用參宜忌有前利後害之不同
<参を用いる宜忌(ぎき)は利後の前に有て、害これ同じからず>
凡そ人参を忌むは裏証ばかりなり。邪の表及び半表半裏のときは用いてもまだよし。表に客邪あるに古より参蘇飲、小柴胡、敗毒散を用い来たれり。
さて久瘧、虚を挟みては補中益気湯の用いてさわりのなきのみにあらず、効あるものなり。たとい暴瘧の邪気強きに、人参を用いても害をなさぬは裏証のなき故なり。
夫れ裏証は胃に伝えたるばかりにてはなし。雑証にても気鬱、血鬱、火鬱、湿鬱、痰鬱、食鬱の類、皆裏証なり。ここに用いれば実を以て実をなす。
さて温疫下後、適々(たまたま)人参を用いて医者も病者も佳き時は見えねども、然れども禍をなさぬを見れば、兎角に損にはならぬと心得て、いやが上に人参を用ゆ。
人参は血裏を行くの補藥なり。下後、一たびはくつろぎたれども、余邪尚あるゆえに彌々(いよいよ)用ゆれば、実々に邪を助くるゆえ前証又おこり、大害引つづいていたる。
又下薬の場をのがし、気血も虚耗し、邪気はさかんなるゆえ数々下し、または大に下して虚を挟むものには人参を用ゆれば、精神さわやかにて医者も病者も、さてこそ効を得たりと、引きつづいて用ゆれば変証をなすものなり。
下したあとは何れも虚もあれども、補えば余邪忽ちにあつまるゆえ、用ゆるほど変証を発す。
よって前後の利害同じからざるとを辨すべし。下した跡はかろき薬を与えて見合せべし。又柴胡清燥湯とあれども、余は柴胡去半夏加栝楼なり。又あつまらば再び下すべし。
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