鍼灸医学の懐

六節蔵象論篇第九 (3)

解説と意訳

 本篇の後半には、鍼灸医学に欠くことのできない臓象の一端が記載されている。
 文字を覚えることも大切だが、古人がこれまで自然界を認識してきた、その眼差しを感得することこそが肝心要のところである。
 知識として文字を覚えるだけだと、死に体となって臨床の役には立たない。
 古人の眼差しで自然を眺め、人体に切するのである。

 自然も人体も、刻々とその変化の動きが止むことは無いからだ。
 この篇の最後に記載されている、人迎と寸口の脈差による人迎脈口診(じんげいみゃっこうしん)は、私自身は採用していないが、寸口部位の脈に何が表現されているのかを観る目を、またひとつ与えてもらったと感じている。
原 文 意 訳

帝が申された。
臓気の状態が体表に現れる『臓象』はどのようであるのか。
岐伯が申された。
というものは生命活動の根源でありまして、それは心の動きに従って様々に変化致します。
その神の状態は、顔面の色艶や表情に現れ、その充実度は血脈に現れます。
心は膈より上に位置しますので陽中の太陽でありまして、夏気の「長」と相応しております。
 は、呼吸を通して天の気に通じております。呼吸が停止致しますと直ちに生命活動も停止致しますので、気の根源であります。そして人体の五感を主る魄が居るところであります。
 その魄の状態は、体表の毛の立ち方や密度に現れ、その充実度は皮膚の色艶に現れます。肺は、膈より上に位置しますので陽中の少陰でありまして、秋気の「収」と相応しております。
 は、精気を深くしまいこみ、固く封印する五臓の固摂の根源でありまして、人体の物質の根源である精を蔵するところであります。
 その精の状態は、髪の色艶や太さ・密度に現れ、その充実度は骨に現れます。腎の臓は、膈より下に位置しますので、陰中の太陰でありまして、冬気の「蔵」と相応しております。
 は、弛緩と緊張という陰陽転化の働きの根源でありまして、潜在意識・無意識であります魂が居るところであります。
 その魂の状態は、骨の延長であります爪の色艶や厚さ、強さに現れまして、その充実度は筋力やその機能に現れます。また草木が成長するように、血気をのびやかに生じさせます。
陰陽応象大論ですでに述べましたが、酸味は肝に入ってこれを養い、その色は青であります。
肝の蔵は、膈より下に位置して陰中の少陽でありまして、春気の「生」に相応しております。
 脾胃・大腸・小腸・三焦・膀胱の各臓腑の機能をひとつとして捉えますと、飲食物の倉庫のようであり、営血を生み出すところであります。したがいまして、ものを入れる器ともいわれます。
 これらの各臓腑は、飲食物を営気と残渣物である糟粕(そうはく)とに分け、五味を各臓にめぐらせ、飲食物を入れたり糟粕を排泄させるのであります。
 これらの状態は、唇の周囲に現れ、その充実度は肌の色艶や弾力に現れるものであります。
甘味は脾に入ってこれを養い、その色は黄であります。これらは至陰の類でありまして、長夏の「化」、土気に相応しているのであります。
 そして胆の腑は、霊蘭秘典論で述べましたように、「中正の官」でありますので、十一臓の協調は、胆の指示・調整・決定に従って行われるのであります。 
これまで述べてきたことをまとめ、応用いたしますと、一般的に天の気の現れである人迎の脈と、地の気の現れである寸口の脈を比較して診断の目安とすることができます。
 人迎脈が一盛ですと病は少陽にあり、二盛ですと病は太陽にあり、三盛ですと病は陽明にあります。四盛以上でありますと、陽気が盛んに過ぎて陰気との交流が出来なくなります。これを格陽と申します。
 寸口脈が一盛ですと病は厥陰にあり、二盛ですと病は少陰にあり、三盛ですと太陰にあります。四盛以上でありますと、陰気が出入りする門が閉じられ、陽気と交流できなくなってしまいます。これを関陰と申します。
 さらに人迎と寸口が共に盛んで、それが平常の四倍以上でありますと、陰気が閉ざされた関、陽気が陰を拒む格。いわゆる関格という状態になります。
この関格になりますと、陰陽が離決し、陰脉と陽脉が互いに交流せずにあふれてしまい、天地の精気をすみずみまで行きわたらせることができなくなりますので、当然死に至るのであります。
原文と読み下し
帝曰.藏象何如.
岐伯曰.
心者.生之本.神之變也.
其華在面.其充在血脉.爲陽中之太陽.通於夏氣.
肺者.氣之本.魄之處也.
其華在毛.其充在皮.爲陽中之少陰(太陰).通於秋氣.
腎者.主蟄封藏之本.精之處也.
其華在髮.其充在骨.爲陰中之太陰(少陰).通於冬氣.
肝者.罷極之本.魂之居也.
其華在爪.其充在筋.以生血氣.其味酸.其色蒼.此爲陰中(陽中)之少陽.通於春氣.
脾胃大腸小腸三焦膀胱者.倉廩之本.營之居也.名曰器.能化糟粕.轉味而入出者也.
其華在脣四白.其充在肌.其味甘.其色黄.此至陰之類.通於土氣.
凡十一藏.取決於膽也.
帝曰く、藏象はいかん。
岐伯曰く。
心なる者は、生の本、神の變なり。
其の華は面に在り、其の充は血脉に在りて、陽中の少陰(太陽)と爲す。夏氣に通ず。
肺なる者は、氣の本、魄の處なり。
其の華は毛に在り。其の充は皮に在りて、陽中の太陰を爲す。秋氣に通ず。
腎なる者は蟄を主り、封藏の本、精の處なり。
其の華は髮に在り。其の充は骨に在りて、陰中の太陰(少陰)と爲す。冬氣に通ず。
肝なる者は、罷極の本、魂の居なり。
其の華は爪に在り、其の充は筋に在り、以て血氣を生ず。其の味は酸、其の色は蒼、此れ陰中(陽中)の少陽と爲す。春氣に通ず。
脾胃大腸小腸三焦膀胱なる者は、倉廩の本、營の居なり。名づけて器と曰く。能く糟粕を化し、味を轉じて出入する者なり。
其の華は脣四白に在り。其の充は肌に在り。其の味は甘、其の色は黄、此れ至陰の類なりて、土氣に通ず。
凡そ十一藏、決を膽に取るなり。
人迎一盛.病在少陽.二盛病在太陽.三盛病在陽明.四盛已上爲格陽.
寸口一盛.病在厥陰.二盛病在少陰.三盛病在太陰.四盛已上爲關陰.
人迎與寸口倶盛.四倍已上爲關格.關格之脉贏.不能極於天地之精氣.則死矣.
故に
人迎一盛なれば、病少陽に在り。二盛なれば病太陽に在り。三盛なれば病陽明に在り。四盛已上(いじょう)を格陽と爲す。
寸口一盛なれば病厥陰に在り。二盛なれば病少陰に在り。三盛なれば病太陰に在り。四盛なれば已上を關陰と爲す。
人迎と寸口倶に盛なること、四倍已上を關格と爲す。關格の脉贏(み)ちて、天地の精氣極めること能わざれば、則ち死するなり。
 鍼専門 いおり 鍼灸院

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