ブログ「鍼道 一の会」

性を養う(5)導引第五

医心方

さて、導引の節に入ってきましたが、前回の用氣で導引についての基本を説明していた為に、ここでは導引と按蹻を混ぜながら、毎日行う気の整理整頓について具体的に示しています。特に千金方の十八勢等は日々のケアに入れておくと良いですね。

養生要集には
甯氏の道引経には、道引とは人の体幹、四肢、関節に溜まっている邪気を取り去って、正気を残す事と書かれています。」
黃帝内経太素の楊上善は
「導引とは、動物を象った五禽戯等の事を指す。近くは痿躄万病を治し、遠くは長生きや年老いても視力があるようにするものである。    」

華陀別傳には

「華陀が弟子の呉晋に、「人が身体を動かして仕事を使用とするときは、自分の体力の限界までやってはいけない。しかし、身体をいつも動かしていると食べた穀物の消化を促し血液の循環が良くなるので病気にならない。あなたは戸枢を注意して見たことがあるか。腐りやすい木を使っていても、朝夕とを開け閉めして動かしている為、外の場所に使われている木よりも朽ちるのが遅いのである。だから昔の仙人である赤松子や彭祖が導引をしたのはこの原理を人間に応用したものである」と語ったとある。」

養生要集には
「凡そ導引では、いつも天の陽の気が和やかで温かく、日月が澄んで静かな時を見計らって部屋に入って導引すべきである。寒さの厳しい日や暑すぎる日には導引をしてはいけない。」

又導引經の説では
「導引で体内の気を調整し、生を養うには、一日を三回に分けて行う事。午前五時から七時までの間を三時と言う。導引をする前に体と心を清潔にすることを心がけるべきである」

劉京道人は次のように言っている
「毎朝必ず玉泉を飲む事。玉泉を飲む事で顔色が若くなり、虫を除き、歯を丈夫にする。玉泉というのは口中の唾液である。朝、眼が覚めきっていないうちにうがいをし、唾液を分泌させて口中に満たし、飲み込むようにするのである。そしてすぐに歯を十四回叩く。こにょうにして二回やったら止める。名付けて練精という。」

精の生成と利用によって体に精を巡らせる方法まで記しています。

養生内解には
「日の出に向かって薬指を揉んで温め、その指で眼を押さえる。十四回行ったら止める。」

又、「常に黄昏になったら、目頭、目尻の四箇所を指さす。名付けて「存神光満」と言う。」

又、「魂の門を捉え、魄の戸を押さえること。これを名付けて握固と呼ぶ。握固は人の魂魄を安定させる。魂門、魄戸は両手の拇指の付け根の内側と、爪甲の近くにある。ここから精気を外にもらさぬようにしっかりと備えをすることが、視力を明らかにし、歳を取らず、白髪を黒髪に還す方法である。もし、しっかりと終日親指を握っていれば、邪氣も様々な毒気も体内に入る事ができない。」

又、「いつも暁星に向かって眼をマッサージし、それが終わったら歯を三十六回まで叩く。そして舌で丹念に歯をなでるようにすることを十四回以上、口中をうがいし、唾液を口に満たしてこれを三回飲んで止める。又、十四回歯を叩き、一度に一回飲み、三度で止めれば良い。」

又、「朝起きたら東を向いて坐り、両手を摩擦して熱し、その手で額の上から頭の頂まで撫でる。これを十八回やったら止める。これを存泥丸という。」

又、「澄みきった美しい朝、起床したときに両手で両耳の端を挟み、その手を十四回上下させる。こうすると耳が遠くならない。」

又、「手を擦って熱くし、それで顔を上から下になでること。邪氣をなくし、顔を輝かせる。」

又、「手を擦って熱くし、体を上から下なでることを乾浴という。この方法は風邪や寒さ、流行の熱病、頭痛に犯されず、病気を全て除いてしまう。」

服気導引抄の説
「寝て起きるとき、まず手ぬぐいや厚手の生地の白絹で首根のまわりや耳の後ろをぬぐうこと。円を描くように行い、ほかほかするまで行う。もし櫛で梳かす場合は、時間や場所などは限定しなくて良い。」

千金方に書かれている独り按摩の法
「1日3回行えば、一ヶ月後には全ての病気が全快し、歩き方はまるで馬が走っているようになる。これはバラモンの方術である。」
一、両手を向かい合わせて指を組み、手のひらを擦り合わせて洗うようにする。
一、両手を浅く互いに交差し、手をひっくり返して胸に向ける。
一、両手を互いに重ねて、一緒に腿の外側を揉む(左右同様)
一、両手を重ねて腿を撫で、少しずつ体をよじる。
一、弓を引くように力を込めて引き絞るようにする(左右同様)

一、拳を作って前に突き出すようにする(左右同様)
一、石を拾うような格好をする(左右同様)
一、拳を作り、その拳を急に後ろへ引く。これは胸を開く運動である。(左右同様)
一、ゆったりと坐り、身を前に屈め、次に山を押しのけるように体を傾かせる。
一、両手で頭を抱え、腿の外側へゆるやかに頭を回す。これは脇を引っ張る運動である。
一、両手を地面につき、身体を縮めて脊を曲げ、次に上に向かって3回挙げる。
一、身体を反らせ、手で脊中の上を叩く(左右同様)
一、ゆったりと腰を下ろして、脚を長く伸ばし、それから手で脚を制して後を3回振り向く。(左右同様にする)
一、両手を地面につき、ぐるりと周りを見渡す。これを虎視という。(左右同様)
一、地面に立ち、身体を反らしたり折り曲げたりして、3回身体をねじる。
一、両手を急に組み、手の中を脚で踏む。
一、ゆったりと坐り、片方の脚を伸ばし、伸ばした脚を膝に乗せて手で揉む。
 (左右同様)
 
 以上十八の姿勢がある。但し老人はいっぺんに続けてやらないこと。毎日少しずつやるようにする。
 この方法を3回ずつ、いつもやっていると寿命を延ばし、病気を取り除き、食欲を増進させ、視力をよくし、身体を軽やかにし、疲労しなくなる。

又、「毎日いつも両手を上げ、招くように下におろして身体の脇に添え、その両手を今度は前に招き、後ろへ招いておろす。そうしたら又、初めの動作にかえってこれを行うようにせよ。」

又、「人は何かあるときでも、何事もないときでも、いつでも毎日人に脊、及び四肢、首、首筋を踏ませること。よく踏ませると、風気や流行病が人に寄りつけない。この様な効果は枚挙に暇がない程である。」

唐臨の脚気論の説
「毎日、脚を広げ伸ばして坐り、手で脚をひくこと7回、手を脚の指につけ、次第に足裏の中心まで至り、強く手を踏み、力を込めて足を挙げる。毎日このようにすれば、脚気も亦た人を傷ることがない。」

これは患者さん自身に腎気の弱りを感じていれば、指導項目として入れておくと結構セルフケアを意識していただけ、今日の自分を測る一助としてもらえる事を感じています。但し、このようなやり方ではなくもってソフトなやり方ですが…

蘇敬の脚気論の説
「夏には肌のきめが開いているので、寝るにはよくない。眠りから覚めたら、人に按摩させて邪氣を留めないようにしなければならない。時々身体を動かす仕事をして、関節をいつも伸ばし、よく気を通じさせること。」

 これは全て養生の要点であり、風の邪氣を防ぐ方法である。

 この蘇敬の説は、私自身は採用しません。紅斑は分かりますが、人に按摩させずとも自分でできることをわざわざ人にと書いている気持ちが分からないからです。リラックスできるのは自分よりも人の手ですが、そこまでになった自分を顧みるような方向性をつけなければ、結局サービスや商売と養生、医療との区別がつかなくなりますので。

 このような養生法は、自分でできることに関しては大きく同意し、効果があるものが多いとも思いますが、他人にしてもらう、特に足で踏んで貰う等は癒しであり、かなりの制約された条件下以外はできるだけ自分でできることをしっかりと行うべきだと私自身は感じています。

 五禽戯なども出ているように、古代から結局やっていることは余り変わらず、この辺りのセルフケアはそれぞれのやり方があって良いと思いますので、できるときにできることをやって死ぬまでは健やかな身心を維持したいものです。

原文及び書き下し文
 養生要集云、甯先生道引経云、所以道引、令人支體、骨節中諸惡氣皆去、正氣存処矣。
 養生要集に云う、道引経に云う、道引たるゆえん、人の支體、骨節中をして、諸悪の気皆去らしめ、正気存する所なり。
 大素経楊上善云、導引謂羆頚鳥伸五禽戯等近癒痿躄万病遠取長生久視也。
 大素経楊上善に云う、導引なるもの羆頚鳥伸五禽戯等を謂い、
 華陀別傳云、他嘗語呉晋云、人欲得勞動、但不當自極耳。體常動揺、穀氣得消血脉流通、疾則不生。卿見戸樞雖用易腐之木、朝暮開閉動揺遂最晩朽。是以古之仙者赤松、彭祖之為道引蓋取於此。
 華陀別傳に云う、華陀がかつて弟子の呉晋に語って云うは、人の労動を得んと欲すれば、但だ当に自らを極むべからざるのみ。体常に動揺すれば、殺気消するを得て血脉流通し、疾則ち生ぜず。卿、戸枢を見るや。易腐の木を用うると雖も、朝暮に開閉動揺して遂に最も晩く朽つ。これを以て古の仙者、赤松、彭祖の道引を為すは蓋しこれに取るなり。
 養生要集云、率道引常候天陽和温日月清静時可入室甚寒甚暑不化以導引。
 養生要集に云う、率ね道引は、常に天の陽和温にして、日月清く静かなる時を候って室に入るべし。甚だ寒く、甚だ暑きには、以て導引すべからず。
 又云、導引経云、凡導引調氣養生、宜日別三時為之。謂卯、午、酉時臨欲導引、宜先潔清。
 又云う、導引経に云う、凡そ導引して気を調え生を養うには、宜しく日に三時に別けてこれを為すべし。謂わく、卯、午、酉の時なり。導引せんと欲するに臨みては、宜しく先ず潔清にすべし。
 又云、道人劉京云、人當朝々服玉泉。使人丁壮有顔色、去虫而堅齒。玉泉者口中唾也。朝末起早嗽漏之満口乃呑之。輙々啄齒二七過如此者二乃止、名曰練精。
 又云う、道人劉京云う、人は当に朝々に玉泉を服すべし。人をして丁壮にして顔色あらしめ、虫を去りて歯を堅くす。玉泉とは口中の唾なり。朝未だ起きざるに、早く嗽し、これを漏らして口に満たし、乃ちこれを呑め。輙々として歯を啄くこと二七過、かくの如きもの二たびして乃ち止むを、名づけて練精と曰う。
 又云、養生内解云、常以向晨、摩指少陽令熱以熨目。満二七止。
 又云う、養生内解に云う、常に向晨を以て指の少陽を摩して熱くならしめ、以て目を熨す。二七を満たして止めよ。
 又云、常以黄昏、指目四眥名曰存神光満。
 又云う、常に黄昏を以て、目の四眥を指さすを名づけて、存神光満と曰う。
 又云、拘魂門、制魄戸、名握固。令人魂魄安魂門、魄戸者両手大拇指本内近爪甲也。此固精、明目、留年、還白之法。若能終日握之、耶氣百毒不得入。[握固法、屈大拇指、四小指内抱之。積習不止眠中亦不復開。一説云、令人不厭魅。]
 又云う、魂の門を拘し、魄の戸を制するを名づけて握固と曰い、人の魂魄をして安んぜしむ。魂門、魄戸は両手の大拇指の本より内りて瓜甲に近し。これ精を固め、目を明らめ、年を留め、白を還すの法なり。若し能く終日これを握れば、邪氣、百毒入ることを得ず。「握固の法は、大拇指を屈し四小指の内に着れてこれを抱く。積習して止まざれば眠中も亦、復た開かず。一説に云う、人をして魅に厭はざらしむと」。
 又云、常以向晨摩目畢琢齒三十六下、以舌孰料二七過、嗽漏口中、津液満口咽之三過止。二七琢齒一琢一咽満三止。
 又云う、常に向晨を以て目を摩し畢りて、歯を琢くこと三十六下、舌を以て熟くなづること二七過、口中をうがいし、津液を口に満たしてこれを咽むこと三過にして止む。亦、二七歯を琢き、一琢に一咽して三たび満たして止むも可なり。
 又云、旦起東向坐、以両手相摩令熱、以手摩額上至頂上、満二九止、名曰存泥丸。
 又云う、旦起きて東向して坐し、両手を以て相摩して熱からしめ、手を以て額上を摩でて頂上に至る。二九を満たして止む。名づけて存泥丸と曰う。
 又云、清旦初起、以両手叉両耳極、上下之二七。之令人耳不聾。
 又云う、清旦初めて起きて、両手を以て両耳の際に叉へ、kろえを上下すること二七せよ。これ、人をして耳を不聾ならしむ。
 又云、摩手令熱以摩面從上下耶氣令面有光。
 又云う、手を摩して熱ならしめ、以て面を摩し上より下にす。邪氣を止め面をして有光ならしむ。
 又云、令人摩手令熱、當摩身體從上至下名曰乾浴令人勝風寒、時氣熱、頭痛、疾皆除。
 又云う、人をして手を摩し熱ならしめ、身体を摩するに当たりて上より下に至るを名づけて乾浴と曰う。人をして風寒、時気の熱、頭痛に勝ち、疾を皆除かしむ。
 服氣導引抄云、臥起先以手巾若厚帛拭項中四面及耳後皆使員迊温々然也。髪摩頭若理櫛之無在也。[詔臥初起先宜向壬行此法竟乃為扠手及諸事]
 服気導引抄に云う、臥起して先ず手巾若しくは厚帛を以て、頂中、四面及び耳後を拭え。皆肙迎温々然たらしめよ。髪に順って頭を摩せ。若しこれを理櫛せんにはあることなし。「謂へるは、臥より初めて起き、先ず宜しく壬に向かいてこの法を行うべし、竟りて乃ち扠手及び諸事を為すなり」。
 千金方云、自按摩法、日三遍一月後百病並除行、及走馬此是婆羅門法。一、両手相捉向戻、如洗手法。一、両手浅相叉、翻覆向胸。一、両手相捉共按髀[左右同]。一、両手相重按髀徐々戻身。一、如挽五石弓力[左右同]。一作拳向前築[左右同]。一、如拓石法[左右同]。一、以拳郤頓。此是開胸[左右同]。一、大坐殿身偏敧如排山。一、両手抱頭宛轉髀上。此是抽脇。一、両手挭地、縮身、曲脊、向上三挙。一、以手槌背上[左右同]。一、大坐曳脚三用當相手、反制向後[左右同]。一、両手拒地、廻顧。此是虎視[左右同]。一、立地反拗、三挙。一、両手急相叉、以脚蹋手中[左右同]。一、起立、以脚前後踏[左右同]。一、太坐曳脚、用當相手、掬所曳脚、着膝上、以手按之[左右同]。
 千金方に云う、自ら按摩するの法。日に三遍して一と月の後、百病並べて除り、行くこと走馬に及ぶ。これはこれ婆羅門の法なり。
一、両手を相捉え向かいて戻り、手を洗う法の如くす。
一、両手を浅く相叉え、翻覆して胸に向くる。
 一、両手を相捉えて共にももを按ず「左右同じくす」。
 一、両手を相重ねももを按じ、徐々に身を戻ずる。
 一、五石の弓を挽く力の如くす。「左右同じくす」。
 一、拳を作りて前に向かって築く。「左右同じくす」。
 一、石を拓う法の如くす「左右同じくす」。
 一、拳を以て頓にひらく。これはこれ胸を開くなり「左右同じくす」。
 一、大坐して身を殿め、偏えにそばだつこと山を排するが如くす。
 一、両手にて頭を抱えももの上を宛転す。これはこれ脇を抽むなり。
 一、両手にて地をおし身を縮めて脊を曲げ、上に向かって三たび挙ぐ。
 一、手を以て反って背上を槌つ「左右同じくす」。
一、大坐して脚を曳ばし、三たび用って相の手を当て、反制して後を
向くべし。「左右同じくす」。
 一、両手もて地を拒へ、廻り顧る。これはこれ、虎視なり「左右同じくす」。
 一、地に立ちて反拗し、三たび挙ぐ。
 一、両手を急に相叉へ、脚を以て手中をふむ「左右同じくす」。
一、起立して脚を以て前後に踏む「左右同じくす」。
一、大坐して脚を曳ばし、用いて相の手を当てて、曳ばす所の脚を掬い、膝上に着して手を以てこれを按ずべし「左右同じくす」。
 凡一十八勢、但老人日別。能依此法三遍者如常補益延年續命百病皆除能食眼明軽健不復疲。
 凡そ一十八勢、但し老人は日を別にす。能くこの法に依りて三遍するを如常とすれば、補益し、延年続命し、百病皆除り、能く食し、眼を明らめ、軽健にして復た疲れず。
 又云、毎日恒以手雙向上、招下、傍下傍招前、招後。下又反手為之。
 又云う、毎日恒に手を以て雙べて上に向け、下を招き、下傍らにそえて前を招き後ろを招け。下して又、手を反してこれを為せ。
 又云、人無問有時無事恒須日別一怒遣人踏背及四支、頚項。苦令熱踏即風氣、時氣、不得着人。此大要妙不可具論之。
 又云う、人、有時無事を問うなく、恒に須らく日別に一度、人を遺して背及び四肢、頚項を踏ましむべし。苦だ熱踏せしむれば即ち風気、時気、人に着するを得ず。この大要の妙はこれを具論すべからず。
 唐臨脚気論云、毎旦展脚坐、手攀七度、令手着指漸至脚心、極踏手、用力攀脚。毎日如此脚気亦不能傷人。
 唐臨の脚気論に云う、毎旦脚を展べて坐し、手もて脚をひくこと七度、手もて指を着り漸く脚心に至らしめ、極く手を踏み、力を用いて脚をひく。毎日かくの五得すれば、脚気亦た人を傷うこと能わず。
 蘇敬脚気論云、复時腠理開不宜臥眠。眠覚令人捼按、勿使耶氣稽留。數勞動開節常令通暢。此並養生之要提、拒風耶之法也。
 蘇敬の脚気論に云う、夏時には腠理開きて臥眠に宜しからず。眠りより覚むれば人をしてもみ按せしめ、邪氣を稽留せしむる勿かれ。数々労動して関節を常に通暢ならしめよ。これ並べて養生の要堤、風邪を拒ぐの法なり。
         一の会

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