底本 趙開美刊 「仲景全書」所収 『傷寒論』十巻
日本漢方協会学術部 編 東洋学術出版社
張仲景撰
序
余毎覧越人入虢之診.望斉侯之色.未嘗不慨然嘆其才秀也。
序
余は越人の虢(かく)に入るの診、斉侯の色を望むを覧(み)る毎(ごと)に、未だ嘗(かつ)て慨然として其の才の秀でたるを嘆ぜずんばにあらさるなり。
註
越人 戦国時代の名医扁鵲の名
虢(かく) 戦国時代の国の名
斉侯 斉の桓公。斉は山東省付近。
怪当今居世之士.曾不留神医薬.精究方術.上以療君親之疾.下以救貧賤之厄.中以保身長全.以養其生.
怪しむべし。当今居世の士。曾(か)つて神を医薬に留め、方術を精究し、上は以って君親の疾を療し、下は以って貧賤の厄を救い、中は以って身を保ち長全し、以って其の生を養なわず。
註
当今居世之士:当今は現代。居世之士は世上(世間のうわさ)の士。 士は文武を学ぶ者の総称。
但競逐栄勢.企踝権豪.孜孜汲汲.惟名利是務.
但栄勢に競逐し、踝(きびす)を権豪に企て、孜孜汲汲(ししきゅうきゅう)として、惟(ただ)名利に是れ務む。
註
孜孜汲汲 努めて怠らない様。
崇飾其末.忽棄其本.華其外而悴其内。皮之不存.毛将安附焉。
其の末を崇飾し、其の本を忽棄(こっき)し、其の外を華とし、而(しか)して其の内を悴(すい)にす。皮之れ存ぜずんば、毛将(は)たいずくんぞに附(つ)かんや。
註
崇飾其末.忽棄其本 枝葉末節の権勢を求めるため、外見を勿体らしく飾り、身体をも粗末にして根本を捨て去ること。
悴(すい)やつれること。
皮之不存.毛将安附焉 皮がないと毛のつくところはないのである。名利は、命があってのことである。
卒然遭邪風之気.嬰非常之疾.患及禍至.而方震慄.
卒然として邪風の気に遭(あ)い、非常の疾に嬰(かか)り、患及び禍に至り、而して方(まさ)に震慄す。
降志屈節.欽望巫祝.告窮帰天.束手受敗。
賚百年之寿命.持至貴之重器.委付凡医.恣其所措。
志を降ろし節を屈し、巫祝(ふしゅく)を欽望(きんぼう)す。窮(きゅう)を告ぐれば天に帰し、手を束(つか)ねて敗を受く。
百年の寿命を賚(たまわ)り、持てる至貴の重器を、凡医に委付し、其の措(お)く所を恣(ほしいまま)にす。
咄嗟嗚呼.厥身已斃.神明消滅.変為異物.幽潜重泉.徒為啼泣.痛夫,
咄嗟嗚呼(ああ・・・)、厥(その)身は已(すで)に斃(やぶ)れ、神明は消滅し、変じて異物と為す。重泉に幽潜し、徒(いたず)らに啼泣(ていきゅう)を為す。痛ましいかな。
註
欽望 懇願すること。
咄嗟嗚呼 詠嘆・嘆息の声。二重のなげき声。尋常でない嘆き表現。
挙世昏迷.莫能覚悟.不惜其命.若是軽生.彼何栄勢之云哉.
世を挙げて昏迷し、能く覚え悟ること莫(な)く、其の命を惜まず。是の若く生を軽ろんじ、彼何の栄勢之を云わんや。
而進不能愛人知人.退不能愛身知己.遭災値禍.身居厄地.蒙蒙昧昧.惷若游魂.哀乎.
趨世之士.馳競浮華.不固根本.忘軀徇物.危若冰谷.至於是也.
而して進みては人を愛し人を知ること能わず、退いては身を愛し己を知ること能わず、災に遭(あ)い禍に値(あ)い、身を厄地に居く。蒙蒙昧昧(もうもうまいまい)、惷(とう)なること游魂の若し。哀しいかな。
趨世の士、浮華に馳競し、根本を固めず、軀(み)を忘れ物に徇(した)がい、危うきこと冰谷の若くにして、是に至るなり。
註
蒙蒙昧昧 蒙昧、愚昧の意。
惷 愚と同じ。くらい、にぶい。
趨世の士 名利を競い求める世上の士
忘軀徇物 身命の大切さを忘れ、物欲に目をひかれる。
余宗族素多.向餘二百。建安紀年以来.猶未十稔.其死亡者.三分有二.傷寒十居其七。
余が宗族素多し。向(さ)きに二百に餘(あま)る。建安紀年以来、猶(なお)未だ十稔(ねん)ならざるに、其の死亡したる者、三分の有二、傷寒十其の七に居く。
註
建安紀年 西暦196年
感往昔之淪喪.傷横夭之莫救.乃勤求古訓.博采衆方.撰用『素問』.『九巻』.『八十一難』.『陰陽大論』.『胎臚薬録』.并平脈辨証.為『傷寒雑病論』.合十六巻.
往昔の淪喪(りんそう)に感じ、横夭(おうよう)の救い莫(な)きを傷み、乃(すなわ)ち勤めて古訓に求め、博く衆方を采(と)り、『素問』、『九巻』、『八十一難』、『陰陽大論』、『胎臚薬録』、并びに平脈辨証を撰用し、『傷寒雑病論』、合せて十六巻を為す。
註
淪喪 淪は没と同じ。淪喪は死亡のこと。
横夭 生きておれる人々が若くして死ぬこと。
雖未能尽愈諸病.庶可以見病知源。若能尋余所集.思過半矣
未だ尽ごとく諸病を愈すこと能(あた)わずと雖(いえ)ども、庶(こ)いねがわくば病を見て以て源を知るべし。若し能(よ)く余が集むる所を尋ぬれば、思いは半ばに過ぎん。
夫天布五行.以運万類.人稟五常.以有五臓。経絡付兪.陰陽会通.玄冥幽微.変化難極。
自非才高識妙.豈能探其理致哉。
夫(そ)れ天は五行を布き、以て万類を運(めぐ)らし、人は五常を稟(う)け、以て五臓有り。経絡付兪、陰陽の会通、玄冥幽微、変化は極め難し。
才高く識妙なるに非らざるよりは、豈(あ)に能く其の理致を探らんや。
註
運 生・長・化・収・蔵
五常 仁・義・禮・智・信。
付兪 府は気血の集合するところ。愈は気血の注ぐところ。
玄冥幽微 暗黒で、奥が深く、見通しがきかない。
理致 すじみち
上古有神農.黄帝.岐伯.伯公.雷公.少兪.少師.仲文.中世有長桑.扁鵲.漢有公乗陽慶及倉公.下此以往.未之聞也.
上古に神農、黄帝、岐伯、伯公、雷公、少兪、少師、仲文有り。中世に長桑、扁鵲有り。漢に公乗陽慶及び倉公有り。此れを下り以て往くも、未だ之れを聞かざるなり。
註
神農、黄帝 医薬方術の祖としてあがめられている。
岐伯~少師 黄帝の臣で、伝説上の名医。実在は疑わしい。
長桑 扁鵲の師
公乗陽慶 陽慶は倉公の師で、公乗は官名。
観今之医.不念思求経旨.以演其所知.各承家技.終始順旧.省病問疾.務在口給.相対斯須.便処湯薬.
今の医を観るに、経旨を思求し、以て其の知る所を演(の)ぶるを念(おも)わず、各おの家技を承け.終始旧に順ず。病を省りみ疾を問うも、務めは口給に在り。相対して斯須(ししゅ)すれば、便(すなわ)ち湯薬を処す。
註
相対斯須 病人と相対している時間が一寸の間という意味。
按寸不及尺.握手不及足.人迎趺陽.三部不参.動数発息.不満五十.
短期未知決診.九候曾無髣髴.明堂闕庭.尽不見察.
所謂窺管而已.夫欲視死別生.実為難矣.
寸を按じて尺に及ばず、手を握りて足に及ばず、人迎趺陽、三部参えず、動数発息、五十に満たず。
短期なれば未だ決診を知らず、九候は曾(かつ)て髣髴無し。明堂闕庭、尽(こと)ごとく見察せず。
所謂(いわゆる)管より窺がうのみ。夫れ死を視て生を別たんと欲するは、実に難きと為す。
註
動数発息 動は脈の拍動、発は脈の搏ち出るを言い、息は脈の搏ち去るを言う。
明堂闕庭 明堂は鼻。闕は眉間。庭は顔。
孔子云.生而知之者上.学則亜之。多聞博識.知之次也。余宿尚方術.請事斯語。
孔子云う、生まれながらにして之を知る者は上、学ぶは則ち之れに亜(つ)ぐ。多聞博識は知の次なり。
余は宿(つと)に方術を尚(たっ)とぶ。請う斯(こ)の語を事とせん。
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