本篇を通読すると、まず三陰三陽の働きとその病脉象が記されている。
さらに四時陰陽の気の盛衰と死期との関係についても述べられている。
ここで述べられている内容を、気の偏在・盛衰を意識しながら手元に引き寄せ、理解しようと試みた。
それだけでなく、この篇の著者の陰陽の定位が、どこに立てられているのかを探りながら意訳を試みたが、非常に困難であるため直訳の部分もあることをご承知くださればと思います。
三陰三陽の働きに関しては、当ブロブ<陰陽離合論(六) – 一即多、多即一 (1)>を併せてお読みくだされば、自ずと通じるものを読み取って頂けるのではと思います。
本篇の難解な内容が、素問の後半のさらに後に記されてる校正・編者の意図を汲み取ろうとすれば、以下の文言が筆者の目に止まりました。
『決以度.察以心.合之陰陽之論.』
<決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。>
本篇に至るまでの内経医学の世界観・人体観に基づいた生理病理をしっかりと認識し、人に切して術者の心に映る感覚で気を捉えよ。
そしてさらに最後に、もう一度陰陽の道理に照らし合わせて万全たれと、そのような声が聞こえるのですが、読者諸氏はいかがでしょうか。
ところで黄帝と雷公のやり取りの中の、最も貴い臓が何であるかが明確に記されていないところが、いやはやなんと理解すればいいのでしょうか・
終始循環の法則からしてみれば、ひとつだけが貴いということはあり得ないということでしょうか。
原 文 意 訳
立春となった日に、黄帝はくつろぎながら座し、場に臨んでを八方・八風の気を感得しながら雷公に問うて申された。
陰陽を用いての分類はいろいろとあり、経脉の道、五臓もそれぞれあるが、その中で最も太極とすべき貴き臓は何であるか。
雷公がその問いに対して申された。
春は甲乙の主る季節でありまして、万物が芽を出し動き始まめる季節であります。その色は青でありますので、人体に在りては肝が主となります。その期間は七十二日でありまして、これは肝の脈が人体を主る時であります。
臣は、このような理由から、すべての始まりである肝の臓が最も貴いものと存じます。
黄帝が申された。
上下經の陰陽、従容の内容をよくよく思い返せば、そちが貴いと申す肝の臓は、その最も下であるぞ。
雷公、斎戒すること7日、夜明けに再び座して黄帝がお出ましになるのを待っておられた。
黄帝が申された。
三陽(太陽)は背部を単独で走行するので経とし、二陽(陽明)は他経と交わりながら走行するので維とし、一陽(少陽)は身体側面を走行して陰陽の枢であるため游部(ゆうぶ)とする。
これらのことから、五臓の気の始まりと終わりの循環を知ることが出来よう。
三陰(太陰)は表であり、二陰(少陰)を裏とし、一陰(厥陰)に至って絶するのである。これは月の初めと末日のように、天地陰陽の消長にもぴったりと符合するのである。
雷公が申された。
私は業を教わり受けましたが、まだその理を明らかにして理解することが出来ておりません。
帝が申された。
いわゆる三陽というのは、太陽であり経脉のことである。太陽の気は手の太陰に至るのである。その脉象が弦浮にして沈でない場合、四時陰陽の盛衰と病人の気血の盛衰を兼ねて考慮し、心で病態を察するのである。さらに最終的に陰陽の法則に照らし合わせるのである。
いわゆる二陽というのは、陽明のことである。陽明の気は手太陰に至り、脉象が弦にして沈急でありながら鼓する力が無く発熱しているようであれば、皆死するものである。
一陽というのは、少陽のことである。少陽の気は手太陰に至りて人迎に連なる。その脉象が、弦急にして頼りないようでも絶しないようであれば、これは少陽の病である。だが胃の気が窺えないようであれば死するものである。
三陰すなわち太陰は、六経の主る所であり太陰に交わるものである。その脉象が伏して力強く鼓して浮でないのは、上下の気血が不通となり、上の心志も空虚となっているからである。
二陰すなわち少陰は、肺に至りてその気は膀胱に帰し、外は脾胃に連なるのである。
一陰すなわち厥陰が単独で至るようであれば、経気は絶し、気は浮いて鼓することが出来ず、鉤にして滑を呈するのである。
これら六脉は、陰陽・陽陰とそれぞれ入れ替わり立ち代わりしながら五臓に絡みつくように通じるのであるが、これらは全て陰陽の道理に合するのである。
最初に手太陰の脈に現れるものを主とし、後に現れるものを客とし、その主従を判断するのである。
雷公が申された。
臣は自分の意を尽くして経脉を理解することが出来ました。また従容の道もその素晴らしさを実感しております。しかしながら従容とした心持で居りましても、経脉の陰陽の道理と雄雌の道理が理解できずにおります。
帝が申された。
三陽である太陽は、天であり父であり尊いのである。
二陽の陽明は、外の邪気から身を守る衛である。
一陽の少陽は、太陽と陽明を取り仕切り、相互に切り替える綱紀である。
三陰の太陰は、地であり母であり、卑(ひく)くして万物を養育するのである。
二陰の少陰は、雌であり内の守りであり、受けて生み出すのである。
一陰の厥陰は、太陰と少陰を単独で行き来する使いである。
二陽一陰、つまり陽明と厥陰の合病では、陽明が病を主る。陽明が厥陰に勝つことが出来ず、脈は軟にして動であれば、九竅は通利しなくなるのである。
三陽一陰、つまり太陽と厥陰の合病では、太陽が勝ち、厥陰がそれを制することが出来ないものである。したがって内部では五臓の気が乱れ、外では情緒不安定な驚駭となるのである。
二陰二陽、つまり少陰と陽明の合病は、肺に現れる。少陰脈は沈で肺に勝ちて脾を傷り、外は四肢を障害するのである。
二陰一陽、つまり少陰と少陽の合病は、腎に現れる。陰気が心に留まり、下部の竅は空疎となって閉塞し、四肢は思い通りに動かすことが出来なくなるのである。
一陰一陽、つまり厥陰と少陰の合病で代脈で絶するようであるならば、これは陰気が心に至り、上下・内外の気が正常を失い、咽喉も乾燥してしまうのである。この病は、脾土に在るのである。
二陽三陰、つまり陽明と太陰の合病である場合、至陰の太陰が主となり、陰陽の相交が閉ざされて隔絶し、脉浮であれば血瘕(痞塊・腫瘍)を生じ、脈沈であれば膿腫となるのである。
陰陽の気が共に盛んであれば、下の前陰・後陰にその状態が現れるのである。
上ははっきりと明るい天道に合し、下は暗くてはっきりとしない地理・地道に合し、これらを踏まえて診察を行い、死生の時期を決し、最後に一年の最初を知り、どの臓が最も貴いのかを理解するのである。
雷公が申された。
どうか短期間で亡くなる理由をお尋ねしたいのですが。
黄帝、応ぜず。
雷公が再び問われた。
黄帝が、すでに経論の中にあるではないか、と申された。
再度雷公が、経論中にあります短期で亡くなる理由をお聞かせください、と申された。
帝が申された。
寒気の盛んな冬の三か月に、病が陽にあり、春の初めの正月に死徴の脈を表わすようであれば、皆春の終わりに帰幽するのである。
冬三か月の病で、陰陽の理で計りてすでに胃の気の尽きたるものは、草や柳の葉が芽吹くころに皆死するものである。春に陰陽の気がすべて絶しているようであれば、死期は正月の孟春である。
春三か月の病は、陽殺というのである。陰陽がすべて絶するときは、秋の草枯れのころが死期である。
夏三か月の病で、至陰つまり脾の病であれば、十日を過ぎずして死するものである。また陰陽が交わっているようであれば、水がきれいに澄んでくる秋の時節に死するものである。
秋三か月の病で、三陽が共に起きるものは、治せずとも自然に治るものである。
また陰陽の気が互いに入り混じり、陰陽の偏盛偏衰を生じた場合は、坐ることが出来なかったり、また立つことが出来なくなるのである。
また三陽のみが至りて陰気が至らない場合、死期は水が凍りつく石水の頃である。
二陰のみが至りて陽気が至らない場合、死期は氷が解けて水となる正月、盛水の頃である。
原文と読み下し文
孟春始至.黄帝燕坐.臨觀八極.正八風之氣.而問雷公曰.
陰陽之類.經脉之道.五中所主.何藏最貴.
孟春始めて至る。黄帝燕坐して八極を臨觀し、八風の氣を正して雷公に問うて曰く。
陰陽の類、經脉の道、五中の主る所、何れの藏か最も貴きや。
雷公對曰.春甲乙青中主肝.治七十二日.是脉之主時.臣以其藏最貴.
雷公對して曰く。春は甲乙、青、中は肝を主る。治むること七十二日、是れ脉の時を主る。臣其の藏を以て最も貴しとす。
帝曰.却念上下經.陰陽從容.子所言貴.最其下也.
帝曰く。上下經の陰陽從容を念(おも)い却(かえ)れば、子が貴しと言う所は、最も其の下なり。
雷公致齋七日.旦復侍坐.
雷公齋を致すこと七日。旦(あした)に復(ま)た坐して侍す。
帝曰.
三陽爲經.二陽爲維.一陽爲游部.此知五藏終始.
三陰※爲表.二陰爲裏.一陰至絶作朔晦.却具合以正其理.
帝曰く。
三陽を經と爲し、二陽を維と爲し、一陽を游部と爲す。此に五藏の終始を知る。
三陰※を表と爲し、二陰を裏と爲し、一陰至りて絶すれば朔晦(さくかい)を爲す。却って具(つぶ)さに合し以て其の理を正す。
※三陽を三陰に作る
※游部(ゆうぶ) 位置を定めず動き回る、あそぶ、ぶらぶらする。
雷公曰.受業未能明.
帝曰.
所謂三陽者.太陽爲經.三陽脉至手太陰.弦浮而不沈.決以度.察以心.合之陰陽之論.
所謂二陽者.陽明也.至手太陰.弦而沈急不鼓.炅至以病.皆死.
一陽者.少陽也.至手太陰.上連人迎.弦急懸不絶.此少陽之病也.專陰則死.
雷公曰く。業(わざ)を受けるも未だ能く明らかならず。
帝曰く。
所謂(いわゆる)三陽なる者は、太陽を經と爲す。三陽の脉は太陰に至り、弦浮にして沈ならず。決するに度を以てし、察するに心を以てし、これを陰陽の論に合す。
所謂(いわゆる)二陽なる者は、陽明なり。手太陰に至り、弦にして沈急にして鼓せず。炅(けい)至りて以て病むは、皆死す。
一陽なる者は、少陽なり。手太陰に至りて上は人迎に連らなり、弦急にして懸なるも絶せざるは、此れ少陽の病なり。陰專(もっぱ)らなれば則ち死す。
※炅(けい)烈火、火
三陰者.六經之所主也.交於太陰.伏鼓不浮.上空志心.
二陰至肺.其氣歸膀胱.外連脾胃.
一陰獨至.經絶.氣浮不鼓.鉤而滑.
此六脉者.乍陰乍陽.交屬相并.繆通五藏.合於陰陽.先至爲主.後至爲客.
三陰なる者は、六經の主る所なり。太陰に交わり、伏鼓して浮ならず、上は志心空(むな)しゅうす。
二陰は肺に至る。其の氣は膀胱に歸し、外は脾胃に連らなる。
一陰獨り至り、經絶すれば、氣は浮いて鼓せず。鉤にして滑なり。
此の六脉なる者は乍(たちま)ち陰乍(たちま)ち陽。交(こも)ごも屬して相い并し、五藏に繆(まつ)わり通じ、陰陽に合す。先に至るを主と爲し、後に至るを客と爲す。
雷公曰.臣悉盡意.受傳經脉.頌得從容之道.以合從容.不知陰陽.不知雌雄.
雷公曰く。臣悉(ことごと)く意を盡(つく)し、經脉を受け傳(つた)え、從容の道を頌(しょう)し得て、以て從容に合すれども、陰陽を知らず、雌雄を知らざるなり。
※頌(しょう)ほめたたえる、ほめたたえるうた。
帝曰.
三陽爲父.二陽爲衞.一陽爲紀.
三陰爲母.二陰爲雌.一陰爲獨使.
帝曰く。
三陽を父と爲し、二陽を衞と爲し、一陽を紀と爲す。
三陰は母と爲し、二陰は雌と爲し、一陰は獨(ひと)り使と爲す。
二陽一陰.陽明主病.不勝一陰.脉耎而動.九竅皆沈.
三陽一陰.太陽脉勝.一陰不能止.内亂五藏.外爲驚駭.
二陰二陽.病在肺少陰脉沈.勝肺傷脾.外傷四支.
二陰二陽.皆交至.病在腎.罵詈妄行.巓疾爲狂.
二陰一陽.病出於腎.陰氣客遊於心.脘下空竅.堤閉塞不通.四支別離.
一陰一陽代絶.此陰氣至心.上下無常.出入不知.喉咽乾燥.病在土脾.
二陽三陰.至陰皆在.陰不過陽.陽氣不能止陰.陰陽並絶.浮爲血瘕.沈爲膿胕.
陰陽皆壯.下至陰陽.
上合昭昭.下合冥冥.診決死生之期.遂合歳首.
二陽一陰、陽明病を主る。一陰に勝たず。脉耎(ぜん)にして動なれば、九竅は皆沈む。
三陽一陰、太陽の脉勝ちて、一陰止むこと能わず。内は五藏亂(みだ)れ、外は驚駭を爲す。
二陰二陽、病は肺に在り。少陰の脉沈、肺に勝ち脾を傷り、外は四支を傷る。
二陰二陽、皆交(こもご)も至れば、病は腎に在り。罵詈妄行し、巓疾して狂を爲す。
二陰一陽、病は腎に出ず。陰氣は心に客遊し、脘下の空竅、堤は閉塞して通ぜず。四支は別離す。
一陰一陽代絶するは、此れ陰氣心に至り、上下に常無く、出入を知らず、喉咽乾燥す。病は土脾に在り。
二陽三陰、至陰皆在るは、陰は陽に過ぎず、陽氣は陰を止めること能わず。陰陽並びて絶す。浮は血瘕(けっか)と爲し、沈は膿胕と爲す。
陰陽皆壯(さか)んなれば、下は陰陽に至る。
上は昭昭に合し、下は冥冥に合す。診して死生の期を決し、遂(つい)に歳首に合す。
雷公曰.請問短期.
黄帝不應.
雷公復問.
雷公曰く。請いて短期を問う。
黄帝應ぜず。
雷公復た問う。
黄帝曰.在經論中.
雷公曰.請聞短期.
黄帝曰く。經論の中に在り。
雷公曰く。請いて短期を聞かん。
黄帝曰.
冬三月之病.病合於陽者.至春正月.脉有死徴.皆歸出春.
冬三月之病.在理已盡.草與柳葉.皆殺.春陰陽皆絶.期在孟春.
春三月之病.曰陽殺.陰陽皆絶.期在草乾.
夏三月之病.至陰不過十日.陰陽交.期在溓水.
秋三月之病.三陽倶起.不治自已.
陰陽交合者.立不能坐.坐不能起.三陽獨至.期在石水.
二陰獨至.期在盛水.
黄帝曰く。
冬三月の病、病が陽に合する者は、春正月に至りて、脉に死徴有るは、皆出春に歸す。
冬三月の病、理に在りて、已に盡きるは、草と柳葉と皆殺(さい)する。春に陰陽皆絶するは、期は孟春に在り。
春三月の病、陽殺と曰く。陰陽皆絶するは、期は草乾に在り。
夏三月の病、至陰なれば十日を過ぎず。陰陽交われば、期は溓水(れんすい)に在り。
秋三月の病、三陽倶に起き、治せずして自ずと已(や)む。
陰陽交ごも合する者は、立ちて坐すること能わず、坐して起きること能わず。三陽獨(ひと)り至るは、期は石水に在り。
二陰獨(ひと)り至るは、期は盛水に在り。
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