天の気は、北西に不足するので、西北方は陰である。
そして人の右の耳目は、左ほどはっきりとしていない。
地の気は、東南に満ちることが無いので、東南方は陽である。
そして人の左の手足は、右のように強くないのが常人であると言う。
帝は、「何を根拠にこのようなことを述べているのであろうか」と申された。
そこで岐伯は、以下のようにお答えした。
東方は陽気が昇り始めるので、人体の精は陽気と相まって上に集まるのである。
上に集まるところは、明らかとしてはっきりとし、その下は虚ろとなるのが道理であります。
したがって、天の気である神気が出入りする感覚器=左の耳目は聡明になるが、地気の濁氣を受けて機能する運動器=下方の左の手足はあまり利かないものである。
西方は陰気が盛んになり始めるので、人体の精は陰気と相まって下に集まるのである。
下に集まるところが盛んとなるので、上は虚ろとなるのが道理であります。
したがって、右の耳目は聡明でなく、右の手足は都合よく利いてくれるのである。
このようにして、天の気の偏在が、そのまま一般的な人間の利き目・耳、利き手・足を生じさせるのである。
したがって、邪気が左右に等しく襲ったとしても、その邪が上にあれば右の耳目が甚だしく症状が現れ、邪が下にあると左の手足が甚だしく症状が現れるのである。
これらは、天地の空間的場において、陰陽が消長(偏在)するために、完全に等しいということが存在しえないからである。
そして邪は、その精気が虚ろなところに居つくのである。
原文と読み下し
天不足西北.故西北方陰也.而人右耳目不如左明也.
地不滿東南.故東南方陽也.而人左手足不如右強也.
帝曰.何以然.
天は西北に不足す。故に西北方は陰なり。而して人の右の耳目、左の明なるに如からざるなり。
地は東南に滿ちず。故に東南方は陽なり。而して人の左手足、右の強きが如からざるなり。
帝曰く、何を以って然りや。
岐伯曰.
東方陽也.陽者其精并於上.并於上.則上明而下虚.故使耳目聰明.而手足不便也.
西方陰也.陰者其精并於下.并於下.則下盛而上虚.故其耳目不聰明.而手足便也.
故倶感於邪.其在上則右甚.在下則左甚.此天地陰陽所不能全也.故邪居之.
岐伯曰く、
東方陽なり。陽なる者は其の精上に并せ、上に并せれば則ち上明らかにして下虚す。故に耳目聰明にして、手足便ならざらしめるなり。
西方陰なり。陰なる者は其の精下に并せる。下に并せれば則ち下盛んにして上虚す。故に其の耳目聰明ならずして、手足便なり。
故に倶に邪に感じ、其れ上に在れば則ち右甚はだし。下に在れば則ち左甚はだし。此れ天地陰陽の所、全けきこと能わざるなり。故に邪これに居す。
コメントを残す