本篇では、天人合一思想を軸として陰陽論を駆使して記されている。
本中に「上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知る」とあるは、上は天気に応じ、下は地気に応ずと読み替えることができる。
中の人事は、我々の意識的・理知的な働きとして読んでもいいのであろうか。
それとも天地の間にあって、我々の人事が生じると読むのであろうか。
そこは読者諸氏のしっくりとくる読み方でよいと思われる。
突発的な病は今起きたのではなくて、それ以前より積み重なったものが何か偶然のきっかけで表出したに過ぎないことを述べている。
我々は、四診の筆頭、望診術をはじめ様々な術が伝承されている。
伝わっている伝承を知るもの少なし、といった感じだろうか。
意 訳
黄帝は、政務を行う宮殿に座り、雷公をお召しになられ、「そちは医道を心得ておるか」と問われました。
それに対して雷公が申された。
私は声に出して読み、一応の理解はできております。ですが、未だにしっかりと弁別することができませんで、仮に弁別したとしても確信することができませんので、はっきりこうだと人に伝えることもできない状態です。
ですから同僚の治病はまま行えますが、国の大事を預かる王侯の治病を行うのには、恐れ多い次第であります。
願いますれば、天の運行法則をしっかりと自分の意識に擁立し、四時陰陽の盛衰・消長と照らし合わせ、星辰と日月の光を観察してこの医術を人に伝えることができるよう、明確に致したいと存じます。
そして後世に至って益々明確になりますれば、上は神農に通じることができましょうし、この至教を著し、過去偉大なる二皇にも肩を並べられる人物となりたく存じます。
黄帝が申された。
よし、よくわかった。今申したことを忘れる出ないぞ。
そちが申したことは全て、陰陽・表裏、上下・雄雌と相互に感応し合うものである。
さらにこの医道は、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知ることで長久することができるのである。
このような普遍の真理を以て大衆に教え導いたとしても、人々の心に疑いを生じることは無いであろう。
そしてこの医道の論篇は後世に伝えるべきであり、また宝とすべきものである。
雷公が申された。
これを読経して暗唱し、深く理解してこれを用いますので、どうかこの医道を授けてください。
帝が申された。
そちは陰陽伝という書物を聞いたことがあるか。
雷公が申された。
知りません。
黄帝が申された。
三陽は天の働きと同じである。上下の気の交流が常道を離れてしまえば、天人合して病となるのである。
それは天地・上下に気が偏り、陰陽の気の交流が害されてしまうからなのである。
雷公が申された。
三陽は当たること無しとは、いったいどのように理解すればよろしいのでしょうか。どうかお聞かせください。
黄帝が申された。
三陽がひとり至るとは、三陽がひとつとなって一気に至るということである。その様は突然やってくる風雨のようであり、上に症状が現れると巓疾のように突然意識を失ったり、下に症状が現れると大小便が漏れてしまうなどの漏病を現すのである。
三陽がひとつとなって怒涛の如く押し寄せれば、このような様であるから外に現れる症状は予測することができず、また五臓六腑の正常な生理も乱れ失われるので、経典に記されている規律にも当てはまらず、診察しても病根が上下のどこにあるのかさえ分からないので、書き著すことさえできないものである。
雷公が申された。
私が治療いたしましても、治ることはまれでありまして、病に対して思うことを述べるに留まってしまいます。
帝が申された。
三陽の病というのは、陽の最も盛んな状態である。このような至陽である三陽が、内部に積もり積もって一気に発すれば、驚躁状態となるのである。それはあたかも疾風のように迅速で突然であり、また晴天の霹靂(へきれき)の如く猛烈で衝撃的な形で起こるのである。
そうなると、体中の穴という穴(九竅)は全て塞がって通じなくなり、陽気は満ち溢れて口中は乾いてしまい喉もまた塞がってしまうのである。
この三陽の病が、五臓六腑の陰に集まれば、正常な上下の気の交流が乱れてしまい、さらに陰に迫れば筒下しのような下痢。つまり腸澼(ちょうへき)を起こすのである。このような状態を、三陽が直接心を侵したというのである。
このようであれば、座ることはできても立つことはできず、仰向けになるとようやく体が楽になるのは、三陽の病であるからである。
そちが天下の諸事を知ろうとするのであれば、何を以て陰陽を別ち、四時の気に応じ、これらを五行に合致させるのか。
雷公が申された。
表立って述べられてる言葉が識別できませんで、また言葉に込められている深遠な理もまた理解できません。
改めてどうか教えを頂戴しまして、この混沌とした困惑を解き、道に至りたく存じます。
帝が申された。
そちがもし、余が授けた伝を受けても、道に至る過程に合致させることができなければ、余の教えを惑わすだけになるであろう。そちに道に至る要を語って聞かせてやろう。
病邪が五臓を傷害すれば、筋骨は日ごと痩せ衰えていくものである。それをそちがこれまで述べてきた陰陽・四時・五行の理を以て明確にできないというのであれば、世の医学は伝えることができずに廃れていくであろう。
一例を挙げれば、腎がまさに今絶えんとする場合は、なんとなく不安定な気持ちで日が暮れ、落ち着いてしまったかのように外に出たからず、社会生活や日常生活が消沈するようになるなどである。
もう一度振り返り、自らの不明な困惑を明らかにし、道に至るがよい。
原文と読み下し
黄帝坐明堂.召雷公而問之曰.子知醫之道乎.
雷公對曰.
誦而頗能解.解而未能別.別而未能明.明而未能彰.
黄帝明堂に座し、雷公を召してこれに問うて曰く。子、醫の道を知るや。
雷公對して曰く。
誦(しょう)して頗る能く解す。解するも未だ能く別たず。別かつも未だ能く明らかならず。明らかにして未だ能く彰らかならず。
足以治群僚.不足至侯王.願得受樹天之度.四時陰陽合之.別星辰與日月光.以彰經術.後世益明.上通神農.著至教.疑於二皇.
以て群僚を治するに足るも、侯王に至りて足りず。願わくば天の度を樹(た)つるを受け、四時陰陽これを合し、星辰と日月の光りを別ちて、以て經術を彰らめん。後世益ます明らめ、上は神農に通じ、至教を著わし、二皇に疑するを得ん。
帝曰善.無失之.
此皆陰陽表裏.上下雌雄.相輸應也.
而道上知天文.下知地理.中知人事.
可以長久.以教衆庶.亦不疑殆.
醫道論篇.可傳後世.可以爲寳.
雷公曰.請受道.諷誦用解.
帝曰く、善し。これを失することなかれ。
此れ皆陰陽表裏、上下雌雄、相い輸して應ずるなり。
しかして道、上は天文を知り、下は地理を知り、中は人事を知り、
以て長久すべく、以て衆庶を教え、また疑殆せざるなり。
醫道の論篇、後世に傳うべく、以て寳と爲すべし。
雷公曰く。請う、道を受け、諷誦(ふうじゅ)して用いて解せん。
帝曰.子不聞陰陽傳乎.
曰不知.
曰.夫三陽.天爲業.上下無常.合而病至.偏害陰陽.
帝曰く、子は陰陽傳を聞かざるや。
曰く、知らず。
曰く、夫れ三陽は、天を業と爲す。上下に常無ければ、合して病至り、偏(かた)よりて陰陽を害す。
雷公曰.
三陽莫當.請聞其解.
帝曰.
三陽.獨至者.是三陽并至.并至如風雨.上爲巓疾.下爲漏病.外無期.内無正.不中經紀.診無上下.以書別.
雷公曰.臣治疏愈.説意而已.
雷公曰く。
三陽當たること莫しとは、請うその解を聞かん。
帝曰く。
三陽獨り至る者は、是れ三陽并せ至るなり。并せ至ること風雨の如し。上は巓疾を爲し下は漏病を爲す。外に期すること無く、内に正なること無し。經紀に中らず、診するに上下は、書を以て別たず。
雷公曰く。臣治して愈ゆること疏(まれ)なり。意を説きて已(や)む。
帝曰.
三陽者至陽也.積并則爲驚.病起疾風.至如礔礰.
九竅皆塞.陽氣滂溢.乾嗌喉塞.并於陰.則上下無常.薄爲腸澼.此謂三陽直心.坐不得起.臥者便身全.三陽之病.
帝曰.
三陽なる者は至陽なり。并(あ)わせ積めば則ち驚を爲す。病の起ること疾風なりて、至ること礔礰の如し。
九竅皆塞がり、陽氣滂溢(ぼういつ)し、嗌乾きて喉塞る。陰に并するは、則ち上下に常無し。薄(せま)れば腸澼を爲す。此れ三陽心に直(あた)ると謂い、坐して起することを得ず、臥する者は便(すなわ)ち身を全うするは、三陽の病なり。
且以知天下.何以別陰陽.應四時.合之五行.
雷公曰.陽言不別.陰言不理.請起受解.以爲至道.
且(まさ)に以て天下を知らんとすれば、何を以て陰陽を別ち、四時に應じ、これを五行に合するや。
雷公曰.陽は言を別たず、陰の言は理せず。請う起きて解を受け、以て至道と爲さん。
帝曰.
子若受傳.不知合至道.以惑師教.語子至道之要.
病傷五藏.筋骨以消.子言不明不別.是世主學盡矣.
腎且絶.惋惋日暮.從容不出.人事不殷.
帝曰く。
子若し傳を受け、至道に合するを知らざれば、以て師教を惑わさん。子に至道の要を語らん。
病五藏を傷れば、筋骨以て消す。子不明にして別たずと言うは、是れ世の主學盡きたり。
腎且(まさ)に絶せんとすれば、惋惋(えんえん)として日暮れ、從容として出ず、人事は殷(さかん)ならず。
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