鍼灸医学の懐

上古天真論(一)-天寿を全うする(1)

解説と意訳

 黄帝内経(こうていだいけい)は、伝説上の黄帝と岐伯(ぎはく)を筆頭に、幾人かの臣下との対話形式で書かれている。
 本篇は、主に3段に分かれていて、1段では、元気で天寿を全うするにはどうすればよいのか。2段は、人の成長と老化の過程を。3段では、人間の目指すべき在り様が説かれている。
 まずは第一段の前半部分から、ご案内いたしましょう。
 「大昔の人は、100歳を過ぎても動作が衰えなかったと聞いている。

ところが最近の人は、50歳を過ぎるともうヨボヨボしているが、これは一体どういう訳だろう。

その原因は、時代背景にあるのだろうか、それとも人々の過ちにあるのだろうか。」

 とまあ、黄帝が臣下であり医学の師匠でもある岐伯に尋ねるところから、話は始まるわけです。

 それに対して岐伯が言うのには、「大昔の人々は、大自然の法則に沿うような意識と生活をしておりました。

ですから、食べ過ぎたり飲みすぎたりせず、夜更かしなどの乱れた生活をすることなく、さらに自分の欲を満たそうとして動き回って疲れきるということもなかった。

当然身体と精神状態は、両立してともに健全な状態であったので、みんな天寿である100歳を過ぎてからこの世を去っていた。」 と答えています。

 ここでは、飲食の節度と生活リズム、過労の戒めを簡潔に述べてさらに当時の現状を描写しています。

 さらに岐伯が続けて言ってます。
 「今の人は、太古の時代とはまったく異なってしまっています。
お酒を飲料のようにガバガバと飲み、就寝・起床もでたらめで、あげくに酒に酔って性行為に及んでとことん精力を使い果たそうとし、身体の元気を段々と擦り減らしてしまうような生活をしている。
 だから身体が充実するという感覚も薄れ、心の精神状態も自分で制御できなくなっている。 そして、目先の快楽ばかりに目を奪われ、人として生きている喜びを感じるような生活に反するような生活態度であった。

つまり夜更かしをしたり立ち振る舞いにも節度がないので、50歳になるともう衰えを感じるようになってしまうのである。」

 とまあ、こんなことを申されておられる訳ですね。

 元気で過ごすには肉体だけではなく、欲に任せず心も穏やかで落ち着いている必要がある訳です。
 飲食や起き臥しの誤り、過労などは心の状態にまで影響し、自分の心でありながら自分で制御できなくなると説いているのです。
 心身の関係は、肉体という物質的な基盤の上に精神作用は起こり、精神作用によって物質的な肉体は形作られるのです。
 もう少し先になるのですが、精神疾患のように見えても、実は肉体の病であり、肉体の病のように見えても精神の病であることなどが記載されているのですが、いずれまたご紹介の機会が出てきます。
 
 原文では天寿を全うするには、「能(よ)く形と神を倶(そな)え、しかして盡(ことごと)く其(そ)の天年を終え、百歳を度(こ)えて乃(すなわ)ち去る。」と説いています。
 
参考までに、原文と読み下し文を掲載しておきます。
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
 昔、黄帝在り。生じて神靈、弱にして能く言い、幼にして徇齊、長じて敦敏 成りて登天す。
 廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.
 廼ち天師に問うて曰く。余は聞くに上古の人、春秋みな百歳を度えて、しかも動作は衰えずと。
  今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
 今時の人、年百半ばにして、動作みな衰ろうものは、 時世の異なるや、人はた、これを失するや。
 岐伯對曰.
 岐伯對えて曰く
 上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞. 故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
 上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術數に和し 食飮に節有り、起居に常有り、 妄りに勞を作さず。故に能く形と神を倶え、而して盡く其の天年を終え、百歳を度えて乃ち去る。
 今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.
 以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
 今時の人は然(しか)らざるなり。酒を以て漿と為し、妄を以て常と爲す。醉いて以て房に入り、以て其の精を竭さんと欲す。
 以て其の眞を耗散し、滿を持するを知らず、神を御するに時ならず、務めて其の心を快にし、生きる樂しみに逆らい、起居に節無し。故に百半ばにして衰うなり。
 

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