鍼灸医学の懐

六節藏象論(九)(1)

解説と意訳


 本編もまた、天人相応・合一思想をベースに説いてあり、自然界の変化がどのように人体に影響を及ぼすのかに主眼が置かれている。
そして本篇は、大きく三部に分け説いている。
 第一部は、暦法を説明し、自然界の気の運行と人体の相関関係を述べている。
 第二部においては、自然と人体の相関性を意識した臓象を述べ、第三部では、人迎―寸口脈診について述べられている。
 本篇の意訳に際して、暦法の理解に腐心した。
 1年を360日と365日とする整合性が見えなかったためだ。
1年が360日であるのは、メソポタミアのバビロニア人(BC5000年前ともBC1000年前とも言われている)が、太陽を観察して60進法を考え出したのが最初とされている。
このことより、円周は360度と定められた。

しかしながら、後に365日であることが知られるようになって以後も、360という数字が数学的に便利であることから、現在も60進法360が使われている。
翻って古代中国の暦法は、ひとつではなく複数存在し、黄帝内経がどの暦法を採用しているのかは、不勉強を露呈するようであるが、今もって不明である。

ただ、本篇の筆者が、我々に伝えようとした主旨は、捉える事が出来たと思うが、諸氏のご意見、アドバイスを頂戴したいところである。
原 文 意 訳
 黄帝が、問うて申された。
 余は、天は六六の節を用いて一歳とし、人は九九を用いて時節の基準とする。これら二つの方法を用いて人を計れば、三百六十五節あり、天地に相応じて久しいと聞いている。
しかしながらその言わんとする道理が理解できていないのだが、と。
岐伯が、これに対して申された。
 なんと、光が隅々にまで届いているかのような問いであられますことでしょうか。
いよいよこれについて申し上げる時が参りました。是非とも申し上げさせて頂きたい。
 六六の節と九九の基準と申しますのは、いわゆる天の度と気の数のことであります。
 天の度と申しますのは、いわゆる日月の運行に基準を設けて測ったものであります。
 気の数と申しますのは、いわゆる万物が化生する作用を順序立てて整理したものであります。
 天は陽であり、地は陰であります。さらに太陽は陽であり、月は陰であります。
 太陽と月の運行の規律は異なっておりますが、めぐり方には共に道理があります。
太陽は一日一度行りますので一年は三百六十日となります。
月は一年でおおよそ十二回、三百六十五日で満ち欠けいたします。
十二ヶ月の内には大小の月がありますが、仮に二十八日と致しまして、月を基準とした一年三百六十五日を二十八で割りますと、十三度となりまして、余りが生じてきます。
 そして大小の月を合わせますと、三百六十五日で一年となるのでありますが、毎年生じる気の余りを積み重ねて計算し、閏月を設けて調整するのであります。
 月の気の余りを調整するには、太陽の一年三百六十日を正確に測る必要があります。

そこで棒を用いた日時計で、棒の影が最も長くなる冬至をまず起点と定め、影が最も短くなる夏至との中間点である春分・秋分の正確な位置を表します。
そうしまして、月の気の余りを、太陽の周期の終わりに推し測り、閏月を設け、月の気の余りと季節のずれを調整するであります。
お分かりでしょうか。これで天度の説明は、終わりでございます。

帝が申された。
余はすで日月の運行法則である天の度を聞いて理解した。
願わくば気の数の内容を明らかにして、何を以て天の度に合致させるのかをお聞かせ願いたい。
岐伯は、続けて申された。
 天は六六の節をもって説明し、地は九九の基準があることは、すでに申し上げました。
 その天について、もう少しご説明いたしますと、天には十干を割り当てました十日がありまして、これに十二支を組み合わせます。

甲(きのえ)と子(ね)の組み合わせから始まり、癸(みずのと)と酉(とり)で十日となります。
11日目は、甲(きのえ)と戌(いぬ)で始まりまして、これを6回60日繰り返し終わりますと、61日目からまた甲(きのえ)と子(ね)と始まるのであります。
さらに再びこれが6回周って1年が終わります。これをまとめますと、10×6で60。60×6で360日の法となります。
 次は九九の基準についてご説明いたします。

 そもそも九と申しますのは、陽数である奇数の最後でありまして、九は物事の有り様が陰陽変化の節目であり、九は最も大きいということを内包しております。

 さて、太古より天の気に通じているのが、人の生命というものであり、その生命現象の変化は、天の気の陰陽変化にもとづいておこなわれております。
 この天の気は、世界の土地の全てである九州と、人体の全ての竅(あな)である九竅と、相通じております。
 従いまして、天は五運である木・火・土・金・水を生じまして、五運の変化は、上から下までの天・人・地、すなわち上・中・下という三つの場の変化に現れるのであります。
さらに天の部位の中にも天・地・人の変化がございますので、地と人の部位も同様にして全部合わせますと三×三の九の場の部分において、それぞれ陰陽変化が現れます。
天の気を九分割したものは、九つの領域となりますので、それを人体の九蔵の概念とすることが出来るのであります。
従いまして、人体におきましても、陰である具体的な形を蔵する胃・大腸・小腸・膀胱の四臓と、陽である作用を蔵している肝魂・心神・脾意・肺魄・腎志の五臓を合わせた九蔵もまた、天の気に応じて同じように陰陽の変化が営まれているのであります。

帝が申された。
余はすでに六六の節と九九の基準の全てを聞いて理解することが出来た。そちは気を積みて閏を盈ることを申したが、願わくば何を気と申すのかを聞かせてもらいたい。
どうか心の覆いを発し、狭い範囲の理解しかできていないこの枠を解いて頂きたい。

岐伯が申された。
この事は、天地人の三才を主る上帝の秘伝とされてきたことであり、私の師匠から伝えられたことであります。
帝が、申された。
ついにこの事について聞くときが来た。是非お願いしたい。

岐伯が申された。
 五日、これを候といい、三候十五日を気といい、六気九十日を時といい、四時三百六十日を歳と申しまして、候・気・時・歳それぞれを治める主に従います。
 この主は、木火土金水の五運でありまして、この五運が互いに重なり合って、候・気・時・歳の全てを治めるのであります。
そして一年の終期の日になると、再び周り始めるのであります

九十日一時はしっかりとやって来るので十五日一気もぴったりとくっつくように巡ってきます。それはあたかも、端の無い環のようなもので、繰り返し循環するものであります。五日一候も同様です。
 ですから、その歳に加わる五運によって、人体の気の盛衰や虚実が起きることを知らないようであっては、医師となることは出来ないのであります。

原文と読み下し
黄帝問曰.余聞天以六六之節.以成一歳.人以九九制會.計人亦有三百六十五節.以爲天地久矣.不知其所謂也.
黄帝問うて曰く。余は聞くに天は六六の節を以てし、以て一歳を成す。人は九九を以て制會し、計るに人も亦た三百六十五節有りと。以て天地を爲して久し、と。其の謂う所を知らざるなり。
 
 
岐伯對曰.昭乎哉問也.請遂言之.
夫六六之節.九九制會者.所以正天之度.氣之數也.
天度者.所以制日月之行也.氣數者.所以紀化生之用也.
天爲陽.地爲陰.日爲陽.月爲陰.
行有分紀.周有道理.日行一度.月行十三度而有奇焉.
故大小月三百六十五日而成歳.積氣餘而盈閏矣.
立端於始.表正於中.推餘於終.而天度畢矣.
岐伯對えて曰く。昭らかなる問いや。請う、遂にこれを言わん。
夫れ六六の節、九九の制會なる者は、天の度、氣の數を正すゆえんなり。
天の度なる者は、日月の行りを制するゆえんなり。氣の數なる者は、化生の用を紀するゆえんなり。
天は陽と爲し、地は陰と爲し、日は陽と爲し、月は陰と爲す。
行りに分紀有り、周に道理有り、日に行ること一度、月に行ること十三度にして奇有り。
故に大小の月、三百六十五日にして歳を成す。氣餘りて積み、閏を盈たす。
端を始に立て、正を中に表わし、餘りを終りに推す。しかして天度畢るなり。
帝曰.余已聞天度矣.願聞氣數何以合之.
岐伯曰.
天以六六爲節.地以九九制會.天有十日.日六竟而周甲.甲六復而終歳.三百六十日法也.
帝曰く。余は天度を已に聞けり。願わくば氣の數を聞かん。何を以てこれに合するや
岐伯曰く。
天は六六を以て節と爲し、地は九九を以て制會す。天に十日有り。日に六竟して甲を周る。甲六復して歳を終える。三百六十日の法なり。
 
夫自古通天者.生之本.本於陰陽.其氣九州九竅.皆通乎天氣.
故其生五.其氣三.三而成天.三而成地.三而成人.三而三之.合則爲九.
九分爲九野.九野爲九藏.
故形藏四.神藏五.合爲九藏.以應之也.
夫れ古より天に通ずる者は生の本、陰陽に本づく。其の氣は九州九竅、皆天氣に通ず。
故に其れ五を生じ、其の氣は三。三にして天を成し、三にして地を成し、三にして人を成す。三にしてこれを三にし、合して則ち九と爲す。
九分かれて九野と爲し、九野は九藏を爲す。
故に形藏は四、神藏は五、合っして九藏を爲し、以てこれに應ずるなり。
帝曰.余已聞六六九九之會也.夫子言積氣盈閏.願聞何謂氣.請夫子發蒙解惑焉.
岐伯曰.此上帝所祕.先師傳之也.
帝曰.請遂聞之.
帝曰く。余は已に六六九九の會を聞くなり。夫子氣を積みて閏を盈つると言う。願わくば何を氣と謂うかを聞かん。請う、夫子蒙きを發し惑を解かんことを。
岐伯曰く。此れ上帝の祕する所、先師これを傳うなり。
帝曰く、請う、遂にこれを聞かん。
岐伯曰.
五日謂之候.三候謂之氣.六氣謂之時.四時謂之歳.而各從其主治焉.
五運相襲.而皆之治.終期之日.周而復始.時立氣布.如環無端.候亦同法.
故曰.不知年之所加.氣之盛衰.虚實之所起.不可以爲工矣
岐伯曰く。
五日これを候と謂う。三候これを氣と謂う。六氣これを時と謂う。四時これを歳と謂う。しかして各おの其の主治に從うなり。
五運相い襲し、しかして皆これを治む。終期の日、周りて復た始まる。時立ちて氣は布き、環の端無きが如く、候も亦た法を同じくす。
故に曰く、年の加うる所、氣の盛衰、虚實の起る所を知らざれば、以て工と爲すべからず。

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