昔、黄帝という方がおられた。
生まれながらにして人と違った霊妙さが備わっており、赤ん坊の時からすでに会話しておられた。
幼少にして広く物事に通じておられ、成長してからはどっしりとして物事に動じないばかりか、いざという時にはさっと素早く行動され、成人してからは、天の命を拝して天子となられた。
その黄帝が岐伯にこのように問われた。
大昔の人は、100歳を過ぎても動作が衰えなかったと聞いている。
ところが最近の人は、50歳を過ぎるともうヨボヨボしているのは一体どういう訳なのであろうか。
その原因は、時代背景にあるのだろうか、それとも人々の生活の過ちにあるのだろうか。
それに対して岐伯が申されました。
大昔の人々は、大自然の法則を良く知っておりましたので、四季の移ろいや月の満ち欠け、さらには星の動きなどに寄り添うような意識で生活をしておりました。
その上、食べ過ぎたり飲みすぎたり、夜更かしなどの乱れた生活をすることなく、さらに自分の欲を満たそうとして動き回り、疲れきるということもございませんでした。
ですから身体と精神状態は、調和のとれた健全な状態でしたので、みんな天寿である100歳を過ぎてからこの世を去っておりました。
ところが昨今では、人の在り様も世の中の物質的な豊かさも、太古の時代とまったく異なってしまっています。
お酒をまるで飲料水のようにガバガバと飲み、就寝・起床もでたらめで、あげくに酒に酔って性行為に及ぶ始末で、とことん精力を使い果たしています。
このように身体の元気を擦り減らすような生活態度でありますから、心身が充実するという感覚も薄れ、自分の精神状態も平穏に維持することもままなりません。
その上、目先の快楽ばかりに目を奪われ、人としての生きる喜びに反するようなありさまで、夜更かしをしたり立ち振る舞いにも節度がないので、50歳になるともうヨボヨボとして衰えて来るのであります。
大昔の聖人は、以下のように人々にお教えになられました。
太古の人々は、人を害する季節外れの風(例:春は東風以外の方向からの風)を避け、心にはこだわりがなく穏やかで、さらに貪ったり損得に心を煩わせたりするようなことはありませんでした。
このように生きておりましたならば、肉体と心はしっかりと内側から守っていますので、どうして病気になど罹ることがありましょうか。
このように当時の人々は、心を制御して欲に任せるようなことがなかったので、心はいつも安らかで恐れるものもなく、身体がぐったりとなるまで労働することもありませんでした。
ですから元気は停滞することなく全身をくまなく循ることができたのであります。
欲に任せることなく少欲だった人々は、欲しいと願うものは簡単に手にすることができていましたので、心はいつも満たされていました。
目の前の食を美味しいと感じ、今着ているものを心地よく思い、世間の風習・風俗を楽しんで、しかも地位の高低を互いにうらやむこともなく、この当時の民は至って純朴なのでありました。
万事このようでありましたので、嗜欲に目がくらんで心を疲れさせることもありませんでしたし、ひつこくいやらしく侵入する邪気もその心を惑わすことが出来なかったのであります。
そして賢い人も愚鈍な人も、それぞれものごとに恐れるということがありませんでしたので、自然と養生の法則に適っていました。
これらが、上古において、人々がみんな100歳を超えても動作が衰えなかった理由であります。
また、自然の理にかなった真直ぐな心と生活態度であったからこそ、病気に罹り生命の危機を迎えるようなこともなかったのであります。
黄帝が、人が年老いて子供を授かることが出来ないのは、精力が尽きてしまったからなのか、それとも自然の摂理であるのか、とお尋ねになられました。
それに対して岐伯が次のように申された。
女子は7歳にして腎気が盛んになり、歯が生え生え代わり、髪の毛も長く伸びるようになって参ります。
二七、14歳になりますと自然と太衝の脉、つまり衝脉が盛んとなって参りまして、体の前の正中線を通る任脈という経絡も十分に通じるようになります。
そうしますと定期的に来潮するようになり、子供を宿すことが可能となって参ります。
三七、21歳になると腎の精気と陽気の調和がとれるようになるので、永久歯は生えそろい、身長も極まって成長が止まります。
四七、28歳ともなりますと、女性として肉体の最盛期を迎えますので、髪の毛もフサフサとし、最も身体の充実した時期を迎えます。
五七、35歳になりますと、顔面部を養っている陽明の経気が次第に衰え始めて参ります。
ですから、顔面部が少しずつやつれるようになり、フサフサしていた髪の毛も次第に抜け始めるようになって参ります。
六七、42歳では、いよいよ三陽経の脉気がまず頭顔面部から衰えますので、段々と顔に皺が増え、白髪が生じ始めて参ります。
七七、49歳になりますと、任脈は勢いをなくし太衝脈も衰えてくるので、いよいよ閉経を迎えます。当然のことながら体型も崩れ始めて、子供を宿すこともできなくなって来るのであります。
男子は8歳にて、女子と同じく腎気が盛んとなり、歯が生え代わり髪の毛も長く伸びるようになって参ります。
二八、16歳になりますと、腎気がいよいよ旺盛となって射精することが出来るようになり、腎の陰陽が調和しますので、男女交合して妊娠を可能とすることができるのであります。
三八、24歳になりますと、陰陽が調和して成長が止まり、筋骨は張りつめたかのように強くなり、歯も生え代わるようになって参ります。
四八、32歳ともなりますと、筋骨は隆盛となり肌肉も充実してたくましくなり、男性として最も盛んな時期を迎えるようになります。
五八、40歳になりますと、次第に腎気が衰え始め、髪の毛が落ち始め、歯も枯れたように艶が無くなって参ります。
六八、48歳では、頭顔面部の陽気が衰え始め、次第に尽きてくるので、顔面部もやつれ、髪の毛や揉みあげの付近に白髪が混じるようになって参ります。
七八、56歳になりますと、血を蓄えておく肝の臓がいよいよ衰えて参りますので、血の養うところであります筋肉も動きにくくなり、自然に備わった精も少なくなって参りますので、腎の臓そのものも衰えて参ります。
そうなりますと、肉体の衰えもまたはっきりとして参ります。
八八、64歳に至りましては、歯も髪も抜け落ちてしまうものであります。
腎の蔵というのは、身体の水を動きや変化を主っておりまして、他の五臓六腑の精を受けて、これを蔵の中にしまい込むような働きを致します。
したがいまして、五臓が盛んでありますと腎の臓も充実し、男性であれば射精することもできるのであります。
ところが今、五臓の全てが衰えてしまいますと、筋骨も緩んでしまい子種も尽きてしまいます。
そうなりますと髪の毛は真っ白となり、体の動作もゆっくりとなり、真っ直ぐに歩くこともできなくなりまして、当然子供を授かることもなくなってしまうのであります。
黄帝が申されるには、すでに老齢に達していても、子を授かることがあるが、どのような道理によるものであるのか、と。
岐伯が申された。
中には天与の腎気が大きい人がおりまして、常に気血は十分に全身を循り、これを受けて腎の精気もまた充実しているからであります。
しかしながら、子を作ることが出来ると申しましても、すべて男は八八、64歳、女は七七、49歳を過ぎることはありません。
なぜならば、天与の精気が枯渇してしまうからであります。
黄帝が申されるには、生き方そのものが、自然の理にかなっておれば、100歳を超えても子を作ることができるのか、と。
岐伯が申された。
はい、左様でございます。
自然の理に適った道者でありますれば、老いてなお身体は充実しております。
このような者は、すでに長寿であると申しましても、子を作ることは可能であります。
黄帝が以下のことを聞き及んでいると申された。
太古の昔に天・人・地の法則を体得し、欠けたところが全くない真人と呼ばれる人が存在した。
その真人は、天地陰陽の法則を身につけ、自然界の精気を取り入れながら、様々な環境に惑わされること無く自分の心身を保っており、皮膚はピンと張りつめて筋肉と一体であった。
従って、その寿命は天地の時間の流れをおおうほど広く長く、生命の終わりということがなかった程である。それは真人が、大自然の法則を意識しないくらい一体となっていたからである。
もう少し時代が下がった中古の時代になると、至人という者が存在していた。
真っ直ぐな偽りのない良心的な心を持った存在であり、しかもどっしりとして自然の法則と一体であった。陰陽の変化や四季の変化にもよく順応・和合していた。
世俗の煩わしさからは距離を取り、心を煩わせることなく精を温存させ、生命力が輝くような生き方をしていた。天地大自然の中を気の向くまま自由に行き来し、しかも通常見聞き出来ない遠くの四方八方のことも知ることが出来た。
万事このようであり、生命力が盛んで丈夫であったため、寿命も長かった。この類の存在もまた、真人に属する。
その次には、聖人と呼ばれる者がおり、天地の気の交流が調和されたところに腰を落ち着けて生活していた。しかも時に人を害することがある、八方から吹いてくる風の意味を理解していた。
好き好みなどの欲は、世間一般の習わしに適合するようにつとめ、ことさらそれを避けるようなことはせず、怒りや恨みで心の中がいっぱいになるようなこともなかった。
さらにその行いも、特別なことをしないで世間並みに行動することを望み、服装も行いも世間に自慢したりひけらかすようなことを欲しなかった。
肉体的には過労になるような労働をせず、精神的には心を串刺しにするような痛烈な痛みを伴う考えや憂いなどの煩わしさも無く、心を平静にして楽観的で愉快な気持ちで行動するようにつとめていた。
努力して手にするのではなく、自然に手に入るものを素直に素朴に喜んでいた。
だから肉体的には傷れることもなく、精神もバラバラで散漫になるということも無かったので、百歳まで生きることが出来たのである。
さらに時代が下ると、賢人と呼ばれる者がおり、やはり天地陰陽の法則に順応しようと、太陽と月や星の運行とその満ち欠けなどを観察して自然界の気の変化を捉え、四季などの自然界の気の変化に順応して逆らわないようにしていた。
まさに上古の真人・至人を手本として、自然の法則と一体となるようにつとめた結果、長く生きることはできた。
が、限界があったと。
鍼仙人
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