金→土は、混沌とした世の治世を目的として説かれたもので、無形から有形へ。形の無い物から形がしっかりとして、大なるものへの順序として説かれたものである。
水の形はイメージしにくくても、火の形→木の形→金の形→土の形って次第にイメージしやすくなりますよね。体内に宿った命が赤ん坊として生まれて来るプロセスをイメージしてもらうと分かりやすいかと思います。
それが後世、易学の先天八卦と後天八卦の考えと、関連付けて考えられるようになったのであろうと思う。
つまり、水→火→木→金→土は先天であり宇宙創生・人間誕生。形而上学。
そして一旦形が出来上がったら、木→火→土→金→水で成・長・化・収・蔵と変化していくと、後天八卦の考えと結びついたのだろと考えています。形而下学。
この木→火→土→金→水は、後の時代に論理的展開の必要性に応じて作りだされたものであることは、間違いないでしょう。
今伝えられている木性・火性・土性・金性・水性は、この先天の性質と後天の性質が混同されているのではないかと考えています。
また相生関係、つまり木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じるなどの説は、もっともらしいのですがこれに拘泥してしまうと弊害があると思います。
もう少し分かりやすく説明すると、木が燃えて火生じ、火が燃えると灰を生じて土となり、土の中から金属が生じ、金属は水滴を生じ、また金属のあるところは水が多く、水は木を養う・・・という循環を説いているのだけれど、どうでしょう?
下図の通りです。
この点については、東洋大学創設者、僧侶でもあり東洋哲学の大家、井上 円了(1858~1919年)の著した『妖講純正哲学五十九頁』から、読みにくいですがちょっと引用させて頂くことにする。
『五行とは木火土金水にして、その名目は書経の洪範に出ずるとも、これを諸事諸物に配合して、吉凶禍福を判定するに至りたるは、漢以後の事なるべし。』
― 中 略 ―
『その相生の説明を見るに、火生土の下に、火にて物を焼けば、皆灰となりて土に帰す。これ火より土を生ずる理なりとあれども更にその意を得ず。
例えばここに枯葉ありとするに、これを火に投ずれば灰となり、灰は土となるを以て、火より土を生ずると言わんか。
然るに枯葉は火に投ぜざるも、そのまま土に埋めて、よく土に化するを得べし、且つ火はたとい枯葉を灰にする力ありとするも、唯変化の媒介をなすのみにして、決して土を生ずる力を有するにあらず。
或いは火は水を温めて、能くこれを蒸気に変することを得るも、決してこれを土に変する能わず。或いは又火は金を爍(と)かすことを得るも、金はやはり金にして、火の為に土となるにあらず。果たして然らば火生土の理未だ知るべからず。』
とまあ、口を極めて五行は迷信であると主張されてる訳ですが、これもまた僕としては迷信としてバッサリ切り捨てることが出来ないのです。
五行論は、それをどのように扱うのか。そこが最も重要なところだと思います。
次回、相剋関係を説明致します。
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