鍼灸医学の懐

三部九候論篇第二十.

 筆者はここで記されている、三部九候の脈診は採用していない。

 その理由は、三部九候の脈診が、繁雑に過ぎて九候をひとつにまとめ上げ、認識する力量がないということがあげられる。

 しかしながら実際の臨床においては、宝物の如く多くの示唆を与えてもらっている。

 全体としてひとつのものを、上下の二部に分けることと、上・中・下の三部に分けて診ることは、その時々の状況によって使い分けている。

 この三部を空間としてとらえれば、前後・左右・内外の九分野として認識することが出来る。

 上・中・下の三部は、五藏六府の器である。

 三部それぞれに内蔵されている臓腑の臓象と、各臓腑の気の動きを重ね合わせれば、全身の気の動きをリアルに捉える事が出来る。

 その際、自然界の気の動きと相応させて捉えることは、肝要な点のひとつである。


 一か所の鍼が、他の部の前後・左右・内外にどのような気の変化を来たすのかは、十分予測可能である。

 それには、普段から丹念に人体を切診することが肝要である。

 何を、どこまで観るのか。どのような目で観るのか。術者の心持次第である。


 古典の中には、実際首をかしげる内容も、多々存在する。

 自分の認識不足なのか、それとも誤字、脱字、錯簡、あるいは誤った考えなのか、それとも単に形而上のことなのか・・・今もって計り知れないことが多く含まれている。

 しかしながら、2000年以上も読み継がれて来た『 黄帝内経 』の中には、発掘されるのを待っている多くの宝物が、まだまだ秘かに埋もれていると筆者は確信している。



           原 文 意 訳

  


 黄帝が申された。
 
 余はそちから、九鍼の道を学んだが、その規模や大きさは計りしれないということを知った。
 
 願わくばその要道を聞かせて頂きたい。そしてそれを子孫に告げ、後世のために伝えたく思う。
 
そしてその教えを深く骨髄にまで滲み渡らせ、肝肺に深く蔵し、血をすすって固く盟約を交わし、決して志無きものに泄らすことは致すまい。
 
天道に照らし合わせて、始めから終りまで一貫したいと思う。
 
 ところで、上は日月星辰が天度の運行に応じており、下は四時五行の盛衰・消長変化にそっている。
 
 自然界は冬は陰、夏は陽と、この二極を往来変化するが、人としてこれに応じている道理は、具体的にどのようなことであろうか。
 
どうかその考え方、捉え方を聞かせて頂きたい。
 
 
 岐伯が、これに対して申された。
 
 なんと微細な問いでありますことでしょうや。
 
これは、天地の至数にその答えがございます。
 
 
 帝が申された。
 
願わくば、天地の至数と人の血気を合わせて捉える事が、人の死生を見極めることに通じることの道理を、お聞かせ願いたい。
 
 
 岐伯が申された。
 
 天地の至数は、一に始まり九に終わるものであります。
 
一は天、二は地、三は人。ひとつのものを三に分けまして、さらに三に分けますと三三は九となりまして、九の分野に応じることになります。
 
 従いまして、人もまた上・中・下=天・人・地の三部に分けることが出来まして、三部をさらにそれぞれ三に分けて候(うかが)うのであります。
 
一部は三候に分け、三部九候としまして、人の死生を見極め、あらゆる病に対処するのであります。
 
さらに治療に際しては、この三部九候をもって、虚実を判断し調え、邪疾を取り除いて回復させるのであります。
 
 
 黄帝が申された。具体的に三部は、どのようであるのか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 上部・中部・下部の三部がございまして、さらに各部に天・地・人の三候がるのでございます。
 
これらの部位に関しましては、師匠に直接手を取って指導してもらえば、間違いがございません。
 
大要を申し上げます。
 
 上部の天は、両額の動脈、地は両頬の動脈、人は耳前の動脈を三候と致します。
 
 中部の天は、手太陰、地は手陽明、人は手少陰を三候と致します。
 
 下部の天は、足厥陰、地は足少陰、人は足太陰を三候と致します。
 
 従いまして、下部の天で肝を候い、地で腎を候い、人で脾胃の気を候うのでございます。
 
 
 帝が申された。中部の候はどのようであるか。
 
 
 岐伯が申された。
 
中部にもまた天・地・人がございます。
 
天では肺を候い、地では胸中の気を候い、人では心を候います。
 
 
 帝が申された。上部は何を以て、これを候うのであるか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 同様に上部にもそれぞれ天・地・人がございます。
 
天では頭角の気を候い、地では口歯の気を候い、人では耳目の気を候います。
 
 三部には、各々三候の天があり、地があり、人がありまして、三候にもまた天があり、地があり、人がありますので、三候を三倍いたしますと九となります。
 
この九に分けました九分野は、九臓となるわけであります。
 
 従いまして、神を蔵している五臓と、その器であります頭・胸・腹・腰の四形を合わせまして九臓となります。
 
五臓がすでに敗れてしまいますと、顔色には必ず不吉の死証が現れます。そのようであれば、必ず死するものであります。
 
※張志聡の説「胃・大腸・小腸・膀胱」とあるが、この説を取らない。
 黄帝が申された。これらの候はどのようであるのか。
 岐伯が申された。
 必ず先ずはその身体の肥痩を計りまして、その気の虚実を整えるのであります。実でありますならこれを瀉し、虚でありますならこれを補うのであります。
 さらには、必ずその浮いた血脈を刺絡によって去り、その後に虚実を整えるのでありまして、その病を問うまでも無く、陰陽が調えば治療を終えるのであります。
 
 帝が申された。死生を判断するには、どのようにすれば良いのか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 身体は盛んであるのに脉は細く、気が不足して息も満足にできない者は、危ういのであります。
 
 身体は痩せているのに脉は大きく、胸中に気が多くて詰まってしまい、息が満足に吐けない者は、死するものであります。
 
 身体の盛衰と気とが相応じている者は生きますが、形と気が相反し、それらを参伍して陰陽の調和がとれない者は、病むものであります。
 
また形と気が相反している上に、さらに三部九候それぞれが、バラバラで調っていない者は、死するのであります。
 
上下左右の脉が、杵で臼を搗くように搏ってくるようなものは死します。
 
上下左右の脉の関係性が無くなり、脉が速くて数えることが出来ない感じがするものは死します。
 
人部である中部の候が単独で調っていても、他の衆蔵との関係が調わないものは、死します。
 
中部の候が減弱するものは、死します。目が落ち凹むようなものも死するのであります。
 
 
 帝が申された。
何を以て、病の在る所を知ることができるのであろうか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 九候を察しまして、一候だけが小さい者、大きい者、疾い者、遅い者、熱する者、寒する者、陥下する七診の者は、それぞれその部位に病があるのでございます。
 
 つづきまして、左手で患者の足の上、踝の上五寸のところを按じ、右手で踝を弾きまして、その振動が左手に虫がゆっくりと這うようにゆっくりとした感じで伝わり、内部に調和を感じる者は、病んでいないものであります。
 
 ところが、その振動の伝わり方が疾く感じ、何度か弾じても伝わり方が一定しないものは、病んでいるのであります。
 
また、振動の伝わり方が遅すぎるように感じるのも、病んでいるのであります。
 
 さらにまた、その振動が五寸に及ばなかったり、手ごたえを全く感じないような者は、死するのであります。
 
 さらにその上に、身体の肉が痩せ衰え、身体の力が抜け落ちてしまっているものも、死するのであります。
 
 人部である中部の三候の脉が、たちまち速くなったり遅くなったりするような者もまた死します。
 
 その脉に結代で鉤の脉象を現わすものは、絡脉に病があるのでございます。
 
 九候は、相互に相応じて調い、上下もまたひとつであるかのように、調和がとれていなければなりません。
 
 一候が応じなければ、病みます。
 
二候が応じなければ病は重く甚だしくなります。
 
三候が応じなければ、病は危険な状態となります。
 
 臓腑の状態を、しっかりと察して死生の期を知るのでありますが、それには必ず先ず正常な脉を知り、その後に病んでいる脉を知るという方法をとります。
 
その際に、もし真臓の脉が見われておりましたら、相克関係の尅される時期に死します。
 
 足の太陽の気が絶える者は、足の屈伸が出来なくなり、必ず眼球が上方につりあがって死するものでございます。
 
 帝が申された。 
冬は陰、夏は陽であるが、九候の脉との関係はどのようであるのか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 九候の脉が全て沈細で懸絶するものは、陰でありまして冬を主ります。従いまして、夜半に死します。
 
 これに反して、盛躁で喘数のものは、陽でありまして夏を主ります。従いまして、日中に死します。
 
 このように寒熱、つまり陰陽両方を病むものは、春に相当する夜明けに死します。
 
 熱中や熱病を病むものは、夏に相当する日中に死します。
 
 風を病むものは、秋に相当する夕方に死します。
 
 水を病むものは、冬に相当する夜半に死します。
 
 その脉が、たちまち疏(うとい)となったり数になったり、あるいはたちまち遅となったり疾くなったりするものは、丑、辰、未、戌の刻1に死します。
 
 身体の肉がすでに痩せ落ちてしまった場合、九候が調っていたとしても、死するものでございます。
 
 九候中の一候が小さい者、大きい者、疾い者、遅い者、熱する者、寒する者、陥下するという七診が見われておりましても、九候の脉が全て四季に応じておりますれば、死にません。
 
ここで死せずと申しますのは、風氣の病と月経の病の場合でして、七診の病に似ておりますが本当の七診ではありませんので、死せずというのであります。
 
 もし七診の病があり、その脉候もまた敗れているような者は、死するものでございます。その際には、必ずしゃっくりやゲップを発するものでございます。
 
 ですから必ず病の始まったところと、今の状態とをつまびらかに問いてはっきりとさせ、しかる後に三部九候の脉を切診し、経絡の気の流れの浮沈を意識的に視て、身体の上下、脉の従逆を本来あるべき状態にしたがうように治療するのであります。
 
 その際、脉が滞りなく疾い者は、病んでおりませんが、遅く滞るような者は、病んでおります。
 
脉が往来しないものや皮膚が骨にくっついてしまっているような者は、死するのでございます。
 
1 日乘四季死.十二支を四季に当てはめ、土用に相当する時期
 
 
 帝が申された。どのようにしてそれを候うのであろうか。
 
 
 岐伯が申された。
 必ず先ず身体の肥痩、つまり肉付きの程度を診て、気の虚実を察し気の偏在を調えます。実であれば瀉し、虚であれば補うのであります。
 
 その際、必ず先ず血の現れである血脈を瀉法を用いて去り、しかる後にさらに補瀉を加えて気の偏在を調えるのであります。
 
 どのような種類の病であっても、症状に囚われず、虚実・気血が平になるのを目標にするのでございます。
 
 
 帝が申された。生くべき者の治療は、どのようにすればよいのか。
 
 
 岐伯が申された。
 
 を病む者は、その經を治し、孫絡を病む者はその孫絡を瀉血して治し、血病で身体に痛みがある者は、その経脉と絡脉を治します。
 
 その病が、奇邪の存在によって生じておりますれば、奇邪の留まっている脉を繆刺※1 致します。
 
 病が久しく留まり身体が痩せて症状が固定していれば、四季の変化などによって症状が僅かにでも変化する要因を見い出して刺すのであります。
 
 上部が実し、下部が虚しておりますれば、切診を手づるとして気血が結している絡脉を探し求め、そのところを瀉血することで気を通じさせるのであります。
 
 また瞳が上向きの者は、太陽の気が不足しているで、さらに瞳が上に挙がってしまい動かなくなった者は、太陽の気がすでに絶えてしまった象であります。
 
これらはすべて、死生を判断する要となることでございますれば、諸事参伍して察するということをお忘れにならないようにすべきことが肝要かと存じます。
 
※1 左が病めば右を刺し、右が病めば左を刺す方法。
 
 
原 文 と 読 み 下 し
 
黄帝問曰.
余聞九鍼於夫子.衆多愽大.不可勝數.
余願聞要道.以屬子孫.傳之後世.著之骨髓.藏之肝肺.歃血而受.不敢妄泄.
令合天道.必有終始.
上應天光星辰歴紀.下副四時五行.貴賎更互.
冬陰夏陽.以人應之奈何.願聞其方.
黄帝問うて曰く。
余は九鍼を夫子に聞けり。衆多愽大なること、勝げて數うべからず。
余願わくば要道を聞かん。以て子孫に屬(しょく)して、これを後世に傳え、これを骨髓に著(しる)し、これを肝肺に藏し、血を歃(すす)りて受け、敢えて妄りに泄さず。
天道に合せしめるに、必ず終始あり。
上は天光星辰の歴紀するに應じ、下は四時五行の貴賎に更互し、冬は陰、夏は陽に副(かな)う。以て人これに應ずること奈何なるや。願わくばその方を聞かん。
岐伯對曰.妙乎哉問也.此天地之至數.
帝曰.願聞天地之至數.合於人形血氣.通決死生.爲之奈何.
岐伯曰.
天地之至數.始於一.終於九焉.一者天.二者地.三者人.因而三之.三三者九.以應九野.
故人有三部.部有三候.以決死生.以處百病.以調虚實而除邪疾.
岐伯對して曰く。妙なるかな問いや。此れ天地の至數なり。
帝曰く。願わくば天地の至數、人形の血氣に合し、死生を決するに通ずるを聞かん。これを爲すこと奈何なるや。
岐伯曰く。
天地の至數、一に始まり、九に終わる。一なる者は天、二なる者は地、三なる者は人なり。因りてこれを三にし、三三なる者は九。以て九野に應ず。
故に人に三部あり。部に三候有り。以て死生を決し、以て百病を處し、以て虚實を調え、邪疾を除くなり。
帝曰.何謂三部.
岐伯曰.
有下部.有中部.有上部.部各有三候.三候者.有天有地有人也.必指而導之.乃以爲眞.
上部天.兩額之動脉.
上部地.兩頬之動脉.
上部人.耳前之動脉.
中部天.手太陰也.
中部地.手陽明也.
中部人.手少陰也.
下部天.足厥陰也.
下部地.足少陰也.
下部人.足太陰也.
故下部之天以候肝.地以候腎.人以候脾胃之氣.
帝曰く、何をか三部と謂うや。
岐伯曰く。
下部有り、中部有り、上部有り。部に各おの三候有り。三候なる者は、天有り、地有り、人有るなり。必ず指してこれを導けば、乃ち以て眞と為すなり。
上部の天は、兩額の動脉なり。
上部の地は、兩頬の動脉なり。
上部の人は、耳前の動脉なり。
中部の天は、手の太陰なり。
中部の地は、手の陽明なり。
中部の人は、手の少陰なり。
下部の天は、足の厥陰なり。
下部の地は、足の少陰なり。
下部の人は、足の太陰なり。
故に下部の天は以て肝を候い、地は以て腎を候い、人は以て脾胃の氣を候うなり。
帝曰.中部之候奈何.
岐伯曰.亦有天.亦有地.亦有人.天以候肺.地以候胸中之氣.人以候心.
帝曰.上部以何候之.
岐伯曰.
亦有天.亦有地.亦有人.天以候頭角之氣.地以候口齒之氣.人以候耳目之氣.
三部者.各有天.各有地.各有人.三而成天.三而成地.三而成人.三而三之.合則爲九.九分爲九野.九野爲九藏.
故神藏五.形藏四.合爲九藏.五藏已敗.其色必夭.夭必死矣.
帝曰く。中部これを候うこと奈何にせん。
岐伯曰く。亦た天有り.亦た地有り.亦た人有り.天は以て肺を候い、地は以て胸中の氣を候い、人は以て心を候う。
帝曰.上部は何を以てこれを候うや。
岐伯曰く。
亦た天有り、亦た地有り、亦た人有り。天は以て頭角の氣を候い、地は以て口齒の氣を候い、人は以て耳目の氣を候う。
三部なる者は、各おの天有り、各おの地有り、各おの人有り。三にして天を成し、三にして地を成し、三にして人を成す。三にしてこれを三にし、合すれば則ち九と爲す。九分は九野と為し、九野は九藏を為す。
故に神藏五、形藏四、合して九藏と為す。五藏已に敗るれば、其の色必ず夭す。夭すれば必ず死するなり。
帝曰.以候奈何.
岐伯曰.
必先度其形之肥痩.以調其氣之虚實.實則寫之.虚則補之.
必先去其血脉.而後調之.無問其病.以平爲期.
帝曰く。以て候うには奈何にせん。
岐伯曰く。
必ず先ず其の形の肥痩を度り、以て其の氣の虚實を調う。實すれば則ちこれを寫し、虚すれば則ちこれを補う。
必ず先ず其の血脉を去り、しかる後これを調う。其の病を問うこと無なれ。平を以て期と為す。
  
帝曰.決死生奈何.
岐伯曰.
形盛脉細.少氣不足以息者危.
形痩脉大.胸中多氣者死.形氣相得者生.參伍不調者病.
三部九候.皆相失者死.
上下左右之脉.相應如參舂者.病甚.
上下左右相失.不可數者死.
中部之候.雖獨調.與衆藏相失者死.
中部之候.相減者死.目内陷者死.
帝曰く。死生を決すること奈何なるや。
岐伯曰く。
形盛んなるに脉細す、少氣し以て息するに足らざる者は、危し。
形痩せ脉大にして、胸中に氣多き者は死す。形氣相う得る者は生く。參伍して調わざる者は病む。
三部九候、皆相い失する者は死す。
上下左右の脉、相い應ずること參舂(さんしょう)の如き者は、病甚し。
上下左右相い失し、數うべからざる者は死す。
中部の候、獨り調うと雖ども、衆藏と相い失する者は死す。
中部の候、相い減ずる者は死す。目内に陷いる者は死す。
帝曰.何以知病之所在.
岐伯曰.
察九候.獨小者病.獨大者病.獨疾者病.獨遲者病.獨熱者病.獨寒者病.獨陷下者病.
以左手足上.1(上)去踝五寸按之.以2(庶)右手(足)當踝而彈之.其應過五寸以上.蠕蠕然者不病.
其應疾.中手渾渾然者病.
中手徐徐然者病.
其應上不能至五寸.彈之不應者死.是以脱肉身3不)去者死.
中部乍疏乍數者死.
其脉代而鉤者.病在絡脉.
九候之相應也.上下若一.不得相失.
一候後則病.二候後則病甚.三候後則病危.所謂後者.應不倶也.
察其府藏.以知死生之期.
必先知經脉.然後知病脉.眞藏脉見者.勝死.
足太陽氣絶者.其足不可屈伸.死必戴眼.
1 新校正に従い(上)を去る。
2 「甲乙経」に従い、(庶)を以に変え、(足)を去る。
3是以脱肉身(不)去者死.太素に従い、不を去りて訂正す。
帝曰く。何を以て病の所在をしるや。
岐伯曰く。
九候を察するに、獨り小なる者は病む。獨り大なる者は病む。獨ち疾き者は病む。獨り遲き者は病む。獨り熱する者は病む。獨り寒する者は病む。獨り陷下する者は病む。
左手を以て足の上、踝を去ること五寸にしてこれを按じ、右手を以て足の踝に當てこれを彈ず。其の應五寸以上を過ぎて蠕蠕(じゅじゅ)然たる者は病まず。
其の應疾く、手に中ること渾渾(こんこん)然たる者は病む。
手に中ること徐徐(じょじょ)然たる者は病む。
其の應上は五寸に至ること能わず、これを彈じて應ぜざる者は死す。是れを以て脱肉して身去る者は死す。
中部乍(たちま)ち疏、乍ち數なる者は死す。
其の脉代にして鉤なる者は、病は絡脉に在り。
九候の相い應ずるや、上下一の若く、相い失するを得ず。
一候の後るるは則ち病む。二候の後るるは則ち病甚だし。三候の後るるは則ち病危うし。所謂後るる者とは、應ずること倶にせざるなり。
其の府藏を察し、以て死生の期を知る。
必ず先ず經脉を知り、然る後病脉を知る。眞藏の脉見わる者は、勝つときに死す。
足の太陽の氣絶する者は、其の足屈伸すべからず。死するや必ず戴眼す。
帝曰.冬陰夏陽奈何.
九候之脉.皆沈細懸絶者.爲陰主冬.故以夜半死.
盛躁喘數者.爲陽主夏.故以日中死.
是故寒熱病者.以平旦死.
熱中及熱病者.以日中死.
病風者.以日夕死.
病水者.以夜半死.
其脉乍疏乍數.乍遲乍疾者.日乘四季死.
形肉已脱.九候雖調.猶死.
七診雖見.九候皆從者.不死.所言不死者.風氣之病.及經月之病.似七診之病而非也.故言不死.
若有七診之病.其脉候亦敗者死矣.必發噫.
必審問其所始病.與今之所方病.而後各切循其脉.視其經絡浮沈.以上下逆從循之.
其脉疾者不病.其脉遲者病.脉不往來者死.皮膚著者死.
帝曰く。冬は陰、夏は陽とは奈何なるや。
岐伯曰く。
九候の脉、皆沈細にして懸絶する者を、陰と爲し冬を主る。故に夜半を以て死す。
盛躁にして喘數なる者は、陽と為し、夏を主る。故に日中を以て死す。
是れ故に寒熱を病む者は、平旦を以て死す。
熱中及び熱を病む者は、日中を以て死す。
風を病む者は、日の夕を以て死す。
水を病む者は、夜半を以て死す。
其の脉乍ち疏乍ち數、乍ち遲乍ち疾なる者は、日四季に乘じて死す。
形肉已に脱し、九候調うと雖ども、猶お死す。
七診見われると雖ども、九候皆從う者は、死せず。言う所の死せざる者とは、風氣の病、及び經月の病なり。七診の病に似たれども非なるなり。故に死せずと言うなり。
若し七診の病有りて、其の脉候も亦た敗れる者は死するなり。必ず噫(えつい)を發す。
必ず審らかに其の病の始まるところと今方(まさ)に病む所を問い、しかる後各おの其の脉を切循し、其の經絡の浮沈を視み、以て上下逆從これに循(した)がう。
其の脉疾なる者は病まず。其の脉遲なる者は病む。脉の往來せざる者は死す。皮膚著する者は死す。
帝曰.其可治者奈何.
岐伯曰.
經病者.治其經.孫絡病者.治其孫絡血.血病身有痛者.治其經絡.
其病者在奇邪.奇邪之脉.則繆刺之.
留痩不移.節而刺之.
上實下虚.切而從之.索其結絡脉.刺出其血.以通其気.※1 (以見通之.)
瞳子高者.太陽不足.戴眼者.太陽已絶.此決死生之要.不可不察也.
手指及手外踝上五指留鍼.※2 
※1 以見通之.甲乙経に倣い、以通其気に作る。
※2 手指及手外踝上五指留鍼.錯簡の文であるため、省略す。
帝曰く。其の治すべき者は、奈何にせん。
岐伯曰く。
經を病む者は、其の經を治し、孫絡を病む者は、其の孫絡の血を治す。血病にして身に痛み有る者は、其の經絡を治す。
其の病なる者、奇邪に在れば、奇邪の脉、則ちこれを繆刺す。
留痩して移らざるは、節してこれを刺す。
上實して下虚するは、切してこれに從い、其の結絡の脉を索(もと)め、刺して其の血を出だし、以て其の気を通ず。
瞳子高き者は、太陽の不足なり。戴眼する者は、太陽已に絶す。此れ死生を決するの要、察せざるべからざるなり。
 
 

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