人を害する邪を伴った風が至る様は、矢のように早く、しかも激しいもので、まるで風雨の如きである。
したがって、治療に秀でた者は、邪気が皮毛を犯した段階で治めてしまうのである。
邪気は、皮毛→皮膚→筋脈→六腑→五臓と侵入するのであるから、治療者は、邪気がどの部位に居るのか見定めてから治療するのが肝要である。
ところが五臓に邪気の侵入を許してしまってから治療すれば、もう手遅れとなってしまい、半分程度しか助からないのである。
このように、外邪としての天の邪気を感受すれば、最終的には人の五臓を害し、死に至ることが多いのである。
飲食物の寒熱が、その度を越えて大きく偏っていれば、水穀の海であり、直接飲食物が納まる六腑が障害され嘔吐・下痢などを生じる。これは内因である。
また外邪としての地の陰邪である湿気を感受すれば、陽気が阻まれて皮膚病が生じたり、筋脈が思うように動かなくなる病を生じるのである。
体外に現れた陽気は、体内が外邪に侵されないように働くのであるから、陽は陰の使いなのであり、陰気は求心性であり、陽気は遠心性ということであった。
陰陽の消長は左右という場に、その変化が現れるということであった。
鍼を用いるのに巧みな者は、これらのことを熟知して自然の法則=道に法った治療を行うのである。
つまり、内外・表裏の陰陽関係の虚実をよく見極め、陰に邪があれば正邪抗争の場を陽に移動させるのが得策である。
反対に、正邪抗争の場が陽にあれば、陽の守りである陰を鼓舞するのが道理に適っているのである。
さらにこれを、上下と読み替えることも可能である。
左右も同様である。
相対的に、左に気が偏在しているのなら右に鍼をし、右に気が偏在しているのなら左に鍼をして、陰陽の平衡を一旦整え、自ずと陰陽が消長するよう導けば、治癒するのである。
そして治療者は、自分を基準として患者の状態を把握するのであるから、自分を正常な、良い状態にしておかなくてはならないのである。
このような熟達した治療者は、陽である表の状態を診て、陰である裏の状態を察知し、陰陽の過と不及。
つまり陰陽の有余・不足、平衡・虚実を見定めるのである。
そして、かすかな雲行きから天気の大きな崩れを予測するように、微かな兆候から有余・不足を的確に把握し得た後に治療するのであるから、鍼を用いて誤るということがないのである。
故邪風之至.疾如風雨.故善治者治皮毛.其次治肌膚.其次治筋脉.其次治六府.其次治五藏.治五藏者.半死半生也.故天之邪氣感.則害人五藏.水穀之寒熱感.則害於六府.地之濕氣感.則害皮肉筋脉.故に邪風の至るや、疾こと風雨の如し。故に善く治する者は皮毛を治す。其の次に肌膚を治す。其の次に筋脉を治す。其次に六府を治す。其の次に五藏を治す。五藏を治する者は、半死半生なり。故に天の邪氣に感ずれば則ち人五藏を害す。水穀の寒熱に感ずれば則ち六府を害す。地の濕氣に感ずれば則ち皮肉筋脉を害す。故善用鍼者.從陰引陽.從陽引陰.以右治左.以左治右.以我知彼.以表知裏.以觀過與不及之理.見微得過.用之不殆.故に善く鍼を用いる者は、陰從り陽を引き、陽從り陰を引き、右を以って左を治し、左を以って右を治し、我を以って彼を知り、表を以って裏を知り、以って、過と不及の理を觀、微を見て過を得れば、これを用いて殆からず。
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