鍼灸医学の懐

陰陽別論(七)(1)

解説と意訳

 この篇は、別論というだけあって、編集者の王冰(7世紀)が、ここに至るまで論じられている「陰陽論」を用い、脈象と病との関係を論じているが、非常に難解である。

 編者の意図を出来るだけ汲み取るよう努めたが、不明な点は敢えて臨床に合致するよう、独断的に意訳を試みた。

是非とも、読者のご意見をお待ちしたい。

原 文 意 訳

 黄帝が問うて、「人に四経、十二従有りというのは、何を言っているのであろう」と申された。

 岐伯がそれに対して、以下のように申された。

 四経は、四時に応じており、十二従とは、十二月に応じておりまして、十二月は十二経脈に応じているのであります。

 脈にもまた、陰陽が有りまして、脈の陽を知るということは、当然陰を知るということになりまして、その逆もまた然りです。つまり、陰陽はひとつであるからです。

 五臓の陽気は、五行の移り変わりと共に変化するのですから、五×五の二十五に分類することが出来ます。

 ここでいうところの陰は、五臓の陽気が全く無い、いわゆる純陰=真臓のことであります。これが見れると貝が真二つに割れるように、陰陽が交流することが出来なくなるので、必ず死に至るのであります。

 そして、ここでいうところの陽は、胃脘の陽であります。

 脈のどの部位に胃脘の陽気が欠けているかを、審らかにすることによって病んでいる処を知ることが出来るのであります。

 また、脈のどの部位に真臓の脈が現れているかを、審らかにすることによって、病んでいる臓を特定し、四季の変化によって盛衰する臓気との関係から、死生の時期を割り出すことが出来るのであります。

 三陽の状態は、頭部の人迎の脈に現れ、三陰の状態は、手の寸口部位に現れますので、両者を合わせて身体の太極を察するのであります。

 この陽の人迎脈診に熟達したものは、病が何時起こるのかを知り、陰の寸口脈診に熟達したものは、死生の時期を知ることが出来るものであります。

 心を謹しんで細心にし、心と手が一致して瞬間に動く程に、陰陽変化の理に熟達していなければならない。

 そして診断に際しては、迷って周囲の者たちに、あれこれと相談して決めるようであってはならないのである。

原文と意訳

黄帝問曰.人有四經十二從.何謂.
岐伯對曰.
四經應四時.十二從應十二月.十二月應十二脉.

黄帝問うて曰く。人に四經十二從有りとは、何んの謂いぞや。
岐伯對えて曰く。
肝・心・肺・腎の四經は四時に応じており、十二支である十二從は、十二月に應じ、十二月は手足の三陰三陽の十二脉に応じているのであります。

脉有陰陽.知陽者知陰.知陰者知陽.
凡陽有五.五五二十五陽.

脉に陰陽有り。陽を知る者は陰を知り、陰を知る者は陽を知る。
凡そ陽に五有り。五五二十五陽なり。

 
所謂陰者.眞藏也.見則爲敗.敗必死也.
所謂陽者.胃脘之陽也.
別於陽者.知病處也.別於陰者.知死生之期.

所謂陰なる者は、眞藏なり。見われれば則ち敗と爲す。敗れれば必ず死するなり。
所謂陽なる者は、胃脘の陽なり。
陽を別つ者は、病む處を知るなり。陰を別つ者は、死生の期を知るなり。

三陽在頭.三陰在手.所謂一也.
別於陽者.知病忌時.別於陰者.知死生之期.
謹熟陰陽.無與衆謀.

三陽は頭に在り、三陰は手に在り、所謂一なり。
陽を別つ者は、病の忌む時を知り、陰を別つ者は、死生の期を知る。
謹しみて陰陽に熟し、衆と謀ることなかれ。

 鍼専門 いおり 鍼灸院

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