鍼灸医学の懐

陰陽離合論(六) – 一即多、多即一 (1)

解説と意訳

本篇は、臨床的に重要な内容を多分に含んでいる。
1.<老子・道徳経>『 道可道、非常道(道の道とたるべきは、常の道にあらず)』 とあるように、これが陰だ、陽だと説明しうるものは陰陽変化の実態を示しているのでは無いのだということを、本文中に『陰陽者.數之可十.推之可百.數之可千.推之可萬.萬之大.不可勝數.然其要一也.』 と表現している。

要の一は、言語を超えているのである。
 
 このところは、術を行う者の、神髄を述べている。

 弁証論治などは、幼児の技でしかないと言っているようにさえ感じる。

かといって、陰陽を熟知しないで鍼をするものは、でたらめで人を害するものであることは、すでにこの篇に至るまで述べられていることであり、論外のことである。
2.本篇に至るまでに、すでに人体を空間的に捉えている

 たとえば<陰陽応象大論>『故善用鍼者.從陰引陽.從陽引陰.以右治左.以左治右.以我知彼.以表知裏(故に善く鍼を用いる者は、陰より陽を引き、陽より陰を引き、右を以って左を治し、左を以って右を治し、我を以って彼を知り、表を以って裏を知る)』 などの記述に表現されている。

本篇の意訳は、人体を空間として捉え、空間を構成している三陰三陽の臓腑の位置関係と、体幹部と末梢との関係を経絡で説いている視点で行った。

人体を空間として認識することに重点を置き、上下・前後の表現は、表裏を意識して意訳を試みた。
3.開・合・枢理論は、臓腑間の機能的関係と同時に、経絡流注でも臨床応用できる。

 詳しくは後に譲りたいが、三陽の枢である少陽と、三陰の枢である少陰との関係が臨床的には、非常に意味深長である。
4.広明と太衝について。

 本文中の太衝を奇經八脉中の太衝脈と解説しているのを多く見るが、そもそも太衝とは、何を表現しているのか。

 「太」という文字は、「大」と区別しないで用いられることが多いが、太極、太古、太陽などの用い方を考えると、「大」の「ゆたか、おおきい、はななだ」という語意に加えて、「太」には、「根源的」という意味が加わったと考えるのが妥当である。

 また衝は、十字路において突き打つことを意味し、強い力で激しく突き当たって打つことの字義がある。<常用字解 白川静>

 併せて考えるに、太衝とは強く動かす力の根源部位と理解される。三陰の太極がすなわち太衝である。

 広明の広には、範囲が大きく、しかも覆うという字義も含んでいる。そして広明の明とは、日と月の会意文字で「あかるい、あきらか、あかす」など、はっきりしている様を表す。<漢辞海 三省堂>

 しかして広明とは、広い範囲にわたって、陽気の存在がはっきりとしている部位と理解され、裏の太衝と、陽気で裏を覆う広明で太極と成る。
このような理解で意訳を、大胆に試みる。

原 文 意 訳

 黄帝が問うて申される。

 余は、天を陽とし、地を陰とし、日を陽とし、月を陰とする。この天地・日月の陰陽変化で月の大小が生じ、そして三百六十日を一年としてまた循環する。人もまた自然界の陰陽変化に応じていると聞いている。

 ところが今、人体の三陰三陽は、このような陰陽変化と符号していないが、その理由は、どのようであるのか。

 岐伯がその問いに対して申された。

 陰陽というのは、これを十に分けて数えることが出来ますし、これを推測して分割し、百にすることも出来ます。これを陰陽可分の法則と申します。

 であるからさらに細かく、千に分けて数えることも出来ますし、推測して萬にすることも出来るものである。

さりながら、萬よりさらに細かく分けることは、実用的でなく、そもそもそのようなことは、荘子<内篇、応帝王篇、第七>の最後にあります「混沌」のように、実存からかけはなれてしまい、無意味であります。

なぜならば、元々は一つであるものを細かく分析すればするほど、実態とはかけ離れたものになるからである。

対象とすべき実存はひとつであり、陰陽変化の要もまた『ひとつ』であります。

この陰陽変化の要さえ体得すれば、細かく分析してあれこれと、考える必要は無いのである。
 天はこの世の全てを覆い、地もまた全てを載せている。このような天地・陰陽の気の交流によって万物は生まれるのである。

 地に潜んで地表に出てこないものを、陰処と言い、陰中の陰と名づける。

 しかるに、地より出たものは、陰中の陽と名づける。

 陽というのは陰陽変化の中心であり、陰は陽の主であり大元である。

 この陰陽の消長変化によって、春は生じ、夏は長じ、秋は収め、冬は蔵するのである。

 ところが陰陽変化が正常でなくなれば、天地四季の気は塞がって循環しなくなる。

 自然界の四季を、陰陽で捉えることができるように、人体における陰陽変化も同様にして捉えることができるのである。


原文と読み下し
黄帝問曰.
余聞天爲陽.地爲陰.日爲陽.月爲陰.大小月三百六十日成一歳.人亦應之.
今三陰三陽.不應陰陽.其故何也.

黄帝、問うて曰く。
余は聞くに、天は陽と為し、地は陰と為す。日は陽と為し、月は陰と為す。大小の月、三百六十日にして一歳と為す。人もまた、これに応ずと。
今、三陰三陽、陰陽に応じず。その故は何なるや。
岐伯對曰.
陰陽者.數之可十.推之可百.數之可千.推之可萬.萬之大.不可勝數.然其要一也.

岐伯対して曰く。
陰陽なるものは、これを数えて十たる可し。これを推して百たる可し。これを数えて千たる可し。これを推して萬たる可し。萬の大、勝げて数うべからず。然るに、その要は一なり。
天覆地載.萬物方生.未出地者.命曰陰處.名曰陰中之陰.
則出地者.命曰陰中之陽.
陽予之正.陰爲之主.
故生因春.長因夏.收因秋.藏因冬.失常則天地四塞.
陰陽之變.其在人者.亦數之可數.

天は覆い地は載せ、万物まさに生ず。未だ地を出でざらぬものは、命じて陰處と曰く。名づけて陰中の陰と曰く。
すなわち、地を出ずるものは、命じて陰中の陽と曰く。
陽これに正を与え、陰はこれを主となす。
故に、春に因りて生じ、夏に因りて長じ、秋に因りて収し、冬に因りて蔵す。常を失すればすなわち、天地は四塞す。

陰陽の変、その人に在るものは、またこれを数えて数うべし。



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